■ 序         章  ■

昭和55年3月。通い慣れた赤煉瓦の校門を背に今、正に飛び立とうとする若人達がいた。
勉学に励んだ者、スポーツに打ち込んだ者、ヤンチャが過ぎた者・・・・1人1人が様々な思いを胸にしながら。
そんな彼等を、あの大きなソテツの木は静かに、そしていつまでも姿が見えなくなるまで見送っていた。
いつの日か必ず来るであろう、「20年目の約束」が果たされる「その日」を信じて・・・・・・。


1999年春。・・・・・・あの日の若人達が帰ってきた。
姿・格好にかなりの変化はあるが、負けん気の強さだけは昔のままだ。
「松の緑 青春の色」 彼等はその一節を忘れてはいなかった。
「松の緑 青春の色」 20年目の約束の地を目指し、
一生の友となるべく動き始めた彼等は「松緑会」と名乗り始めた。

ここに記すのは彼等「松緑会」が「20年目の約束」の地を目指し、
さらには「松緑会」が一生の友としてあり続けるための証を手にするべく
試行錯誤を繰り返しつつも邁進した活動の全記録である。  
(文中、会員名敬称略) 
(氏名、役職、地位及び同窓会組織構成等は当時のままを記載)


■  第一章  〜誕生、そして栄光へ〜  ■


◆1999年4月13日 九商物産(川崎の会社)
じっと目を閉じ、しばらく考えた後に答えを出した。
「よーし、わかった! なら、俺が代表幹事になっちゃー!
その代わりお前らがついてこんやったらいつでも俺は辞めるけんね! よかや?保井、浦、高崎!」
「わかった!」「頼むばい」
事実上の川崎俊雄代表幹事の誕生であった。 と同時に、これから続く長い長い道程の始まりであった。

「なら、会の名前はどげんするね?」 「53年で吾参会、54年で剛志会。55年だと・・・・・?」
「GO-GO会!」「バカ、恥ずかしかばい」 「五合会!」 「酒飲みの集まりと思われるばい」
「なら五合は一升の半分やけん半升(繁盛)会!」 「うーーん」「うーーん」
「♪岸を洗う紺碧の波、で碧波会か・・・。♪松の緑 青春の色・・・んっ! しょ、しょうりょく会は!?」
「どげん書くと?」 「松の緑の会!・・・・どげんね?」
・・・・・「うー−ん」「うーーん」・・・・・・・そ、そうかぁ。


一ヶ月ほど前に遡る。
1999年3月9日、卒業以来初めて校門をくぐった。
懐かしのチャペルの裏手に連れて行かれる。  ん、こんな建物あったっけ?
前は藤棚やったよね、川崎?   へっ? ここが職員室?
うぉ、エレベーターじゃん。   変わったねぇ〜。

「失礼します」  4階の1室のドアを川崎・保井茂久に続いて入る。
本年度当番幹事の昭和54年卒・剛志会の先輩方がズラリ座っている。
今年の同窓会総会の運営会議の真最中だ。
少し遅れて平田義典が入って来た。 その後、阿部真之助も・・・・・・。 はぁ?
会議の内容はチンプンカンプンだったが、そのお言葉は江副裕紀代表幹事から最後に発せられた。
「とにかく、今からの時期は同窓会が一番! 仕事は二の次、三の次。
 仕事は飯の種やけん、夜中になろうがするばってん、
同窓会は意識がないと出来んとやけんね。 頼んどきます。 良かや?」 「おう!」

(な、なにを言っとるのだ、この人は?   こんな世界があるのか?)

何年か前から総会には行ってたから盛大さも知っている。
来年が俺達が当番って事も、さんざん聞いてきた。
(でも、仕事より大切って・・・・覚悟がいるばい、どげんしょ〜?)

