Puppy Panics !


 

その一  死神と子犬(3)

 

 

 うわぁっ!!

 ビックリしたっ!!

 いきなり目の前に現れた室井さんの顔のアップ。

 なんだ!?何が起こったんだ?

 慌てて体を起こし、辺りを見回すと。

 そこはどこかの病院の廊下で。視線を上げると手術中の赤いランプが点灯している。

 ああ、そうか。ここって俺の身体が運ばれた病院なんだ。

 どういう作用が働いたのか解からないけど、俺は事故現場からここまで一瞬のうちに移動したらしい。

 赤いランプの下。閉ざされた扉が目に入る。

 この扉の向こうに俺の身体が…。

 扉の向こうに行こうとして、止める。

 手術中の俺の身体。何処をどんなふうに怪我したのかは知らないけど、自分の身体にメスが入って

るところなんて、あんまり見たいモンじゃないよな。

 それにヘタに動き回って、魂のほうにまで何か起こったら、生きかえるどころじゃなくなっちゃうしね。

 そう思いなおして、長椅子に座ろうとした時だった。

「……青島」

 突然聞こえた自分の名前に振り向くと、自分の横に眉間に皺を寄せ苦しそうな顔で、俯き座る室井

さんの姿。

 両手を膝の上で硬く組み、まるで何かに祈っている様にも見える。

「……あお…しま」

 事故現場じゃ聞こえなかった室井さんの声。

 な、なんだよ…。

 どうしてそんな声で俺の名前を呼ぶんだよ…。

 目を閉じて蹲ってる室井さん。

 よく見れば、その手がかすかに震えてて…。

 いつも毅然と前を向いていた室井さんとはまるで別人の様で。

 なんでそんな顔してんだよ。

 あんた、忙しい人なんだろう?こんな所にいつまでも居て良いの?

 俺のことなんか、放っておいて良いから早く帰りなよ。

 第一。

 …俺のことなんか、迷惑なんだろ?

 …付き合いきれないんだろ?

 ……嫌い…なんだろ?

 だったら。

 だったら、何でそんな顔してんだよ…。

 魂なんだから、涙なんて出ないはずなのに。

 それでも泣きそうになってくる。

 ああ。やっぱり俺、室井さんの事が好きなんだ。

 どんなに嫌われても、憎まれても室井さんの事がこんなに…好きだ。

 

 

 アイシテル。

 

 

 あの時、結局言えずに終った言葉。今ここで呟いてみてもあんたには届かないだろうけど。

 俺は、あんたを愛してるよ。

 多分今まで出会ったどんな奴より、この世のどんな人間よりも、あんたを愛してる…。

 実体のない腕を伸ばし、室井さんを包み込む様に抱きしめる。…ふりをする。

 不思議だね。触れられないのに、あんたの温もりが伝わってくるような気がするよ。

 室井さん、俺は。

 ここに。

 居るよ…。

「…あおしま?」

 ふと、室井さんが顔を上げた気配がした。

 まさか、俺の声が聞こえた…?

 室井さん!俺はここに…!!

「室井さん!!」

 と、突然広い廊下に響く声。この声は!

 走っちゃいけない病院の廊下の向こうから、誰かが全力で駆けて来る。

 あれは、すみれさん?それに真下に雪乃さんに、ちょっと遅れて和久さんまでいる。

 皆、どうして?

「青島君はっ!?」

 何処から走ってきたのか乱れる息のまま、すみれさんが室井さんに掴みかかる様に聞いている。

 雪乃さんも、追いついた和久さんも同じように息を乱しながら室井さんを見詰めている。真下は…。

 お前ねー、何やってんだよ。そんな所で倒れてんじゃないよ。

 女性のすみれさんや雪乃さん、それに定年過ぎた和久さんより体力なくてどうすんだ?あーもう何年

経ってもへなちょこなんだから。…やれやれ。

 

「室井さん、青島君は?無事なの?ねぇっ!」

「今…手術中だ」

 そう言って、点灯したままの赤いランプを見上げる。

 すみれさんは、張り詰めていたものが切れたのか、脱力した様に長椅子に座りこんでしまった。

「…助かるよね…。きっとすぐにもとの青島君にもどるよね」

 泣き出しそうな声。

 すみれさん…。心配かけてごめんね。

「ああ、大丈夫だ。あいつは確かにトラブルメーカーだけど、悪運だけは強ぇ奴だからな」

 すみれさんを力付ける様に、和久さんのでっかい手が彼女の小さな肩を叩く。

「きっと、いつもみたいにヘラヘラしながら『すみませんでしたー』とか言いながら出てくるさ」

 和久さんってば…。…あんまり似てないよ。

「そうですよ!青島さんは『愛と正義の味方』なんです!その青島さんが、そう簡単に死ぬわけありま

せん!!」

 ゆ、雪乃さん…。それは、ちょっと恥ずかしいかも…。

「第一あの世のほうで、先輩みたいな問題児はお断りだって言ってますよ」

 真下…。お前、生き返ったら覚えてろよ。

「そうだな。青島は大丈夫だ」

 室井さん…。

 皆、俺のこと心配してくれてる。

 ごめんね。それに…有難う。

 俺は大丈夫だから。死神が戻ってきたらきっと生き返るから。

 きっと…ね。 

 

