Puppy Panics !


 

その二  室井さんと子犬(2)

 

 

 風呂から上がって、濡れた毛をドライヤーで乾かしてもらう。 

 頭だけじゃなくって、全身に当る熱い風がちょっと気持ち悪かったけど我慢する。最後にブラッシン

グまできちんとされて、俺はようやく室井さんの腕の中から解放された。

「ほら、綺麗になったぞ」

 フローリングの床の上。シャンプーの匂いが妙に気になって毛の匂いを嗅いでいた俺の目の前に、

少し大きめの鏡が置かれた。

 そこに映る一匹の子犬。

 大きな鳶色の目がこちらをじっと見返している。

 おそらく日本犬の雑種だろう。ぴんっと立った耳にちょっと捲いた尻尾。

 泥と埃に汚れていた毛皮は、明るい金茶色。ところどころに金色の毛が混じっていて、蛍光灯に

きらきら反射してる。

 泥で真っ黒だった四本の足も靴下履いてるみたいに真っ白で。

 胸やお腹の毛もこれまた真っ白。

 ふーん。こうして見ると、こいつって結構ハンサムだね。

 もっと近くで見ようと思って鏡に近付くと、子犬も同じように近付いてくる。 

 ……。

 

 近付くのを止めて、横に移動してみる。

 子犬も同じように移動する。

 座ってみる。

 立ってみる。

「わんっ!!」

 吠えてみる。当然、あっちも吠える。  

 ……面白い。

 全部同じように、俺の思ったとおりに動く。

 そりゃ、今この身体の中に入ってるのは俺だから、思い通りに動くのは当たり前なんだけど。

 でもこれは本来俺の身体じゃない。

 俺の身体じゃない俺の身体が、俺の思う通りに動いてる。

 なんだか新手の体感ゲームみたいだ。

 面白くて鏡の前でいろいろな事をしていたときだった。

「何をやってんだ?」

 何処か笑いをこらえたような室井さんの声。

 あ、もしかしてさっきからずっと見てました?

「鏡が珍しいのか?」

 鏡というより、そこに映ってる姿が、ね。

 相変わらず、鏡の前でポーズを取り続けている俺を見て、耐えきれなくなったのか、室井さんが声を

上げて笑い出す。

「お前は、本当に面白い奴だなぁ」

 ほっといてよ。室井さんもね、こうやって別の体に入ってみれば解かるから。

「でも、いつまでも遊んでばかりいないで。…ほら」

 目の前にあった鏡が取り上げられ、代わりに別の物が置かれる。

 なんだろう?凄く良い匂い。

 その匂いを嗅いだとたん、俺のお腹が大きな音を立てた。

「腹減っているんだろう?ドッグフードなんて無いから、こんなもん作ったんだが…」

 改めて良く見ると、青い小鉢の中に卵とハムの細切れの入った雑炊が入ってた。

 これ…室井さんが作ったの?

「十分冷めてるから大丈夫だと思うが、気をつけて食べろよ」

「わんっ!」

 了解ですっ!遠慮無く頂きます!

 俺の為にわざわざ食事を作ってくれた室井さんに頭を下げてから食べ始める。室井さんの言ったと

おり、雑炊は子犬の俺にも食べやすい様に冷ましてあって、それにとても美味しかった。

「ははは。お前は本当に賢い奴だな」  

 …それにしても、今まで全く気付かなかったけど、こいつ何時から食べてなかったんだろう?

 雑炊を一口食べた時から俺は、子犬の胃袋が空っぽだった事に気が付いた。物凄い空腹感。食べ

る口が止まらない。

「おいおい、ゆっくり食べろよ」

 返事をする余裕すらありゃしない。あっという間に室井さんが作ってくれた雑炊を食べ尽くす。

「…よっぽど腹が減ってたんだな」

 食べ終わってようやく一息付いた俺の背中を、室井さんが優しく撫でてくれる。

 …気持ち良いや。人の手がこんなに暖かいなんてね。

 撫で続けてくれる手が気持ち良くて、その手にもっと触れて欲しくて、甘える様に体を摺り寄せる。

 室井さんは、黙って撫で続けてくれた。

 

 

「…眠ったのか?」

 気持ちよくって、ボーっとしている俺の耳に室井さんの声が聞こえてくる。

 眠ったわけじゃないけど…。でも、目を開けるのも億劫で…。

「しょうがないな…」

 ふわりと体が浮く感覚がする。

 あれ?何処に連れて行くんだろう?…何処でも良いや。もう何を考えるのも面倒だし…。

「お前の寝床、まだ用意してなかったからな。…取り敢えず今晩はここで一緒に寝るか」

 柔らかいスプリングの効いたマットの上に下ろされる感覚。

 続いて身体の上に柔らかい布が掛けられて…。

 室井さんの匂いがする。

 もしかして、ここって室井さんのベッド?

 一緒に寝ても…いいのかな。

「…お休み」

 室井さんの声が遠くに聞こえる。

 だんだんと意識がぼやけて…。

 …おやすみなさい。

 

 

 ここに来る時聞いていた子守唄がまた聞こえる。

 リズミカルで。優しい音色。

 これ…室井さんの心臓の音だ。

 そうだよ…ね。

 力強いその音を聞きながら、俺は室井さんの腕の中で、今度こそ本当の眠りについた…。

 

つづく


ちょっと短いですが、ここで一息。

このまま続けると、丁度良い所で切れないので…。

次回は二人でお出かけ編!

でもデートじゃないです(当り前だって)