今までも水江文俊や市川純夫が孤軍奮闘、学年のお世話をしてくれていた。
若い頃は同窓会って意識がなかった為か、なかなか彼等に答えられなかった。
(去年までウチの参加者、少なかったもんなあ。 いっちょ下の方が沢山来とったし。)


実はこの少し前、川崎は剛志会の先輩方から来年の同窓会総会を取り仕切る任に就かねばならない
我々昭和55年卒業生の代表幹事として白羽の矢を立てられていた。

我々次年度当番学年がなかなかまとまらず、来年の総会がどうなるか先行き不安な折も折りだった。
「あっ! そうたい。 アイツにしよ♪」
街中で車の調子を診ていた川崎の姿を、たまたま見掛けた江副先輩は思わずハンドルを叩きニンマリしたそうだ。



◆1999年4月23日 第一回学年幹事会(高校会議室)
この日に備えて数名の有志で連絡を取り、同級生をかき集めた。
有志といっても元々仲が良かった有志では決してない。
ここ数年の同窓会総会に参加していたメンバーで顔見知りになった者が大半であり、
そもそも総会に参加したきっかけも「職場で買わされた」「先輩から回ってきた」など受動的なものが多かった。
学業優秀、部活一筋、バイク命、喧嘩上等・・・
在学時には全く異なった身上の有志達がたまたま集まったっていうのが実情で、
その有志が各々今でも連絡がとれる同級生を文字通り「かき集めた」のだった。

しのごの言ってられない状況は明白だった。
我々の当番幹事は一年後! なにより2ヶ月後の総会には次年度当番幹事として壇上で挨拶しなければならない!
ここまで悠長に構えてた学年はこれまでなかっただろう。 早く学年組織を発足させ、活動に入らねば!

めでたく満場一致で川崎代表幹事が選出された。
「当番幹事はくさ、卒業20年目の校則みたいなもんたい。 守らないかんめぇが!」
「一番守らんやった奴が何ば言いようとや!」 「はははは」・・・・・うん、確かに。

「それでは、渉外担当の副代表には市川君。
 チケット担当の副代表には保井君・中村浩一郎君・高崎君。
 事務局担当の副代表幹事には私、浦誠二が就く事になりました。
 あと企画担当がいないのですが、どなたか立候補はありませんか?」
「・・・・・・」「・・・・・・」 「ありませんか?」「・・・・・・」 「俺がなろうか!」
「んっ?」「・・・誰かいな?」「・・・・・」 「・・・み、みやた?」 「宮田やないや!」
「どうしたとや、そのあたま?」 「せからしかっ!」・・・・・かくして人選も整った。

宮田恭二・・・・・市川から会議に誘われ、訳も判らず出てきたにも関わらず
持ち前の度胸の良さで手を挙げた彼の勇気ある申し出に皆、胸を打たれた。・・・・・よね?

「次に、会の名称ですが・・・・・」
GO-GO会、半升会、夜談(ヨルダン)会、○○先生被害者の会・・・・そして松緑会。
「古来より白砂青松という言葉がありまして・・・・・青松会ってどうでしょう?」
げっ、しんちゃん!・・・・・・・しかし、なかなか強力な対抗案だ。

「・・・・・では多数決の結果、『松緑会』に決定しました」     僅差だった。

会議の後、飲み会が行なわれた。 主役は当然、宮田! ヤンヤの喝采を浴びる。
「ホテルの交渉事は任せときやい。 俺、ホテルにガンガン言うの好きやけん!」

う〜ん、まあ、その、当たらずとも遠からずとでも言おうか・・・。

後日、川崎から企画部長の役割を改めて聞かされた宮田は顔が真っ青になっていた。
テーマの設定・アトラクションの手配・チケットのデザイン・司会の手配・シナリオ作成・・・。
そりゃあ青くなるわな。 なにもホテルにガンガン言うだけが企画の仕事ではないのだ。
しかしそうも言ってられない。
田中哲也の名前が候補に挙がった。 KBCメディアに勤務していてイベント経験は豊富だ。
彼だったら「適材適所」だ。
必ずや宮田の右腕として活躍してくれるだろう。 何より彼は宮田と同じバスケ部だったし!
後日、彼にアポを取って会いに行く事になった。

◆1999年6月2日 第二回学年幹事会(高校会議室)
昼過ぎから断続的に降り出した雨が夕方から本降りになってきた。
19時からの会議予定だが、雨のせいか出足が鈍い。 初参加の同級生も数人来る予定なのだが・・・・。
まぁ、さすがに場所が判らない奴は居ないだろう。 母校なんだから。
ただ我々が在学中、この会議室がある校舎は存在しなかったもんだから連絡には少々困った。
「チャペルの裏に回ったら建物があるけん、そこの4階!」・・・・「違う違う! 藤棚があった所たい!」

合屋恒太郎が降りしきる雨の中、ズブ濡れになりながらも駐車場まで来た同級生達に会議室の場所を教えている。
なんとも象徴的な光景であろうか! 胸が熱くなる思いだ!    でも、なんで傘ささないんだろ?

