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第三章(1)
鳴り響くサイレン。赤く光る回転灯。周囲のざわめき。溢れる人々。
朝早い時間にもかかわらず、多くの野次馬達で出来た厚い壁を潜り抜け、黄色いテープをくぐり
中へ入る。
築三十年は経っているであろう古い小さなアパート。その一階の奥の部屋。
中に入ったとたん感じる緊張感。外の雑多なざわめきとは違う緊迫した空気に、体が一気に緊張
していくのがわかる。
ドアをくぐり、更に感じるもの。
人の死に向き合う監察医の仕事についてから、もう二年以上経つが、これだけは如何しても
馴れないなと感じる。
―死の匂い。
死した者達と相対する為に、如何しても切り離せないもの。
目で見るだけ。画面や写真で見るだけでは絶対感じることができない、死者だけが持つ臭い。
―腐臭。
人が生きている時には絶対に発する事が無いその臭いに、『死』という圧倒的な現実を突き付け
られるような気がして、天野はいつまで経っても慣れる事ができなかった。
「ごくろーさま」
部屋の奥から知り合いの女性刑事がひょっこりと顔を覗かせる。
「どっち?」
共に来た同僚の黒川が、挨拶もそこそこに本題に入ったことに軽く肩をすくめ、そのまま何も
言わずに遺体の所へと案内する。
狭いキッチンとバスルームに挟まれた空間の向こう、意外と片付けられた六畳間に彼女は居た。
「名前は香山唯。大手フードメーカの企画部に勤めていたバリバリのキャリアね」
手帳に記したメモと、彼女の物だと思われる名刺の肩書きを見ながら答える。
「あんたと一緒って訳?」
「それ嫌味?」
「とーんでもない。男社会の警察で男と対等に肩を並べて頑張ってる月山警部殿に嫌味なんて
言う訳無いでしょ?」
あっけらかんと言う黒川に何か言いかけた月山だったが、流石に他の刑事達の手前、言葉を
飲み込んだ。
「…変なこと言ってないでさっさと仕事しなさいよね!」
「はいはい。あまのー、あんたも早くおいで」
月山に軽く返事を返したあと、部屋の入り口に立ったままだった天野を呼び検死に入る。
遺体に手を合わせ、改めて女性を見る。
首に巻き付いたままのネクタイ。床に広がった豊かな髪。
頭頂部から綺麗な扇状に流れる黒髪と、首筋の白い肌。
その間。首に絡みつくワインレッドのネクタイ。
漆黒と純白。その間の紅。
奇妙なコントラスト。
彼女はとても綺麗だった。
「…綺麗ですね」
「そうねー、とっても綺麗よね」
揃って同じような感想を洩らす二人に呆れた様に月山が声をかける。
「何関心してんのよ。そりゃ確かに綺麗な人だとは思うけど、今はそんなこと…」
「違うんです。綺麗過ぎるんです」
「え?」
遺体をはじめて見た時から微かに感じている違和感。首に捲き付いたネクタイから絞殺である
事は間違いないと思うのだが、遺体に全く抵抗した後が無いのだ。その表情も同じ。
まるで眠っているかのようにその顔は穏やかだった。
「抵抗した跡がまるで無いですよね。それに…」
「それに?」
天野はそれ以上何も言わず、横たわる女性を見詰めた。
上手く説明はできないが、微かに感じる違和感。一体これは何だというのか。
「それに…何よ?」
「判りません」
「判りませんって…ねぇ」
黙りこんだ天野を月山が呆れた様にみる。
「まぁ、詳しい事は後で調べるとして。死亡推定時刻は昨夜夜半から今朝にかけて。頚部の索状痕
と瞼の裏や目の表面の溢血点からしても、頚部圧迫による窒息死には間違いないわね」
「つまり絞殺されたってことね」
「ちょっと、まだ殺されたって決まったわけじゃ…」
はっきりとそう言いきる月山に、黒川が待ったをかける。
窒息死には違いないが、まだこれだけでは殺人事件だとは限らない。事故や自殺の可能性も
あるのだ。
「間違いないわ。これは殺人よ」
