OPEN YOUR HEART
     〜OPEN YOUR … 外伝・前編〜


 

「………え?」

 雲ひとつ無い穏やかなある春の日の午後、突然掛かってきた一本の電話。

「……あ…いえ何でも…」

 手の中に収まった小さな機械から聞こえる声。…聞きなれたあの人の声。

 内容は…たぶん聞く前から判っていた。

「……はい。…いいえ、仕事ですもん。…仕方ないっすね」

 申し訳なさそうな声が告げる予想通りの内容。

 生真面目なあの人の謝罪の言葉に、聞き分けのいい大人の振りをして言葉を返す。

「気にしないで下さいって。忙しいのはお互い様でしょ?…だから」

 『平気だ』と続けようとしたけれど、なぜか言葉は声に出す前に胸の奥深くに沈んでいって。

「……あの………いいえ。今度また…」

 今度って何時の事なんだろう。確定しない未来は永遠に来ない明日と同じだ。

 未確定の未来。もしかするともう二度と会えない事だって有り得る未来…。

「…いえ、別に。判ってます。無茶はしませんから。…室井さんも無理しないで下さいね」

 幼い子供を心配するようなあの人の声を聞きながら苦笑する。

―‐ 本当に子供だったら良かったのにね。そうしたら、聞き分けの良い振りなんかしないで素直に我侭言えるのに。

 心の中で呟いた独り言に蓋をして、納得した振りをして返事を返す。

「……はい…じゃあ」

 もう一度聞こえた謝罪の言葉のあと切れた電話。聞きなれた声の代わりに聞こえてくる規則正しい非通話音。何度も何度も聞いたはずの音が、今日に限ってなぜか心に棘をさす。

 使い慣れ、手に馴染んだはずの携帯電話も、手の中でいつもの何倍も重量を感じさせた…。

 

 

 誰も居ない喫煙室。

 並べられた長椅子から遠のき、窓から差し込む穏やかな春の陽射しから逃れるように冷たい壁に背を預ける。

 スーツ越しに伝わる壁の冷たさ。

 外界の音を遮断するように耳を塞いでいた携帯電話をゆっくりと外す。

 規則正しい合成音に代わり聞こえてくる雑多な日常音。

 遠くから流れてくる賑やかな音は、逆にその場に居ない自分を排除する音にも聞こえて。 言い様のない寂寥感が胸に募る。

 無意識の内に毀れた溜息は、自分でも驚くほど深くて。

「…仕事だもん…仕方がないよね」

 誰も居ない喫煙室で。聞かれるはずもない溜息に対し、いい訳じみた独り言を呟きながら携帯電話を電源ごと切る。

― すまない。今日は会えなくなった。

 切った筈の携帯から、先程聞いたばかりの声が再び耳に響く。

 ずっと聞きたかった声。

 聞きたくなかった言葉…。

 

 

 最後にあの人に会ったのは、もう2月以上も前のことだっただろうか。

 ある事件をきっかけに付き合い始めてから半年以上。

 形に出来ない想いに悩んで迷ってようやく実った恋だった。

 新世紀を迎えた慌しさが完全に消えた2月の初め頃。手配犯を引取りに行った所轄署の先で、偶然彼に出会った。まさか、こんなところで…と、彼を見詰めてしまった自分の顔は、相当の間抜け面だったと思う。なぜなら、自分を見た彼の顔は滅多に見られない笑顔だったから。

『無茶…するんじゃないぞ』

『そっちこそ、無理しないで下さいね』

 偶然出会ってからほんの数秒。

 たった、それだけ。

 それでも、嬉しかった。

 お互いに忙しくて、ろくに合うことも出来ない。会う約束をしても、その約束が叶えられたことは殆ど無い。この前も、その前もずっと。たいていの場合、彼のほうからキャンセルしてくることが多かった。

 同じ仕事に着いているのだから、彼の忙しさは充分に理解できる。彼が何故あそこまで必死で頑張っているのかも…。

「だから…仕方が無いよね」

 自分自身に言い聞かせるようにもう一度呟く。

 交わした約束のため。夢の実現のため。それぞれの場所で頑張ると誓った。

 だから少しぐらい会えなくても、顔を見ることが出来なくても、それは仕方が無い事だ。

 だけど。

 それでも…。

 スーツの内ポケットから愛用のタバコをとりだし、くしゃくしゃになったケースから最後の一本を引っ張り出して火を点ける。癖のある煙と一緒に大きく息を吸い、肺を一巡した煙と一緒に溜息を吐き出した。