「じゃあ、今からクラス名簿を渡すので各クラスとも不明者を探し出して次回までに空欄を埋めてきて下さい。
 Fは城が休みやけん、高崎いいや?」 「!! お、おい浦! これ、俺以外は全部空欄やないや?!」
「頑張ってね〜♪」 「・・・マ、マジかよぉ・・・」




今度の総会のチケットは5枚預かっていた。 ちょっと声掛けりゃ、なんとかなるかなって感じだった。
(同窓会が一番、仕事は二の次かぁ。 チケット部長やし、もうちょっと預かろうかな♪)
川崎の会社に行った。 あいにく不在。 事務員さんに名前を告げて立ち去る。
金井秀吉の店に行き、一杯引っかけて帰る事にした。 早い時間でまだ客も2、3人。
「おう、早いやないや。 何にするや、ビールや?」

焼鳥秀吉。 5年前、浦から野球部の金井秀吉の店と聞かされビックリした。
会社の近所だったから店の前はいつも通り掛かってはいたのだが、
チェーン店の焼鳥家康や焼鳥信長の“類似品”くらいにしか思ってなかったからだ。

秀吉の焼鳥屋だから焼鳥秀吉・・・・こりゃ文句は言えねぇな。

それ以来の常連さんになっていた。
そして懐かしい面々が集まって来た。 金井・浦・水江・保井・高島一二・大久保英俊・・・・。
ちょくちょく集まってはゴルフやカラオケに興じたりもした。
そんなある日、店でゴルフの打上げで飲んでいた時、偶然やって来たのが川崎・市川、そして黒木幸一だった。
急造の同窓会になってしまった。
腕力が自慢の黒木が柔道部だった水江に腕相撲を挑みだした。
回りは回りで、どっちが勝つか賭けをすることに!
高島・金井・保井・高崎は水江に乗り、川崎は友達甲斐を見せて黒木に。 しかし市川は笑いながら水江に一票!

そんな数年前・・・・・今から考えると松緑会の原型が生まれた頃だったのかもしれない。



秀吉相手に飲んでいると、ほどなく携帯が鳴った。 用件を告げた。 川崎が保井と共に大量のチケットを持って飛んできた。
名簿のコピーもある。 試しに知ってる奴に電話してみる。 勿論、仕事中で不在。 職場を聞く。
勢いで架けた。 いた! 卒業以来だ。 電話代を気にしつつも近況を語り合う。 ここまでで15分。
やっとチケットの話。  快く引き受けてくれた。・・・・・・なんか、面白くなってきた。

あと3人に架け、2人が繋がった。 「いいよ」と言ってくれてる。
調子に乗って横浜の同級生にもチャレンジ。 来年が当番だと説明すると、申し訳なさそうに「手伝えない」と。
そりゃあたり前。・・・だけど振込先を教えてくれと言う。 チケットは協力するからと。
口座番号?   し、知らない! 川崎に代わり、教えて貰う。・・・・・さあ、お次は・・・・・
ピッ、ピッ、ピッ、携帯の電池が切れた。 気がつきゃ、もう11時。

この日を境に同級生行脚の日々が始まった。 チケットの束を握りしめてのセールス行脚だ。
久々の再会・・・・皆、容姿が変わったもんだ。 何も宮田だけじゃない。 20年振りだからな。

