OPEN YOUR HEART
〜OPEN YOUR … 外伝・中編〜
闇夜を照らす炬火にも似た優しい橙色の光が、手首に填められた無骨な時計の針を照らし出す。針が指し示す時刻は約束の時間をすでに一時間も過ぎていた。
一定のリズムで時を刻みつづける腕時計から視線を外し、頬杖をつく。
耳元に聞こえてくる微かな秒針の音。
店内を流れる穏やかなBGMに合わせ、琥珀色の液体の中で半分融けかけた氷がグラスと共に小さな音楽を奏でる。
ゆっくりと手元に引き寄せ覗き込んだグラスの中で、自分の瞳と同じ色をした液体が透き通った氷と踊っている。氷と液体を湛えたグラスの周りには、さらに透き通ったいくつもの小さな水滴。見詰め続ける視線の先で、小さな一つの水滴が涙滴となりグラスの縁を滑って行く。そしてそれはコルク製のコースターに静かに吸い込まれていった。
「……」
最初の一つに続いて幾筋もの涙滴が流れ消えていくのを暫くの間ぼんやりと見詰めていた瞳が閉じられる。
続いて掌に収まったグラスが一気に空けられた。
溶けた氷で多少薄くなったとはいえ、度数の高いアルコールが喉と空っぽの胃を焼いていく。
「…ふぅ」
思わず漏れた吐息に自嘲しながら、更に強いアルコールを注文した。
味を楽しむわけでも香りを楽しむわけでもない。
ただ体の内部を焼く熱に酔いたかっただけ。
全てを忘れてアルコールに溺れたい。ただそれだけだった。
だが、いくら酒盃を重ねても、頭のどこかが覚めたまま。
無意味な行動を笑って見ている自分がいる。
満たしても満たされない。
心のどこかが空っぽのまま。
何かが足りない。
何が足りない?
「……」
答えを探ろうとして苦笑する。答えなんて初めから解っていたはずなのに。
再び熱い液体を一気に飲み干す。
足りない『答え』の代わりにアルコールを空っぽの心に流し込む。
でも、それは結局何も満たしてくれないままで。
空になったグラスの中で。
取り残された氷が小さな音を立て崩れた。
それから更に30分近い時が過ぎた後。重いオークの扉を開けて彼の待ち人が現れた。
すらりとした長身の整った顔立ちの男。――時田だった。
時田は、カウンターに陣取りグラスを傾けている青島の傍に真っ直ぐに歩み寄った。
座ったまま酒を呑んでいた青島が、気配に気付いて顔を上げる。
時田の姿を認めた瞳に、ほんの一瞬歓喜の色が現れ、それはすぐに咎めの色にとって変わった。
「…遅い!」
「ゴメン、ゴメン。バンドの奴らとの打ち合わせが長引いちまって…」
謝る時田の言葉を聞いているのかいないのか、そっぽを向いたまま一人グラスを傾けている。どうやらすっかり拗ねてしまっているらしい。
そんな青島の姿に苦笑しつつ横に座り、彼が飲んでいるものと同じものを注文する。
いまだこちらを向こうとしない青島を横目に運ばれたグラスに口をつけ、そのアルコールの強さに顔を顰めた。
改めて青島を見ると、彼は何食わぬ顔でグラスを一気に空けていた。
―― おいおい。
学生時代から一緒に酒を飲んできた仲である。青島の酒量限度は熟知している。この程度の酒でどうにかなるということはないと判ってはいるものの、そのペースの速さには流石に心配になってくる。
もともと飲ませ上手な青島は、他人と飲んでいても滅多に自分の限界を超えることはない。
たとえ超える事があったとしても、それはよほど親しい極一部の人間と呑んでいるときだけだった。だがその時にしてもこんなハイペースで、無茶な呑み方など絶対にしなかったのである。
―― こりゃ…そうとう煮詰まってんな。