 独特の香りを伴った煙が喫煙室に拡散し、消えていくのをぼんやりと眺めながら、手の中のケースをゴミ箱に投げ捨てる。

 乾いた音を立ててゴミ箱に消えたケースを目で追いながら、もう一度タバコを咥えて。

 数瞬後、結局一口も吸わずに灰皿にもみ消した。

「…俺って、我侭だよな」

 煙の混じらない溜息を吐く。

 無味無臭のはずのそれは、なぜかとても苦くて。

「……桜、もう終わりだよな」

 呟きだけが、春の空へと融けて消えた。

 

 

 

 短い廊下を歩き、境界線のガラス戸を開けたとたん耳に飛び込んでくる喧騒。

 取り立てて忙しいというわけではないのだが、統率の取れないそれは必要以上に人の聴覚を刺激し、人の心を浮き足立たせるものらしい。

 広い刑事課内を無意味にどたばたと走り回る人の波を器用に避けながら、自分のデスクにどかりと腰をおろす。乱暴な扱いを受けた安手の椅子が立てる抗議を聞き流しながら、使い慣れた引出しを開け、中から書類の束を取り出し机の上に放ると。

「さーて!お仕事お仕事!!」

 必要以上に大きな声を出して気合いを入れた。

「始末書一枚書くのになに気合入れてんのよ」

 青島の無意味な大声に、デスクにいたすみれが背後から呆れたように声をかけて来る。

「あのねー、何でいつも俺が書類書きしようとすると始末書だって決め付けるの?」

「あら、違うの?」

「……違わないけど」

 不貞腐れた顔で、取り出した書類に目を落とす。そこにあったのは、湾岸署に来てからやけに見慣れた赤い罫線の書類束。

「まぁ、始末書書きに気合いれちゃう青島くんの気持ち、わからなくは無いけどねー」

「…なになに?どう言う意味?」

 どこと無く投げやりで、嫌味を含んだすみれの口調に顔を顰めつつ振り向く。

 椅子の背凭れ越しに見えた彼女は、青島に背を向けたまま書類と格闘していた。

「ねえ、すみれさんっ、さっきのってどういう…」

「あらぁ?トボケなくて良いわよー。青島君今日は楽しい楽しいおデェトだもんねーっ!」

「……すみれさんっ!?」

 相変わらず背を向けたまま、からかいとやっかみを半分ずつ含んだ口調で、しかも課内に響き渡るような大声で話しかけてくる。

「あーあ、良いわよね――っ。豪華な夕食に美味しいお酒。だぁぁぁい好きな人と一緒に過ごす甘ぁぁぁぁぁぁい夜っ!『コンビニ』ディナーで万引き犯と一晩語り合い♪の私とは大・違・い・よねーっ!」

「……違うよ」

 ポツリと注意しなければ聞き取りにくいほど微かな声が呟いた。

「…え?」

 いつもならば、そこで『口惜しかったら恋人の一人でも…』と、反撃してくるはずの青島の予想外の台詞に、彼をからかっていたすみれの言葉も止まる。

「……デートなんかじゃないもん」

 先程よりも更に小さくなってしまった声に思わず振り向いたすみれが見たものは、拗ねて俯いた寂しがり屋の子供の姿。

「デートじゃないってどう言うこと?…青島くんってば10日も前から『デートだ!』って浮かれてたじゃない」

「……」

「青島…君?」

「……急な仕事が入って、会えなくなったんだってさ」

 小さく、しかし吐き捨てるように呟いた後、すっかり沈み込んでしまった青島に、掛ける言葉も無くしてしまう。

 青島自身が語ったわけではないが、彼が誰かと付き合っているということは、既にすみれを初めとする湾岸署員の知るところであった。もっともその相手が誰なのか正確に把握しているのは、ほんの一握りの人間である。そして、すみれはその中でもっとも正確な情報を掴んでいる人物であった。

 すみれが青島の相手を知ったとき、確かに驚きはしたものの、不思議に嫌悪感は沸かなかった。それどころか、むしろそれはとても自然なこととして受け止めてしまった。

 もしかすると、すみれの中でこうなることをある程度予想していたのかもしれない。

 同じ理想を持った同志として誰よりも近いところにいた二人。

 誰よりも強い絆で結ばれていた二人。

 ずっと二人を見続けてきたすみれにとって、それはごく自然で当たり前の事であった。

 そして、すみれは二人のもっとも良き理解者となった。

 そこに多少の下心があったことは…まあ否めないが。

 