 それにしても死神の奴、遅いな。

 時間だけが過ぎて行く。

 手術が始まってからどれくらい過ぎたんだろう。ずっと点灯していた赤いランプが消える。

「…!!」

 続いて出てきた執刀医らしい人物とその後ろに運ばれてきた俺の身体。

「先生っ!」

「手術は成功しました。後は…患者さんの体力次第です」

「それは…」

「とにかく意識が戻らない事にはなんとも…」

 医者の説明を聞き流しながら、自分の身体を見下ろしてみる。

 頭には包帯。頬も切ったのか大きなガーゼが当てられている。 

 目を閉じた、普通ならリアルタイムで絶対見ることが出来ないその顔を見下ろしてみる。

 気持ち悪い…。

 顔には血の気が全くなくて、まるで死体みたいだ…って、魂が抜けちゃってんだから半分死体みた

いなもんか。

 同じように俺の身体を見ている室井さんやすみれさんの顔も青褪めていた。

 心配掛けてごめんね。早くあの身体に返らなくっちゃね。

 あー!それにしても、死神の奴どうしたんだ!?遅すぎるぞ!!

 

 

 やがて俺の身体には、心電図やら脳波計やら点滴やら、いろんな線や管が取り付けられて集中治

療室に運ばれた。ドアにかけられた面会謝絶の札。

 うーん。まるで重体患者のようなこの扱い。そりゃ、魂抜けちゃった半分死体なんだから仕方がない

と思うけどさ。

 溜息をついて、ガラスの壁の向こうに眠る身体を見詰める。

 そして、同じように眠っている俺を見つめ続けている、室井さん。

 

 いつまでも、こんな所にいて良いの?

 すみれさん達はとっくに帰っちゃったよ?

 あんたには、他にやる事が沢山あるだろう…。

「あおしま…」

 

 まただ。

 お願いだから、そんな声で俺を呼ばないでよ。

 俺のこと嫌いなら、放っておいて…。

「放っておくわけにはいきませんねー。せっかく苦労して手続きして来たって言うのに」

 わぁーっ!!

「そんなに驚かないで下さいよ。私です。死神しーちゃんですよ♪」

 急に現れんなよっ!ビックリして心臓止まるかと思ったじゃないか!!

「あのですね〜、あなた魂なんだからそんなもんある訳ないじゃないですか〜」

 う、それは確かにそうだけど…。

 それよりも!!

 随分遅かったじゃないか!今まで何してたんだよっ!

「す、すいません。書類の取り下げに思ったより時間がかかっちゃいまして」

 しょうがないなぁ。でもこれで生き返れるんなら、まぁいっか。…で、俺はどうすればいいの?何しろ

死んだのも初めての事だし、生き返るってどうすればいいか、さっぱりわかんなくって。

「…あ〜、その事なんですけどね…」

 何故か言い澱む死神。

 なんか嫌な予感がするぞ。

「大変言い難いことなんですけど…その…」

 な、なんだよ!はっきりしろよ。

 はっ!ま、まさか生き帰れなくなったって言うんじゃ…。

「いえっ!!それは絶対にありません!」

 じゃあ…?

「実はですね、取下書を管理組合に提出したんですが、その書類の査定に思ったより時間がかかる

ようでして…」

 時間がかかりそうって…どれくらい?

「最終的に閻魔様の承認印を貰うまで約一週間ほど…」

 いっしゅうかんー?なんでそんなに時間がかかんだよ!その間俺はずっとこのままってか!?

「あ〜、そんなに怒鳴らないで下さいよ〜〜。私だって努力したんですから。でも、一度出した書類を

撤回する為には、事務局長とか組合長とか、とにかく色々上の人に通さないといけないらしくて。こち

らとしても、こういう事務処理上の手続きの簡略化には前々から取り組んで、努力はしてるんですけど…」

 あー、もう解かったよ。だから、そんな泣きそうな顔で言うなって。それにしても、あの世もこの世も

同じだね。俺、あの世ってもっと夢のある所かと思ってたのに。

「そりゃ仕方がありませんよ。あの世って言ってもそこに居るのはこちらの現世で生きてきた魂さん達

なんですから。やってる事はこの世と対して変わりませんって」

 あ、そうなの。

 で、これから俺はどうすれば良いわけ?このまま幽霊みたいに漂ってなきゃいけないの?

「その事ですが、魂っていうものは身体に守られて無い分、いろいろな危険がありますから、取り敢え

ず別の身体に入って頂いて、手続きが完了するまでの一週間の間、それで過ごして頂く事になりました」

 別の身体って?

「時間が無かったので、適当な肉体の準備が間に合いませんでしたので、一先ずこちらの体に入って

頂きます」

 そう言って死神が差し出した仮の肉体というのは…。

 ちょ、ちょっと待てっ!!本気か!?本気でこれに…!?