不機嫌なままの横顔を見ながら、昼間、青島の同僚である恩田すみれと交わした会話を思い 出した。
『…青島君、なんでも無いって顔してるけど…』
『本当は、会いたくて仕方が無いくせに…』
青島が想いを寄せている人間。
去年の初夏。偶然再開した青島の隣に座っていた一人の男。
最初はアンバランスな二人の組み合わせに戸惑って。だが一緒に飲んでいるうちに、青島が、その男――室井の事をどれだけ信頼しているのが判って。そしてあの事件のとき。自分を巡り対立した二人と、お互いを見る瞳に何かを感じて。
結局背中を押したのは自分だった。
大切な気持を伝えず、擦れ違ったまま終わってしまった自分たちのようになって欲しくなかったから。
障害の多い恋だということは誰の目にも明らかだった。だがこの二人なら、それを乗り越えることができるとそう信じて。
しかし、現実はそれほど甘くなかったようである。
―― どうやらこいつの一番悪い癖が出ちまったみたいだな。
隣の青島に気付かれないようにそっと溜息をつく。
相手を想い過ぎて雁字搦めになってしまっている不器用な奴。
甘えたいのに甘えられないで、一人泣いてる幼い子供。
―― 全く何やってんだか…。
昔からずっとそうだった。
他人の気持には敏いくせに、自分の気持には疎くて。
好きな子が出来ても周りに気を使ってばかりいるから、いつも肝心なところで一歩引いてしまう。
人当たりの良い振りを演じながら、人の心に踏み込むことが出来ない臆病者。
昔からそんな青島のことが放って置けなかった。
―― もう一度だけ…背中、押してやるか!
強い香りと味のする酒を一気に煽る。
何処までも手間の掛かる弟だと困りながらも、どこか楽しそうな時田だった。
「しゅんさくく〜〜ん、こっち向いて♪」
しっとりと落ち着いた雰囲気の店内とおよそかけ離れた能天気な時田の声が響く。
「しゅ・ん・さ・く・くん♪いい加減機嫌直そ〜よ〜」
やたら滅多ら明るい声で話し掛けられている青島は、相変わらずそっぽ向いたまま。
「俊作くんたら、いつまで拗ねてるつもりかな?いつまでもそうやって、お兄さん無視してると…」
能天気な声に、なにやら不穏な響きが微かに混ざる。それに気付いたのか、横を向いたままの青島の方がぴくりと動いた。
「俊作君の恥ずかし〜〜い話、大声で話しちゃうぞ!…あのね〜〜!俊作君ったら、むか〜〜〜し銭湯で…」
「わ――っ!わ――っ!!何言ってんだよっ!」
「何って…昔お前が銭湯で思いっきり派手に転んで湯船で溺れかけた話を…」
「しなくていいっ!そんな話っ!!」
「え?…じゃあ夏休みの時にやった肝試しの話は…」
「それもだめっ!」
「なんだよ〜、あれも駄目これも駄目って」
「もっと他の事話せばいいだろ。最近の事とか…」
「最近の事ねぇ…」
顎に右手をやり考え込む時田を無視して、またも一気にグラスを空にする。
カウンターの中で客に気を配りながら、さり気無い沈黙を守る老バーテンダーにおかわりを注文した時だった。黙り込んでいた時田が小さな声でぽつりと呟いた。
「…だったら……室井さんの話なんてどうだ?」
「……え?」
かなりアルコールの廻った瞳で、ぼんやりとどこか空を見詰めていた青島の瞳に動揺が走る。慌てて横を見れば、ふざけた顔をしているが、真剣な光を湛えた目で自分を見ている時田がいた。
「…昼間電話を掛けた時に、お前の同僚の…すみれさんだったかな?その彼女が言ったんだよ。青島君が室井さんとのことで余計な事を考えすぎて煮詰まってるって。…心配してたぞ?