はっきりと殺人だと決めつける月山のその自信が、何処からくるのか不思議に思い尋ねると、
彼女は不敵に笑って答えた。
「この部屋にはね、外から鍵が掛かっていたのよ」
「外から、鍵?」
内側からではなく外から鍵がかかっていたと断言する月山。だが、何故鍵が外から掛けられた
と言いきれるのだろうか。
首を傾げる二人を玄関まで引っ張って行き、ドアに取り付けられた鍵を見せる。
「鍵が…三つ?」
「そ。この部屋の住人の話しだと、前に一度空巣に入られたことがあったらしくてね。かなり
高価なギターとか盗まれたらしいのよ。その後二度と入られないようにって、警察の勧めもあって
防犯用に取り付けたって訳」
改めてドアを見れば、本来の鍵をはさむ様に、上部にシリンダー式の鍵が一つと、下部に昔
ながらの錠前が一つ。
二つのシリンダー式の鍵は中からも外からも掛けられるが、三つ目の錠前は絶対に外からしか
掛けられない。そして鍵は三つとも掛かっていたという。
部屋の中で死んでいた女。外から掛かった鍵。
「…つまり誰かが彼女を殺してから、ドアに鍵をかけて逃走したってことですか?」
「そうとしか考えられないでしょ」
自信たっぷりの月山。確かにそうとしか考えられないのだが、天野の頭の隅に在る微かな
違和感のせいで、どうにも納得しきれない。
「この部屋の住人って?」
「あの男よ」
黒川の問いに答えた月山の視線を追った先に居たのは、少し離れた所で、小さな椅子に呆然と
腰掛けた男の姿。
「この部屋の主で今回の第一発見者。で、殺された香山唯の恋人、時田敦」
「…恋人ですか?」
「これも管理人の話なんだけどね」
もう一度、ぼんやりと椅子に座ったままの男を見る。
生気の無い顔。問い掛ける捜査員の言葉も聞こえているのかどうか。
「可哀想ですよね。まさか恋人がこんな…」
「そうかしらね」
「え?どういう意味ですか?」
恋人を亡くしたばかりの男に対し素直に感じた事を言った天野に、月山の返事はひどく思わせ
ぶりで、容赦のないものだった。
「疑わしきは第一発見者って訳?」
黒川の言葉に対しても、相変わらず思わせぶりな笑顔を浮べるだけで。
その時だった。
「月山さん!」
部屋の奥から、男が一人、のっそりとやってくる。
「こんにちは」
「あ!お二人とも、ごくろーさまです!」
やってきた刑事は事件の現場にいるとは思えないほど陽気な笑顔を浮べ、大柄な体を丸める
様に敬礼する。
「あ、御苦労様です!」
「相変わらず大変みたいねぇ、森田君。…人使いの荒い女王様の傍にいると」
「そーなんですよ。最近ますます女王様に磨きが掛かっちゃって」
後半小声でこっそりと呟いた黒川の言葉に、こちらもこっそりと小声で返すが。
「…聞こえてるわよ」
どうやら彼女の地獄耳は誤魔化しきれなかったらしい。
「すすすすすすみません!!」
「いやぁねぇ。冗談よ」
対照的な二人のリアクションに聞いていた天野が小さく溜息を吐く。
「…まあいいわよ。それよりも如何したの?何か手掛かりでも出た?」
「あ!これがゴミ箱の中から発見されました!!」
白い手袋に包まれた大きな掌の中の、小さないくつもの銀色の破片。ビニール袋の中に入った
それを月山の手が慎重に取り上げる。
「薬の包装紙みたいね」
「どれどれ?」
興味を惹かれたらしい黒川も月山の手元を覗き込んでくる。
「ホントだ。ヒートシートに間違いないわ。ちょっと貸して」
月山からビニール袋を受け取り監察する。ヒートシートに記された数字と記号から中に入っていた
薬を推測する。
「…睡眠薬みたいね」
「睡眠薬?」
「詳しく調べてからじゃないと断定できないけど、多分間違いないと思うわよ。…何、どうしたの?」
借りていたヒートシートを月山に返そうとした黒川の手が止まる。彼女は口元に自信たっぷりの
笑みを浮かべていた。
「これで説明ついたじゃない」
「何が?」