そうか、 そうだったのか!
西南の同窓会は毎年、卒業20年目の学年が当番幹事となって総会・懇親パーティーの企画・構成や
チケット販売を一手に任され、一年間かけて取り仕切る。
総会に大量動員した下の学年は、自分達が当番の時には先輩方からお返しに動員してくれる慣例があるんやと・・・。
何年も同窓会に行ってて知らなかった! そういう事だったらば、・・・・と今更悔やんでも後のまつり!
かくなる上は、せめて今年だけでも大量動員して来年に繋げるより他にはない。

それからというもの、同級生にとどまらず先輩や後輩・親戚などは勿論のこと、
仕事関係や飲み屋で知り合った西南の卒業生という卒業生は、自分が思いつく限り回った。



夜は夜で剛志会の先輩の会議に参加して何かを吸収しようとしていた。
総会が近づくにつれ会議の回数が増えた。 人数も更に増えた。・・・・・そして、だんだん殺気だってきた。

会計の澄川聡吾先輩が遅れて飛び込んできた。 パソコン抱えて、汗びっしょりで・・・・。
吉田忠司先輩が作ったスケジュール表が我々にも配られた。 当日までの行程が、びっしり書き込んである。
「まだ、全然足らんばい!」 チケット部長の藤本晋一先輩が叫ぶ。
柳原久一郎先輩・山崎秀樹先輩も険しい表情で部会をまとめる。
「きさま、なんばしよっとかー!」 脇に外れて江副先輩が携帯に向かって怒鳴り散らす。
隅の方で私語が始まった。   「まだ、終わっとらんとばい!」

・・・・来年俺達にこんなことが出来るのだろうか? いや、その前にこんなに集まるのだろうか?


◆1999年6月8日 KBCメディア(田中哲也の勤務先)
「田中は間もなく戻ってまいりますので、あちらの部屋でお待ち下さい」
ええ ええ、待ちましょうとも! 企画をやってくれるのであれば何時間でも!

「すんませ〜ん。お待たせしました〜」  来た!

運命の交渉は型通りの名刺交換で幕を開けた。
「川崎です」 「あ、どうも、KBCメディアの田中です」
「保井です」 「どうも、KBCメディアの田中です」
「宮田です」 「!! うっそぉ〜! みやたぁ〜!?」

「頼む! アンタやったらシナリオとか訳ないやろ? 宮田とバスケ繋がりで企画ばやっちゃってん!」
「やけん俺は忙しいとてっ! みなとまつりの事務局、一年がかりでしよるとばい」 
「マメ!」 あっ!  ・・・言っちゃったぁ!
「頼むっ!」 「ホント忙しいとてっ」
「なら、来週オークラで先輩達の総会があるけん、それには来ちゃってんね」
「・・・・わ、わかったたい。 でもマメって呼ばんでね♪」

それは自信が・・・ない。 だって昔からマメ、マメって呼んでたから、ついつい口から出ちゃうんだよね。



この頃の活動拠点は浦整骨院だ。



仕事が終わった者から順次駆けつけて、チケット販売と名簿作りに取りかかる。
名簿作り次第では今後の活動に大きく影響する。 チケット販売・広告・総会運営、その全てに、だ。
互いのクラスの進捗状況を見ながら情報交換をする。 空欄が次第にどんどん埋められていく。
加賀田真一郎・尾原陽一・八尋義和・仲浩司、・・・・・・。
3人も入れば窮屈な院長室に入れ替わり立ち代わりして電話をかける。

ひょんな事からAクラス平川能範のケータイNoをGET!
「もしもし、1年の時に一緒やった高崎やけど覚えとう?」
(たかさき?・・・・あっ! もしかしてジミーや?!) ジ、ジミー?
(久し振りやね、ジミー! 覚えとうぜ、ジミー。 今、何しようと?)
「ミックじゃ!」・・・・・・「なに? 今の電話」「・・・あ、いや・・・」

思わぬ再会があったのもこの頃だ。
「ごぶさた〜!」
「んっ?」「???」・・・「ま、またけ?」「!! 真武やぁ〜?!」
「うん、久し振り〜!」
数年前に市川から真武敦志は「す巻きにされて紫川に浮かんどったらしい」と聞かされていた。

お盆にはまだ間があるしぃ・・・ !! なにより足がついてるではないか!  生きてたんだ!
「市川ぁ! 生きとうやないや!」 「ホ、ホントやねぇ」  良かった良かった!

