Puppy Panics !


 

その二  室井さんと子犬(3)

 

 

 翌朝。

 今日非番だった室井さんは、昨日言ったとおり、俺を近くの動物病院に連れて行ってくれた。

 室井さんの運転する車でのドライブ。

 いつもは運転する側の俺が、今日は助手席に乗せてもらっている。

 なんだか凄く新鮮な気分。室井さんの運転する車に乗ったのはこれで二回目だけど、前のときは刺

された怪我の痛みと睡眠不足とで、ボーっとしてたせいか、殆ど覚えてないし。

 第一、あの時は後部座席だったしね。

 窓の外に流れる景色が楽しくて、窓にへばり付いている俺を見て室井さんが笑う。

 楽しいね。

 でも、これが人間の時だったら、もっと良かったのに…ね。

 

 やがて、車が滑りこんだのは、一件の小さな動物病院だった。

 そこには、当り前の事だけど大勢の患蓄達がいて…。

 はじめてやってきた俺が珍しいのか、みんな好奇心一杯の顔で俺を見ている。

「…う〜」

 し、しかし…これは…。

「どうした?」

 べ、別に!どうもしません。そんな…た、たがが犬や猫が恐いなんて事は…。

「恐いのか?」

「うー!」

 こ、ここここわくなんかないって言ってるでしょ!!

「尻尾、捲いてるぞ」

 ……あう。

 どんなに強がってみたところで、子犬の身体は正直だ。

 耳は後ろに伏せちゃってるし、尻尾はしっかり股の間に捲き込んじゃってる。

 だって、仕方が無いじゃないか。犬にしても猫にしても子犬の俺より遥かにでかい奴ばかりだよ?

なんだかまるで怪獣に睨まれてるみたいでさ…。

「そんなに怯えなくても、大丈夫だからな」

 ああああ。早く人間に戻りたい〜。

 

 

「別に、何処も異常は無い様ですね」

「そうですか」

 一通りの診察が終って、室井さんと一緒に獣医の説明を聞く。

 順番を待つ間に耳にした話だと、ここの先生はまだ若いけどとても優秀な先生だそうだ。

「骨も内臓も綺麗なものです。それに食欲もある様ですから、まず心配はないでしょう」

「有難うございます」

「わん」

 俺も室井さんと一緒に頭を下げる。

「おや?お礼を言ってくれるのかな?なかなか賢い子ですね」

「そうですね」

 室井さんも先生と一緒に笑ってる。

 でも、何処も何ともなくて良かった。ちゃんと庇ったつもりだったけど、大きな事故だったから心配し

てたんだ。

 心配していた診察も何事も無く終り、ほっとしていた俺の耳に、信じられないような一言が飛び込ん

できた。

「ああそうだ。ついでに予防注射もしておきましょうか?」

 ……え?注射?

「狂犬病のですか?」

「いいえ、人間の為の予防注射ではなくて、純粋に犬の為の伝染病予防ですよ。子犬の頃は抵抗力

も弱いですからね。パルボとかジステンバーの感染予防の為に是非しておいた方が良いと思いますが」

「ああ、そういう事でしたら是非お願い致します」

 え?ちょっと待ってよ二人とも!本人の意思を無視して何、勝手に決めてんの!!

「じゃあ、ちょっと押さえててくださいね」

 や、やだよっ!!

 離してってばっ!

「ぎゃん、ぎゃんっ!」

「こら大人しくしろって」

 やだっ!絶対やだ!

 俺は、注射が大嫌いなんだって!

 身体を捩って、必死で抵抗したけれど…。

「…ぎゃんっっ!!」

「はい、終りましたよ」

「有難うございました」

 くっそ〜〜〜。マジ痛かったぞ…。

 俺の気を知ってか知らずか、呑気に会話を交わしている二人。

「ほら、お前も礼を言ったらどうだ?」

 誰が礼なんて言うもんか!

「おやおや。すっかり嫌われちゃったかな?」

 ふん!

 室井さんの肩によじ登り、そっぽを向いている俺を先生が笑ってる。

 …ちくしょー。あーっ!早く人間に戻りたーいっ!!

「それじゃ後は様子を見て、という事で。もし何かありましたら遠慮無く電話してください。ここは24時間

体勢で救急患者も受け付けていますので。…ああそうだ」

 カルテらしきものを付けていた先生の手が止まる。

「他に何か?」

「いえ。そういえば、まだこの子名前を聞いていなかったので」

 名前。

 そういえば、まだ名前付けてもらってないな。

 一応『青島俊作』って名前はあるんだけど。

「…………しゅんさく」

 ……え?室井さん今…なんて?

「『しゅんさく』君、ですか?」

「えっ!?」

「…だから名前」

「あ、はい!…いや、その……そ、そうです」

 後半、消え入りそうな声で返事をしている室井さん。

 それにしても。

『しゅんさく』。

 俺の本名。青島俊作と同じ名前。

 なんでその名前なの?どうして…?

