Puppy Panics !
その一 死神と子犬(2)
それにしても。俺は今何をしてるんだ?
目を閉じたところまでは良いけど、その後一体如何したんだ?まだ夢でも見てるんだろうか?
頭も体もふわふわして…。
「もしもーし。私の声が聞こえますかぁ?」
なんだか水の中をふよふよ漂ってるような変な気分で…。
「だいじょーぶですかぁ?ちゃんと死んでますかぁ?」
あー、はいはい。大丈夫っすよ。心配しなくてもちゃんと死んでるから…。…って、…え?今なんて
言った?!
「あ、ちゃんと死んでるみたいですね」
な、なんだって!?ちゃんと死んでるって、如何言うことだよ!俺が?…俺が…死んだ、だって!?
ぼんやりしていた意識が一気に覚醒する。といっても相変わらずよく解からない浮遊感はそのまま
だけど。
「えーと、青嶋峻作さん。男性。江東区在住。1967年12月13日生まれ。享年32歳。…で、
間違いないですね」
なんなんだ?一体何がどうなってるんだ?
混乱する頭で、目の前に立つ男を見る。
誰なんだ、こいつは?
事態を収拾しようと、冷静になろうとする俺の脳味噌に、目の前の男の姿が更に混乱に拍車をかける。
年齢は…不詳。何が楽しいんだか、ニコニコ笑ってる怪しいまん丸笑顔。小柄な体に紋付羽織袴。
足元には不釣合いな革靴はいて。おまけに頭に被った黒いシルクハットには、真っ赤な絹のリボンが
どんっ!と付いてて…。
…怪しい。
もうこれ以上は無いというほど、怪しい男。
なんなんだ?…こいつは?
「あ、申し遅れました。私はこういう者でございます」
訝しげなこちらの視線を感じたのか、丸い顔を更に丸くしながら男が懐から一枚の名刺を取り出した。
何の飾りも無いごく普通の名刺。そこに書いてあったのは。
『 全国魂安全管理組合
関東b‐13地区担当案内人
死神 第四二五三号 』
……。
死神…?
「私のことは『しーちゃん』とでも呼んでやってください」
…しーちゃん?
「はい。死神の、しーちゃん♪」
………。
なんだか頭が痛くなってきた…。
「ありゃ?頭が痛い?それはいけませんねー。もしかしたらまだ魂が完全に抜けきって無いのかな?」
目の前の怪しい不審人物は、一体何処から取り出したのか、これまた真っ赤なリボンのついたステ
ッキを振りまわしながら、何かを考えている。
「よくあるんですよねぇ。自分が死んだことを認識できなくて、いつまでも体に縛られちゃう事が」
そう言って、一人何かに納得している。
それにしても…。
死んだ事に気がつかない?
体に縛られる?
さっきからこの男は一体何を言っているんだ?
自分を死神だとか言ってみたり、俺が死んだと言ったり…。
ちょっと待て。さっきもそう言ったよな。俺が…死んだって。
「そうです。あなたは死んだんですよ」
俺が…死んだ?
「はい。覚えてませんか?あなたは先程、道路に飛び出した子犬を庇ってトラックに撥ねられて、
死んだんです」
俺が…?そんな…嘘だろ?
「嘘じゃありませんって。ほら、よーく見てください」
男のステッキがくるりと回る。
その瞬間、まるで厚く立ち込めていた霧が晴れるように周りの景色が戻る。
いくつものヘッドライトが通り過ぎていく横断歩道。集まり輪を描く野次馬達。その真中に。
頭から血を流して倒れている一人の男。その男に必死に応急処置をしている男…。あれは室井
さん?そして、倒れているのは…。
俺…?
非現実的な光景。
血まみれで倒れている自分の体を、俺は少し浮んで見下ろしている…。
「これで解かっていただけましたか?あなたは事故で死んだんです。それで私があの世までの道案内
にやってきたんですよ」
あの世までの、道案内。
魂を運ぶ、…死神?
ニコニコと愛想を振り撒いているこの男が、死神?
「御理解していただけましたら、こちらの死亡承諾書に署名と押印をお願いします。あ、印鑑無ければ
拇印でも結構ですので」
目の前に差し出された書類。形式ばった文体で一言。
『私は魂保護法第51号により、自分が死んだ事を承認致します』
……ちょっと、待てよ。
「どうかしましたか?」
五月蝿いっ!!何が死亡承諾書だっ!何が死神だっ!性質の悪い冗談は辞めろよなっ!!
大体何で俺が死ななきゃならないんだっ!?第一俺は生きてるじゃないか!ここに、こうやって二本
の足で立って、…歩いて…喋…って…。
……。
「気がつきましたか?」
相変わらずの笑顔のままで、男が尋ねてくる。
その人懐っこい笑顔が何か恐ろしいものに見えてきた。
背筋に冷たいものが流れる感覚。
…そう、俺はあることに気がついた。
俺は、さっきから一言も喋ってないって事に。
「魂になった方達は喋る必要ありませんからね。心に思うだけで相手に言葉が通じますから。あと、
実体が無いんですから立って歩く必要無いですよね」
ずっと感じ続けている奇妙な浮遊感。実体が無い魂だけの存在。
それじゃ…俺は、本当に…?