そういえば最初の組織図が出来上がったのもこの頃だった。
「浦ぁ〜!これ、なんで名前が毛書体や!? 組の組織図やなかとじぇ!」

◆1999年6月9日 拡大実行委員会(福岡国際ホール)
同窓会の理事・評議員の皆さんが一同に会し、総会の内容・進行について検討したり、
チケット販売状況についての報告がなされたりする。
大勢の先輩方がいらっしゃっている。  なんかこれだけでも凄い会だ。
初めて出席すると気後れするなぁ。 サンドイッチとコーヒーが出たのはラッキーだけど。
チケット部会長の藤本先輩が前に立ち、各学年代表の方一人一人に販売状況の報告を求めていらっしゃる。 

ぶっ! 来年は俺がアレせんといかんと? サンドイッチ食ってる場合じゃないやん! メモ、メモ!

「高崎、江副さんから今度の総会は誘導係ば、ウチから50人出してくれげな」
「ご、ごじゅうに〜ん! 川崎、いくらなんでも無理ぜ〜! 大体、いくらオークラが新しいとこでも50人も要らんやろ」
「そう思うやろ? 俺もそう思ってこの前、保井と行ったとばってんスーパーブランドシティに入り込んで迷子になったったい」
「・・・は、はぁ〜?」

この無謀とも思える先輩方からの指令だったが、これが呼び水となって更なる人海戦術大電話作戦を誘発し、
今から思えば、その後の松緑会労働人口拡大に大いなる拍車をかけてくれた。

卒業してから20年近くが経っている。
なかには、いきなり架かってきた電話に戸惑う者もいる。 無理もない話だ。
・・・・・・・・・・・そういう時は必ず会いに行った。

事務所の玄関前に黒塗りの高級セダンを急ハンドルで横付けする。
黒っぽいスーツの男達が降り立ち、車のドアを手荒く閉める。
玄関口を抜け、階段を一気に駆け上がり、お目当ての会社の木製ドアを乱暴に開け放つ
「おう、ヨット部の川崎やけど!」   !!! 社内が凍てついたように静まり返る。
「・・・・ま、待ってくれ。 今、さ、財布、取ってくるから・・・・・」
1人の男が弱々しく手を上げ、脅えながらロッカーの上着を取りに行く。
「わかりゃ、いいんだよ。手間取らせやがって!」

・・・・・さすがにここまでは無いにしても、似たような事はあったかな?
で、でもとにかく会う事が基本だ。 手間を省いたら、伝わるものも伝わらない。

頼りになる仲間達も増えてきた。
「川崎が代表なら、せん訳にはいかんめぇもん」 (山内俊二)
「川崎、あんたに恥はかかせんて、Dは俺にまかしちゃってん」 (安田泰和)
「そりゃあ、やらなこて、ねぇ」 (青木雅義)
「一肌脱ぎますけん!」 (門田明寛)
「頑張らさせていただきますばい」 (古賀哲也)
・・・おお、頼もしいサムライ達! あの川崎が代表幹事だからこそ集まってきた仲間だ。

◆1999年6月19日 平成11年度同窓会定期総会・懇親会(ホテルオークラ福岡)
熱い一日が始まった。
ホテルのロビー、加賀田と浦が「My扇子」を取り出し、気ぜわしく扇ぐ。
・・・・まだ、30代の頃の話だ。

しきりに軍資金の使途を検討する浦。
「今日、持ち合わせ足るかいな?」 「なんや浦、いくら持っとうとや?」
「ん〜、6万くらい」 「そんだけあったら充分やろうもん」 「いや、わからん」
行く気マンマンかよ!・・・・・・6人の福沢諭吉は一体何処へ行くのだろうか。

そんな事はいい! 果たして何人来てくれるんだろ?