 動揺を誤魔化しながら横目で見ると、室井さんも自分の言った事に動揺しているのか俺を支えてい

ない方の手で、口元を押さえている。気のせいか顔も赤いような気がして。

 室井さん…?。

 さっきまでの怒りを忘れて、室井さんを見詰めていたけど、次に先生が言った言葉に、俺は完全に

硬直してしまった。

「それじゃ、名前は『室井しゅんさく君』…と」

 はぁっ!?

「せ、せんせいっ!?」

「なんですか?」

 な、なんですかってねぇ!

「そ、その名前なんですがっ!」

「…?名前がどうかしましたか?」

「いや…その…苗字が…だから…」

「ああ、これですか?うちは他の患蓄も皆、苗字付けてるんですよ。ペットといっても一緒に暮らす

『家族』なんですからね」

 カルテに書かれた名前を差しながら先生が説明してくれる。

 …『家族』かぁ。言われてみれば確かにそうだよね。

 同じ屋根の下で、一生、生活を共にするもの同士。これって『家族』以外の何ものでも無い。

 …って事は、俺と室井さんも今は家族って事?

 なんか嬉しいな。

 でも、む、むむむむむむ『室井…しゅんさく』は、ちょっとどころか、かなり…。

 …子犬で良かった。

 人間だったら確実にゆでだこだったよ…。

 室井さんの方が気になって、もう一度横を見る。

 あれ?室井さん笑ってる?

 なんだか凄く嬉しそう…。

「しゅんさく」

 はい?

 俺の視線に気が付いたのか、肩にしがみ付いていた俺を胸に抱きなおして、室井さんが笑いかける。

「俺とお前は『家族』なんだと」

 嬉しそうに微笑んでる室井さん。

 ふと、何も無い寝るだけの部屋だと言っていた室井さんの言葉を思い出す。

 何も無い…簡素でどこか寂しい部屋。

 いつも、たった一人で上を目指している室井さん。

 何も頼らないその姿は、凛としてカッコ良くって。

 でも。

 孤独だった…。

「よろしくな『室井しゅんさく』君」

 ……。

 室井さん。

 俺で良ければ何時でも家族になるよ。…こんな子犬の俺で良ければ何時でもね!

 でも、ホントは。

 

 人間の俺で、あなたを支える事が出来たら良いのにね。

 子犬の『しゅんさく』じゃなくて、人間の『俊作』があなたの家族になれたら、良いのに…ね。

 

 ありったけの思いを込めて室井さんの頬を舐める。今の俺に出来るのはこれが精一杯。

 

「くすぐったいって」

 室井さんの頬は、ちょっぴりしょっぱくって。

 そして、暖かかった…。

 

 動物病院を後にした室井さんは、その足でペットショップを周り、首輪とか散歩用のリードとかいろい

ろ揃えてくれた。

 でも、こんなに世話になっちゃっても良いのかなぁ。今日の診察代だけでもかなりの金額だったの

に、こんなにいろいろ買ってもらっちゃって…。凄く申し訳ない気分になってくる。

 だけど。

 さっきの病院で、俺を家族だと言ってくれた室井さん。その時の笑顔を思い出す。

 …甘えても良いよね?俺達…家族だもんね。

 

 

 なんだかんだと時間が過ぎて、一通りの買い物が済んだ時には、正午を回っていた。

 六本木の官舎に帰る途中、室井さんが散歩だと言って何処かの公園に連れて行ってくれた。 

 天気は上々。流れる風も気持ち良い。

「こら、じっとしてろ」

「くうぅぅぅぅ」

 そんなこと言ったって、くすぐったいですって。

 買ったばかりの真新しい若草色の首輪を、室井さんにつけてもらう。これでもう野良犬には見えない

だろう。

「出来たぞ。ほら、遊んで来い」

「わんっ!」

 はいっ!有難うございます!

 住宅街の真中の公園は、平日の昼間という事で、あまり人の姿は無い。

 俺は遠慮無く、辺りを走りまわった。

 あ――っ!気持ち良い――――っ!!

 実は、ずっと車の中だったり、診察台の上でじっとしてるばかりだったから、少々ストレスが溜まって

たんだよね。

 嬉しくて楽しくて。俺は緑の芝生の上を撥ねまわる。

「あまり遠くに行くなよ」

「わんっ!」

 はいっ、解かってます!

 そう返事をして、室井さんの方を見たときだった。

 あれ…誰だろう?

 室井さんの背後に立つ猫背の男。風に乗って、あの男のものらしい、甘ったるい安物のコロンの匂

いが漂ってくる。

 なんだ…こいつ?

 男は、何かを警戒しているかの様に、しきりにきょろきょろと辺りを見まわしている。

 思いっきり挙動不審者。

 怪しいなぁ…。

 室井さんは後ろの人物に気が付かないのか、なにも気にしていない様だった。

 どうしよう?知らせた方が良いかな?

 でも言葉が通じないのにどうやったら…。

 その時だった。怪しい男がポケットに突っ込んでいた手を室井さんの荷物の中に突っ込んだのは!

 まさか…っ!泥棒!?