「はい、そうですよ。…生まれて初めて経験した、あんな大事故のせいですかねぇ。この子の魂はショ

ックで眠ったままになっちゃってるんです。で、丁度良いからこのまま暫く眠ったままでいてもらって、

代わりにあなたに入っていただく事になりました。」

 そりゃそうだろう。まだまだ満足に走れないほどの子供が、いきなりあんな大事故を経験したりすれ

ば…。だからって何で!?

「こちらの魂については、あなたの生き返り後、こちらで責任持って目覚めさせますので御心配なく」

 俺が言いたいのはそんな事じゃなくてね…って聞いてる!?

「そういう事ですので、頑張ってください!!」

 頑張るって何を!?

「では!一週間後にっ!再見!!」

 あ!こら待て!!人の話を聞けって!

 おいっ!!

 またしても、現れた時と同じく唐突に消えて行く。

 冗談じゃない!何で俺がこの体に入らなきゃいけないんだ!?だってこの身体は…。

 

 

「ぎゃんっ!」

 …ってー!

 消えた死神を追いかけようとした俺の前に、銀色の柱が立ち塞がった。顔面を襲った痛みは、俺が

どうやらその柱に正面衝突した結果らしいのだが…。

 しかしこれはなんだ?

 痛みに霞む目を開けてよく見れば。

 使い込み、あちこちに傷が付いた柱の先には、これまた使い込んで磨り減った黒い車輪。

 柱に沿って上を見上げれば、いくつかの段に分かれた棚に収められた様々な器具や瓶。漂ってくる

様々な匂いから何かの薬品だという事が判る。

 これって、もしかして治療の時に使うワゴンじゃないのか?

 でも、なんでこんなに…でっかい……。

 ま、まさか…。

 恐る恐る周りを見渡してみれば。

 今まで見下ろしていた視点とは、全く逆。地面の底から見上げるような視点。おまけに存在する物

全てが巨大サイズのものばかりで。

 ふらつく足でゆっくりと柱から遠ざかる。しかしどうもバランスが上手く取れなくて、そのまま尻餅を付

いてしまう。

「きゃん!」

 尻の痛みに思わず出た声は、いつもの俺の声とは全然違う…。

 う、嘘だろ?

 ぺたりと床に尻を付いたまま、投げ出された足を見る。

 小さな…黒い肉球のついた…後ろ足。その間に付いたままの両手を見ると…。

 生えたままで、まだまだ磨り減っていない小さな黒い爪がついた可愛らしい…前足。

 

『時間が無かったので、適当な肉体の準備が間に合いませんでしたので、一先ずこちらの体に入って

頂きます…』

 

 死神の声がその時の映像と共に蘇る。

 人懐っこい笑顔の、何処か怪しい紋付羽織袴&シルクハットの男が抱いていた茶色い小さな身体。

あれは…。

 動揺して跳ねまくっている心臓を宥めながら、ゆっくりと顔を上げれば。

 鈍い銀色の柱に歪んで映った。

 …茶色の子犬。

 

「きゃんっ!きゃんっ!!」

 なんで!?お、俺、子犬になっちゃった!?

 どうすりゃ良いんだよ!!

 ちくしょーっ!!出てこい死神ーっ!!責任取れよなーっ!

 勿論、どんなに騒いでもあいつが戻ってくるわけも無くて…。

 叫びすぎて、喉も枯れ果てたその時だった。

 え…?

 ふいに感じる浮遊感。誰かが子犬になった俺の身体を抱き上げている?

「…どうした、迷子か?ここは病院だぞ。こんな所にいたら…。…ん?お前…もしかしてあの時青島が

抱いていた…?」

 大きな腕の中でくるりと身体を身体を回され、抱き上げた本人と向き合う。俺を抱き上げたのは…。

 む、室井さん?

「間違いないな。お前あの時青島が助けた子犬だな」

「…きゅぅ〜ん」

 そうです。正確には身体だけで中味は違いますけど…。

「そうか。お前も青島が心配だったのか」

 え、えっとそうではなくて…。

「でも、ここは病院だ。こんな所にいたら看護婦さん達に追い出されてしまうぞ」

 別に居たくて居た訳じゃないですが…。

「…行く所が無いのか?」

 …無いです。

「……家に来るか?」

 え?…今なんて?

「行く所が無かったら家に来るか?」

 ええっ?でも、そんな…。

「…青島が命を投げ出して助けたお前だ。放っておけないじゃないか…」

 室井さんの視線が子犬の俺から、眠り続ける俺の身体へと移る。

「連れて帰ってもいいよな…。なぁ…青島」

 室井さん…俺は。

 室井さんの力強い腕が、そっと俺を抱き締める。

 あれほど焦がれた室井さんの腕の中。

 でも、今の俺は一匹の…子犬で。

「早く…目を覚ましてくれ…青島」

「くぅん…」

 

 

 呼びかける声は室井さんには届かない。

 そして。

 今日から一週間。

 俺と、室井さんとの奇妙な共同生活が始まった。

 

つづく


いよいよ始まる一人と一匹の共同生活!

ちなみに子犬のモデルは、我が家で飼っている雑種の吉右ェ衛門くんです。

今はともかく、小さい頃は本当に可愛かったのよ…。

以上裏話第二弾でした♪