なんだか見てて辛いってさ」
「べ、別に俺は…何も」
「嘘つけ」
新しく注がれたアルコールに伸ばそうとした青島の手を、時田の鋭い声と瞳が止める。
「酒に逃げんなよ。どうせお前の事だから、室井さんの邪魔にならないようにとか、室井さんを困らせないようにとか、そんなことばっかり考えてんだろ?」
「…そんなの当たり前じゃない。室井さんはキャリアなんだよ?ただでさえ障害が多いのに、俺なんかのことで煩わせるようなことできるわけ無いじゃない。俺に会うよりもっと有意義に時間を使って上に行ってくれなきゃ。俺の勝手で我侭言ってたら駄目なんだ。……もうこれ以上足を引っ張ることなんて出来ないよ」
段々と、聞き取り辛くなる声で語る青島に、そっと溜息を吐く。
こいつは昔から何も成長しちゃいない。
いつまで経っても臆病な子供のまま。
時田は、青島に聞こえるようなわざとらしい溜息を吐くと、大げさに肩を竦めて呆れたように話し始めた。
「まあ、お前のその考えもごもっともだな。警察ってところも、いまだに古くさい封建的な考えのところらしいからな。出世を望むなら余計な事は、しないが勝ちってことか」
「余計な事って…」
「違うのか?そう言うふうに聞えたぞ。…しかし室井さんも、お前の話に聞いてたほど、たいした男じゃ無かったって訳か」
「なんだよ!それ!!」
思わぬ時田の言葉に、青島の顔に怒りが浮かぶ。睨みつける青島の視線を軽く受け流しながら、更に追い討ちをかけるように時田の話は続く。
「だってそうだろ?お前一人の我侭も受け止められない度量の小さい人間が、警察機構を変えるなんて、そんな大それた事できるわけ無いじゃないか。所詮室井さんも、そこら辺のキャリアと同じ…」
「違う!室井さんはそんな小さい人間じゃないっ!俺との事だって、リスクばっかり大きくてマイナス要因にしかならないって解ってるのに、それでもちゃんと受け止めて…好だって言ってくれたんだ。俺と一緒なら頑張れるって。絶対に潰されたりしない。どんなことがあっても夢を叶えるって…。室井さんは…そんな、本当に強い人間で…っ!」
「…そこまで解っているんだったら、何の遠慮も要らないじゃないか」
「え…?」
今までの、嫌味交じりの口調と違う優しい口調に怒りを忘れ、時田を見る。
彼は、昔から青島が良く知っている優しい兄の顔で笑っていた。
「どんなことがあっても潰されたりしない。一緒に夢を叶える。…そう言ったんだろ?だったらそれを信じれば良いんだよ。室井さんは強いんだろ?その強さをお前が信じなくて如何するってんだ」
「……でも」
「でももだってもない。お前と付き合うことのリスクなんて室井さんだって覚悟の上だ。それでもお前と一緒にいることを選んだって言うなら、一緒にいれば良いんだ。我慢しないで傍にいて、いろんな事を話して、触れ合って、抱き合えば良いんだ。そうやって初めて通じるもんだってあるんじゃないか?」
「……」
青島は何も答えない。グラスの中で融けていく氷を黙って見ていた。
「確かに我侭言って相手を困らせたくないっていうお前の言うことも正しいよ。だけどな、そうやって気ばっかり使ってると、一番大事な気持はいつか死んじまうぞ。相手だってそんなのは迷惑だ。…それにな、お前の場合はそうやってただ逃げてるだけなんだよ」
「俺が…逃げてる?」
重い視線をグラスから引き剥がし、困惑のまま時田を見る。
自分が、一体何から逃げ出しているというのか。
「お前は昔っからそうだったよな。相手を気遣う振りをして自分の本音を絶対言わなかった。本当の自分をぶつけて、それが拒否されるのが恐くて。自分が傷付くのが嫌で、いつも相手と距離を置いていた」