足元に繰り広げられる光景に目を移す。
赤い回転灯を回しながら滑りこんでくる救急車。俺のぐったりとした身体がストレッチャーに乗せられ
運ばれて行く。その傍で何かを俺に話しかけてる室井さん。二人(?)の姿が救急車の中に消えて行く。
まるで良く出来た無声映画。一切の音が無い世界に繰り広げられたそれを、俺は呆然と見詰めて
いた。
「納得頂けましたら、こちらの書類に署名お願いしますね。ああ、でもちゃんと御理解して頂いて良か
ったですよ。これも良くあることなんですけどね、こういった突然の事故死の場合、御自分が死んだ事
になかなか納得して頂けなくて、説得にかなり苦労するんですよ。ひどい時にはそのまま自縛っちゃう
魂もありますし。…まぁ、そんなに落ち込む事はないですって。あの世もなかなか良い所ですよ」
どんなに良い所だってあの世はあの世だろうが…。
一人長々と喋り続ける男の声を聞きながら、ぼんやりとそんな事を考える。
もう、怒鳴る気力すら残っていない。
もう、どうでも良いような気にすらなってきて。
呆然としたまま、死神から書類とペンを受け取り、自署押印欄にサインをし拇印を押す。
白い紙に書かれた名前と朱色の拇印の押されたそれを、ぼんやりと見詰める。
俺…本当に死んじゃったんだ…。
「サインが書けましたら、そろそろ行きましょうか。あ!あの世までのコースは如何します?今なら
サービスで、お一人様一名様に限り夢枕に立つことができる遺言オプションもありますし、最近は
10名以上の団体死亡様に限りですけど、地獄極楽ツアーなんていうのも出来ましたしね。他にも
いろいろ御用意してますけど…?」
……どうだって良いよ。そんなもん。
別に言い残したいことなんて無いし…。やり残した事は山ほど有るけどさ…。
「先程の人には、何か言い残す事とか無いんですか?」
先程の…って、室井さんに?
「ええ、その室井さんって方に」
…室井さんには。
……。
もう…良いよ。
言いたいことは、さっき言ったばかりだったから…。
ずっと言いたかったことはさっき言ったばかりだった。
でも…。
ずっと悩んで迷って告げた言葉だったけど、こんな事になるんだったら、言わなきゃ良かった…。
室井さんに嫌われたまま死んじゃったぐらいなら…。
後悔先に立たず。
一寸先は闇。
人生なんて、ホント何が起こるかわかんないものだね。
「…それじゃ、そろそろ行きましょうか」
うん。もうさっさとあの世とやらへ連れて行ってよ。
「はい!おっと、その前にもう一度、書類の確認を…って。あれぇ?」
なんだよ?何か俺の字に問題でもあるっていうの?
「いえ、あなたの書かれた字には問題無いんですけど、でも字に問題があるのは間違いないですし…」
なんだよそれー?言ってる事が訳わかんないよ。
「ちょ、ちょっと待っててくださいね!すぐ確認致しますからっ!」
そういうなり死神は慌てて懐からミッフィーのストラップ付きの携帯電話を取り出すと、何処かへかけ
始めた。
「あ!管理事務局ですか?死神第四二五三号ですが、実は本日の死亡者の事で。…ええ、六本木で
死亡予定の青嶋峻作の事ですが、本人のサインと死亡予定表の字がですね…。…はい、至急確認
お願いします」
なんだよ。一体どうしたっていうの。
「あ、もう暫く待っててくださいね!」
今までヘラヘラ笑っていたとは思えないほど、ひどく焦った感じの死神。
一体どうしたってんだろう?こっち向いてる笑顔もがちがちに強張ってるし。…しっかし、油汗かきな
がら笑う姿ってのも、結構恐いもんがあるよなー。
「…あ!はいっ!…はい。……え?人…違い?……青島じゃなくて青嶋?…俊作じゃなくて峻作!?
でも、年齢も死亡時間も…は、はい。……そうですか。…わかりました!では至急そのように。…では!」
焦りまくっていた死神と管理事務局とやらの会話が終る。
くるりとこちらに向き直った死神の凍りついた笑顔に、一筋の汗がたらりと流れてて…。
「あ…あは…あははははははは」
はっはっはっはっは。
気のせいかなー?今、人違いって聞こえたような気がするんだけど…?
「え、え〜と…」
おーい、それは一体どう言うことかなぁ?
「も、申し訳ございませ〜〜〜〜んっ!!」
おいっ!!人違いってなんだよ!俺は間違いで殺されたってのか!?