「さっき言ってたことよ。抵抗の後の無い死体の謎。つまり彼女は睡眠薬を飲まされ、意識が朦朧
としている所を殺害されたってこと」
黒川の手から袋を受け取り、目の前にかざして見せる。時折光る鑑識のカメラのフラッシュを
反射して、ヒートシートが銀色に輝いた。
「これではっきりしたわね。間違いないわ。これは殺人事件よ!」
胸を張って言いきる月山に若干の不安を覚えながらも、黒川も半ばその考えに同意する。
首吊りではなく、床に倒れていた死体。そして首に捲き付いたままだったネクタイ。外から
掛けられた鍵と睡眠薬。
状況から見ても間違いなく殺人事件だろう。だが、最初に彼女の遺体を見たときに感じた
違和感が、それを断言する事を否定している。
あれはなんだろう?観察医としてのカン、とでも言うのだろうか。
同僚の杉に言えば、間違いなく笑い飛ばされるだろうが、そうとしか言いようがないのも事実で。
とにかく詳しくは司法解剖の結果しだいである。
現場の捜査は自分達の仕事ではない。自分達は亡くなった人達の声を聞く事が仕事である。
そう思い直し、遺体搬送の為に天野に声を掛けようとするが。
「…何やってんの?」
傍にいたはずの天野は、何時の間にか狭い玄関に入りこんで何かを拾い上げていた。
「あ、これがそこの下駄箱の横に落ちてたんですけど」
彼女が手にしていたのはやけに汚れた雑巾だった。
「それがどうかした?」
「いや、別に如何って言う訳じゃないんですけど、なんか汚いなぁって」
そう言って雑巾を摘み上げる。それはたしかに汚い雑巾だった。一体何を拭いたのか、半分
乾いたそれに泥らしき汚れがべったりと付着している。
「他の雑巾とか靴磨きの道具とか、結構きちんと片付いているのになんでこれだけ、汚いまま…
しかも、なんでこんな所に放ってたんでしょう?」
「なんでって言われてもねぇ」
先程の六畳間もそうだったが、男の一人暮しにしてはきちんと片付けられた部屋。余分な物が
少ないせいもあるのだろうが、おそらく恋人だったという香山が、いつも掃除をしていたのだろう。
「なんでかなぁ?」
何か引っ掛かる事でもあるのか、天野は雑巾片手に首を傾げている。天野が気になる事が
一体どういう事なのか調べいてみたい気もするが、何時までものんびりなどしていられない。
今は自分達の仕事を優先すべきだと考えて。
「まぁ、それは警察の方たちに御任せして、私達は私達の仕事しましょ!」
何時までも雑巾片手に考え込んだまま動かない天野を急かし、遺体搬送の準備を整えた。
丁寧にシートに包まれる遺体。担架に乗せられ運ばれて行くそれを、時田の瞳がぼんやりと
追って行くのを天野は静かに見詰めていた。
いつまでも彼女を見送る時田に居た堪れなくなり視線を外しかけた時、月山の細い背中が
時田の姿を遮る。
聞こえてくる月山の挑戦的な声。
「時田敦さん。ちょっと署まで一緒に来て頂けないかしら?昨夜の事でちょっとお伺いしたい事が
あるんですけど」
「…昨夜?」
「隠したってダメだからね。昨日の夜中過ぎ、あなたと死んだ彼女が争っている声を、ここの
管理人さんが聞いているの」
(……え?)
「他にもここ数ヶ月の間、あなた達の間に喧嘩が絶えなかったとも聞いているんだけど。どう?」
背を向けた月山の表情は判らないが、それを見る時田の顔がはっきりと判るほど強張って行く。
膝に置かれていた両手が白くなるまで握られ、振るえているのを天野は、ただ見詰める事しか
出来なかった。
続く
おや?「踊る〜」のはずなのに「踊る〜」奴らが出てこない(笑)
代わりに出張っているのは、当初ほんの脇役程度の予定だった
「きらきらひかる」の面々でございます。
ちなみに「きらきらひかる」は、深津絵里さん主演の監察医の物語♪
主役・天野(深津)の上司・田所役は柳葉さん!
実は、この煮ても焼いても食えそうにないオヤジ(失礼・笑)が好きなんだな。