「うーっ、わんっ、わんっ!」

 こら、お前なにやってんだっ!人の荷物に手を出すなんて、窃盗の現行犯で逮捕するぞっ!

 突然騒ぎ出した俺に、袋の中を探っていた怪しい男の手が止まった。

「どうした?」

「わんわんっ!!」

 室井さんっ、泥棒です!

「何かあったのか?」

 そう言ってこっちに向って歩いてくるけど。

「わんわんわんっ!」

 何かあるのは俺じゃなくてあっち!!

 ああっ、もう!なんで通じないんだよ!!

 あっ!!男が逃げるっ!

 くそ、逃がすかっ!

「……?」

 しきりに自分の背後に向って吠える俺に不信を抱いた室井さんが振り向いた時には。

 怪しい男はさっさと退散した後だった。

 ちなみに、男を追おうとしていた俺は。

 …………。

 バランス崩してすっ転んで。

 またしても顔面から地面に突っ込んでいたのだった。

 くっそ〜。ぜってー人間に戻ってやっかんな!  

 

 

「さぁ、そろそろ帰ろうか」

 そうですね。腹も減ってきたことだし。

 さっきの男のことは気になるけど、幸いにも何か盗られた様子は無い。あいつの事は生き返ってか

らのことにしよう。

 再び室井さんの運転で帰路についた…筈だったが。

 あれ?何処に行くんだろう?こっちは官舎への道じゃないぞ。

「……くぅ?」

「すまないな。家に帰る前にちょっと寄り道させてくれ」

 そう言ったきり、室井さんは運転に集中する。

 何処に行くんだろう…。

 訝しむ俺と、何も言わない室井さんを乗せたまま車は走り続けて。

 やがて到着したのは、見覚えのある建物の前。

 ここって、俺の身体が入院している病院じゃないか。

「お前も行くか?」

 行くって…もしかして俺の身体の所に?

 ……。

 嫌だ。行かない。…行きたくない。

「ん?なんだ、寝ちゃったのか。…じゃあ仕方ないな。ちょっと行ってくるから、おとなしく待ってるんだぞ」

 

 頭を撫でてた室井さんの手が離れる。

 足音が遠ざかっていく。

 眠っている俺の顔なんて見たくない。

 その俺を見てるあんたの顔も…。

 

 嫌いだと言ったくせに。

 迷惑だと言ったくせに。

 なんであんな顔で俺を見るんだよ。

 なんであんな声で俺を呼ぶんだよ。

 俺は、どうしたらいいんだよ…。

 解からないよ。

 ねぇ、室井さん…。

 もしも、このまま生き返ったら、あんたはどんな顔で俺を見るんだろう?

 『しゅんさく』を見て笑ってくれるように『俊作』にも笑いかけてくれる?それとも…?

 生き返るのが…恐い。

 室井さんの心が解からない。

 

 規則正しい足音が近付いてくる。

 室井さんは今どんな顔をしているんだろう。 

 

 結局俺は、家に着くまで閉じた目を明ける事が出来なかった。

 

 

 

 そして、その夜。

 昼間買ってきた荷物を袋から出していた時の事だった。

 フローリングの床の上に、何か金属のものが落ちる音がした。

 ……?

 室井さんの方を見上げると、何事も無い様に買ってきたものを整理している。どうやら先ほどの音に

は気が付いていないらしい。

 何だったんだろう?

 気になって辺りを見回してみるが、それらしいものは何も無い。

 変だなぁ。でも確かに何かが床に落ちて転がる音がしたんだけど。

 目で見付けられなくて、今度は鼻を使って探してみる。確かこの辺に…。あれ?この匂い…。

 ソファーの下から微かに流れてきたのは昼間嗅いだあの不審な男の匂い。だけど何でこんな所から?

 なんとかソファーの下を探ろうとしたその時。

「こら、なにをしてるんだ?」

「きゃんっ!」

 わっ!室井さん。

「悪戯したら駄目じゃないか」

 違うんです。悪戯じゃなくてね…。

 ねぇ、人の話聞いて…って、わっ、急に抱き上げないで下さいよ。ねぇちょっと、室井さ―ん!!

「ほら、そろそろ飯にしような」

 あ、あのね、ご飯よりも…。

 ねぇってばっ!

 室井さ――んっ!

 

 

 結局、その音の正体が何だったのかは解からないまま。

 その後もドタバタと過ぎて行く室井さんとの生活の中で、俺もソファーの下に転がった物のことを

すっかり忘れてしまった。

 だが。

 後に、このソファーの下に入りこんだ物のせいで、俺と室井さんの身に大きな災厄が降りかかる

ことになるなんて。

 その時の俺は、全く気付いていなかった。 

 

つづく


ペットの苗字のことですが、大体どこの獣医さんも付けてるみたいすね。

とはいえ、聞きかじりの情報にて、詳しく調べたわけじゃないので

正しいことは判りませんが(おいおい)

でも、少なくとも我が家の行き付け獣医さんは苗字を付けます。

毎年、フィラリア予防注射のお知らせも

「○○吉右ェ衛門様」で届きます…。

いつも思うんですけど、よく届くよなぁ…これで。