好きな相手が出来ても、本音で付き合わない。
喧嘩もしない。
本心の伝わらない上辺だけの付き合いだから、いつのまにか終わってしまう。
「…今だって同じだよ。『会いたい』って言って、室井さんに拒否されるのが恐いんだろう。相手の都合に合わせていれば、少なくとも嫌われることはない。そう思ってんじゃないか?」
「それは…でも」
「会いたい時は素直に会いたいって言えば良いんだ。それとも、お前は室井さんに会いたくないのか?」
「会いたくないわけないだろっ!ホントは、今すぐにだって…!」
からかうような時田の言葉に思わず反応してしまう。
まんまと乗せられた事に気付いても後の祭りである。ニヤニヤと笑いながら自分を見ている時田を無視し、グラスの液体を一気に煽った。
「素直になれよ。室井さんだってそういうお前のほうが好きだと思うぜ」
「……」
「大体なぁ、子供のお前に大人の駆け引きなんて無理なんだよ!好きなら好き。ドンとぶつかって行きゃ大人の室井さんがしっかり受け止めてくれるって。大丈夫だよ。何てたって、お前が信じた男…なんだろ?」
笑い声を含んだ時田の言葉を聞きながら、青島の脳裏に様々な室井の姿が浮かんで消えた。
初めて会ったとき。
安西を追って二人で初めて現場に出たとき。
杉並署から湾岸署に戻してもらった日、初めて聞いた室井の愚痴。
擦れ違いと誤解から一時は修復不可能なほどの亀裂が入ったこともあった。
―― 室井さん…。
室井に好きだといわれて、初めて自分の気持を打ち明けた時。
その胸に飛び込んだ自分を室井は力強い手で、しっかりと支えてくれた。
「……時田…俺」
ぐるぐると回り続ける思考の中で、時田を見る。
「ん?どうした?」
思考だけでなく、問い掛ける時田の顔も回っている。
「俺…室井さんに……」
回りつづける思考と視界。
「室井さんに?」
「……室井さんに……会いた……」
青島の意識はそこで途切れた。
「おーい、俊作くーん。どうしたぁ?」
揺すっても叩いても起きる気配なし。どうやら完全に潰れてしまったらしい。
「やれやれ。途中で止めたら『会いたい』んだか『会いたくない』のか判らないじゃないか。ね、マスターもそう思うだろ?」
「さぁ?どちらでしょうねぇ。」
カウンターの中で、静かにグラスを磨いていたこの店のマスターは、笑いながらそう答えただけだった。
すべてを承知したように笑っているマスターに小さく苦笑を返しながら今の時刻を確かめ、携帯のナンバーを押す。
短いコール音の後、聞こえてきた声は。
「あ、すみれさん?時田です。……うん、完全に潰れてるよ。……いいや、自分からガンガン飲んでた。マスターに頼んで無理に強い酒勧めてもらう必要なかったな。……うん、そう、自棄酒。最初に一時間以上待ちぼうけ食らわせたのが正解だったかな?後は…『彼』の方だね。どう?連絡取れそう?……」
それから二人で短いやり取りを交わした後、携帯を切る。
「ま、後は野となれ山となれってか」
一言呟いて携帯を切る。
青島の背は押した。
後は向こうの出方次第だ。
似た者同士の二人。全く何処までも手間の掛かることである。
「しょうがないか、乗りかかった船だし。最後まで付き合うさ」
カウンターで気の緩んだ顔で眠りこけている青島を見ながら独りごちる。
結局。
何だかんだと言って、楽しそうな時田であった。
あれ?続いちゃった…。
次で終わりのつもりだったのに、終わりませんでした;;
なんだかリクからどんどんずれてるような気がするし(汗)
青島君は小学生以下になってるし…(大汗)
室井さんは出てこないし……(滝汗)
はっはっは。
今度こそ次回で終わりですっ!
終わる…よね?