「でも、仕方がないよね。仕事だし」

 先程とは打って変わった明るい口調にはっとして顔を上げると、大きく伸びをしながら妙に吹っ切れた笑顔ですみれを見詰める青島の笑顔があった。

「室井さんが頑張ってるのは俺たちの夢を叶える為なんだよね。…なのに俺が我侭言っちゃいけないよね。頑張ってる室井さんの足引っ張るようなことしちゃ……駄目だよね」

 ことさら明るい笑顔を向ける青島に、見詰めるすみれは切なくなる。

 室井の事を思うと時、どんなに笑っていても青島の瞳から不安と淋しさが消えることはない。

 同性同士。

 キャリアとノンキャリ。

 本店と支店…。

 彼らの前に立ちふさがる壁は何処までも高く、厚い。

 それに加えて二人の間には、大切な『約束』がある。

 二人の心を硬く結び付けた大きな『約束』。

 だがその『約束』はあまりにも大きすぎて、時として二人を苦しめるもっとも大きな壁となる。

 もしその『約束』がなければ、二人は何事にも縛られないもっと自由な恋人同士になれたのかも知れない。だがその『約束』があるからこそ、今の二人がここにあるのも事実。

 矛盾と葛藤。

 それは今の青島の心そのものなのかもしれない。

―‐ 会いたい。

―‐ ずっと傍にいたい。

 だが、それは言ってはいけないこと。

 『約束』の為頑張っている室井の足かせになってはいけない。

 だから、いつも本心を隠して笑ってみせる。

 「仕方がない」と聞き分けのいい大人の顔で笑っている。

 誰よりも脆い子供の彼が。

 それがすみれには辛かった。

 

 

「そういうわけだから、今日のデートはキャンセルになったってこと。時間も空いたし、今日は溜まった書類の片付けでもするよ」

「……うん」

 笑ってそういう青島にそれ以上何も言うことも出来ず、再び彼に背を向けて書きかけの報告書に向かう。ペンを止め背後に耳をすませてみれば、聞こえてくるのは、紙の上を走るペンの音と、時折混じる微かな溜息。

(…なんとかしなくちゃね)

 背を向ける青島に気付かれないようにこっそりと溜息をつき、考える。

 しかし、「なんとか」とはいうものの、一体如何すればいいのやら。

 一番いいのは室井に仕事を放棄させ、今すぐ青島と会わせることなのだが、そんなことできるはずもない。第一そんなことをしても意固地になっている青島が素直に会うとは思えない。怒って追い返すのが関の山だろう。

(大体不器用すぎるのよ)

 仕事の事に関しては器用すぎる青島も、こと恋愛のことになるとまったく駄目らしい。

 相手の事を想い過ぎて、自分の心は常に置き去り。

 自分より相手の為。迷惑になってはいけない。邪魔になってはいけない。

 自分勝手に縛り付けてはいけない。相手の望みのために。相手の為に。相手の為に…。

(それはそれで悪い事じゃないんだけどね)

 だが、それも限度というものがあるとすみれは思う。

 相手を常に気遣うと言うのも確かに大事な事だが、其の為に自分を殺すのは間違っていると思うのだ。現に言いたことも言わず、本心を隠しただ相手を思い遣ってばかりいる青島は、今の位置から一歩も先に進めないでいる。

(…まったく、いいトシした大人の恋愛じゃないわよ)

 子供のくせに妙な所で大人。

 頑固で強引なくせに肝心な所で臆病。

 そんな青島の本心を吐き出させるのは一筋縄ではいかないだろう。

(でも、いつまでもこのままって訳にはいかないわよね。さぁ如何したものかしら)

 あれこれと、報告書そっちのけで考え込んでいた丁度其の時、すみれの耳に電話の呼び出し音が飛び込んできた。

「ああもう!今それどころじゃないっていうのにっ!…もしもし!?」

 ペンを放り出し、噛み付かんばかりに取り上げた受話器の向こう側にいた意外な人物は…。

「…え?……青島君…は居ますけど、どちら…あ!?」

 聞こえてきた名前に慌てて振向くと、いつのまに席を立ったのか青島の姿は無かった。おそらく気分転換にコーヒーでも淹れに行ったのだろう。

「ごめんなさーい。青島君今ちょっと席を外しちゃってて。すぐに戻ってくるとは思いますけど…」

 そのとき、すみれの頭にふとあることが閃いた。…この人なら。青島が兄のように慕うこの人物ならば、あるいは。

「ねぇっ!今ちょっとだけいい?……青島君のことで頼みたいことがあるの!」

 そう告げると、すみれはもう一度辺りを見まわして青島の姿が無いことを確認し、受話器を両手で隠しながら小声で話しはじめた…。

 