「い、いえ!決して殺されたと言うわけではなくて…。その…これは非常に稀なケースなんですけどね…」
稀なケースってなんだよ!
「じ、実はですね、先程事務局にもう一度確認取りましたら、今日ここで死ぬはずだったのは、あなた
ではなくて、本当はもう一人の…読み方は同じですが、字の違う『青嶋峻作』さんだったんです」
なんだよっ!やっぱり人違いで殺されたんじゃないかっ!
「話は最後まで聞いてください〜!別に殺されたという訳ではなくてですね、。え〜と、これは本当に
稀なケースなんですが、どうやら、あなたと今日ここで死ぬはずだった『青嶋峻作』さんとの運命が入
れ替わってしまったみたいなんです」
運命が、入れ替わる?
「はい〜。『青嶋峻作』さんと『青島俊作』さんは漢字違いの同姓同名。しかも誕生日も同じ1967年
12月13日。この二人が偶々同じ時刻の同じ場面に居合せてしまった為に起こってしまった…いわば
偶然が重なった結果の事故みたいなものでして」
だからって、何で俺が死ななきゃならないわけ?
「…あなた、御自分でも知らないうちに事件に捲きこまれたりとか、御自分の周りで大きな事件がよく
起こる事が無いですか?」
…な、なんだよ、いきなり…。
「どうなんです?」
有るよっ!悪かったね、事件を呼び込み易くてさ!!
「……やっぱり」
でも、それが今の事とどう関係するって言うんだよ。これとそれとは全く関係無いだろ?
「あなた、御自分で気がついていらっしゃらないでしょうが、非常に大きな『運命干渉力』を持っている
んですよ」
運命…干渉力?なんだそりゃ?
「早い話が、『トラブル捲き込み体質』って事です」
……。
な、なんか、今凄く身も蓋もない言われ方したような気がするんだけど…。
「今回も、いろいろな偶然が重なった上に、あなたのその体質が加わったせいで、本来起こりうる事
のない事故が発生してしまったらしいんですよ」
それって…つまり…。
俺のせいっ――――っ!?
「そう、なりますかねぇ」
そ、そんな…。そりゃたしかに俺は『トラブルメーカー』とか『事件を呼ぶ男』だとか、いろいろ言われ
てるけどさぁ…。
まさか、こんなトラブルまで招き寄せなくったっていいじゃない…。あー、もうなんだか泣きたくなって
きた…。
「あぁ、そんなに落ちこまないで下さい!!稀なケースとはいえ、対処法がないわけでは無いんです。
事務局の話では手続きに少々時間がかかりますが、あなたを生き返らせる事は出来るらしいんです」
…え?
「今回の事故の経過を説明し、あなたの死亡承諾書を取り下げてもらって、改めて運命のやり直しを
請求すれば…」
俺が…生き返る事が出来る…!?
「はい、必ず!…これから事務局に行ってその手続きをして参りますので、少々待って頂けますか?」
待つ!ホントに生き返れるんならいくらでも待ってやるっ!
「それでは早速…」
…あ、でもその間の俺の身体はどうなっちゃうわけ?今の俺の身体って、はっきり言って死体だ
よ?このまま行政解剖に回されちゃったら生き返るどころじゃなくなってしまう。
「その点も御心配なく。すでに事務局のほうで肉体の延命措置をしているはずです。あなたの肉体は
死体ではなく、意識不明の重体患者として取扱われます」
おーっ!仕事速いねー。さすが魂管理組合!
「任せてください!我が魂安全管理組合は常に迅速丁寧なサービスがモットーですから!」
うーん、何処かの行政組織に聞かせてやりたい台詞だ。
「それじゃ申し訳ありませんが、なるべく御自分の身体に近い所で待っていて頂けますか?手続きが
終り次第すぐ戻ってきますから」
うん。なるべく早く戻ってきてね。
「では!また後ほどっ!」
そう言い残すと、死神は現れた時と同じように突然姿を消した。唐突な奴である。
まぁ、これでもとに戻れるって言うんだから良しとしよう。
後は大人しく待つだけ…って、どこで待ってれば良いんだ?
確か、自分の身体に近い所って言ってたけど…。
ふと、事故に合った自分の身体を思い出して、ぞっとする。
血の気のない白い顔。頭から流れ出てた赤い血。
そして、その傍にいた…。
室井さん…。
その瞬間だった。
不意に訪れた酩酊感。
気持ち悪くて、思わずその場に蹲る。
気がついた時、俺の目の前にいたのは…。
つづく
この話のもう一人の主人公(!?)死神しーちゃんの登場でございます(笑)
そういえば、去年のシドニーオリンピックの時、
現地で日本人選手を応援する名物おじさんとして、
シルクハットに紋付袴姿の方を紹介していたのを見て、ぶっ飛んだ覚えがあります(^_^;)
勿論この原稿を書き上げたのは、真夏の頃。オリンピック開催よりずっと前。
偶然って有るんですね〜〜。
以上チョコっと裏話でした。