 それから少しして、休憩室で一休みしていた青島が帰ってきた。

 気の乗らない始末書の続きを書こうと思った青島の目に、デスクの上においてあるメモが写る。見覚えのあるすみれの字で書かれた、見覚えの無い番号。

「すみれさん、これ何?」

 相変わらず背を向けて書類に向かっているすみれにメモを片手に問う。

 返って来たのは、彼女らしい短く簡潔な返事だった。

「さっき、電話あった。そこに掛けてくれって」

 どうやらメモの番号は携帯電話のナンバーらしい。しかし一体誰なのだろうか。

「忙しいから、早く連絡くれって」

 誰から…とこちらが尋ねる前に、急かすようにすみれが畳掛ける。

 そう言われてしまうと、それ以上は何も聞けず、青島は戸惑いながら仕方なくメモの番号を押し始めた。

 たどたどしく電話をかける音。その後に続く沈黙。

 困惑する青島の気配を背後に感じながら、気付かれない様にそっと振向く。そして。

「……あ?…もしもし湾岸署の青島と申しますが。先程お電話いただいた…あぁ!?……その声、なんだ!お前…時田か!」

 緊張気味だった声が、一気に弛んで行く。

 

 時田敦。

 

 青島の学生時代からの先輩で、彼が兄のように慕っている人物である。

 そしてあの夏の初め。青島と室井がお互いの気持ちを確認しあった事件の関係者でもあった。

「なんだよー、電話だって言うから一体誰かと思ったら…。わざわざ署にかけてこないで、携帯にかければいいのに。……え、電源?………あっ!ごめん。そういえばさっき…。あ、いや、こっちの事。…で、急に電話してきてどうしたの?……急用?」

 楽しそうに話す青島の背後で、書類に専念する振りをして会話に聞き耳を立てているすみれ。

 勿論青島はそのことにまるで気が付いていない。

「今夜?…うん、別に用は……ないよ」

 楽しそうに会話していた声が、僅かに途切れる。

 受話器を持つ手とは反対側に握られたボールペンが、形の無い落書きを書類の上に走らせていた。

「……一緒に?でも、お前今いろいろと忙しいんだろ?それに、俺…今日は…」

「いいじゃない。どうせデートが潰れて暇なんでしょ?せっかくのお誘いなんだし行ってくれば?」

「す、すみれさん!?」

 時田の誘いに迷う青島を煽ったのは、今まで報告書に専念していたはずのすみれだった。

「どうせ、ここにいたってまともに仕事なんて出来ないんだから、思いきって憂さ晴らししてくれば?」

「で、でもね」

「でも、何?…それとも青島君、今晩夜食奢ってくれる?」

「行きます。遠慮無く行かせて頂きます!なんなら今直ぐにでも…!!」

「どういう意味よ、それ!」

 夜食の話を持ち出したとたん、慌てて時田と約束を取り付ける青島の態度に、いまいち納得がいかないものを感じるが、ほぼ予定通りに事が運んだので良しとする。

「じゃあ、7時に。…うん、いつものところで」

 青島が受話器を置いたのを確認した後、こっそりと笑みを浮かべながら自分の机に戻る。

 賽は投げられた。あとは、時田が上手くやってくれるのを願うばかりだが。

「…まあ、なんとかなるでしょ!」

「すみれさん、なんか言った?」

「べっつにー」

 訝しげな青島の視線を背中に感じながら、鼻歌交じりにペンを走らせる。

 

 

 全ては今夜。

 波乱の夜はもうそこまで来ていた。

 

続く!

 


お待たせ致しました―!

30000Getのともか様のリクです。

『OPEN YOUR…』の時田君の絡んだ「嫉妬する室井氏」が見たいのことでしたが…。

いやはやすっかりお待たせ致しまして申し訳ありません。

しかも続いちゃったし()。あ、でも多分次で終わります!

…多分(滝汗)