あの電話大作戦の効果が本当にあったのなら、同級生は群れをなして来てくれる筈だ。
先輩方にお願いし、学年に一席づつ割り当てられている学年受付の席を特別に二席にしてもらった。
チケットの受け渡しや代金支払いの他にも、名簿記載事項の確認などを手際良く済ませたいからだ。
その後すぐに誘導係など剛志会の先輩方のお手伝いに就かねばならない。
この日ばかりは先輩方の総会が成功するよう、また来年の当番に備えて志願の「丁稚奉公」だ。

続々と同級生が集まってきてくれた。
受付を終えた者から先輩方の指示を受け、誘導看板を手に所定の位置に着く。
玄関・ロビーは勿論のこと、エレベーター・エスカレーター・階段・・・・。
のみならず地下鉄中洲川端駅からの出入口、スーパーブランドシティからの出入口、
那珂川河畔からの出入口、川端商店街からの出入口・・・・出入口という出入口は全て固められた。
春先にオープンしたばかりの複合施設、ましてや大の大人が迷子(!)になった位だし、誘導の50人は決して大袈裟ではなかった。

「いやぁ、高崎くん、ありがとう」 誘導責任者の江島寿人先輩が見回りに来られた。 「あ〜、いえいえ」
「ところでさぁ、あの人達もホントに同級生?」 
ん?  太い図体に縦じまのスーツ姿の二人組が誘導看板を持って仁王立ち?!

んがっ! 高島一二に古賀の哲っちゃん!

「い、一応、進入禁止の方向に配置しとりますけん。 誰も寄りつかんでしょ?」
・・・思わず苦笑いだ。

同窓生の方々や懐かしい先生方が続々と会場を目指す。 凄い人数だ。
こりゃあ盛会間違いなしだ。・・・・来年も是非来てくれますように。

「お疲れさん。 あとは会場に入って楽しんで」
定期総会が終わる時間を見計らって先輩方が交替に来てくれた。
それじゃあ、とばかりに会場に入る。 懇親パーティーが始まっていた。 しかし楽しんでばかりもいられない。
宮田が来年の為にパーティー部会責任者・柳原先輩のサブで頑張っているのだ。
今年のアトラクションは西南学院大学チアリーディングによる演技だ。

宮田の指示で会場の二手の入口から入場してくるチアガールの導線を我々が確保することになった。
数名で二手に分かれ、宴たけなわの来場者の整理にあたって通路を作り、チアガールの出番を待つ。
「ごめん、ちょっと寿司食ってくるけん。 すぐ帰ってくる!」
昔はヨット部のワルそう、今じゃあ県警勤務の国友伸晃「のぶ」だ。
待ち長かったのだろう。 「はよ帰ってきいよ!」 「おう! アンタの分も取ってくるけん!」 ははは。

チアガールの演技が会場に花を添え、大喝采を浴びて無事終了!

歓談を挟んで次は本年度当番幹事挨拶。
この日の為に一年間の大変な御苦労をなされた剛志会の先輩方が次々に登壇される。
江副代表幹事がマイクの前に立ち、大勢の参加者に対して謝辞を述べられる。
突然、会場からは江副コールが巻き起こる!
先輩はこの一年だけではなく、過去十数年に渡って同窓会活動に参加なされて
その時々の当番の先輩方のお手伝いを正に献身的になされてきたのだ。
諸先輩方がこれだけ盛大に称えていらっしゃる。 江副先輩の晴舞台だ!

と同時に、当番を来年に控える我々にとっては強烈なプレッシャー・・・。
来年の今頃、果たしてどうなっているのやら・・・。

・・・・・・・・大声援に見送られ江副代表幹事、剛志会の先輩方が壇を後にする。

「次に次年度当番幹事の皆様のご挨拶です。 昭和55年御卒業の皆様、御登壇願います」
「オー!」   なんと100人もの同級生がステージに登った。 次期当番学年の新記録だ!
そしてそれは川崎代表幹事率いる昭和55年卒「松緑会」が、そのヴェールを脱いだ瞬間だった。

壇上に登り、会場を見渡すと遥か後方まで立錐の余地がないほどの賑わい振りだ。
会場全体、見渡す限りの顔、顔、顔、顔、顔、顔・・・。
ん? 一人だけ泣き顔で両手を合わせて謝っている男が!  ・・・の、のぶじゃん!

んも〜! 寿司食いに行ったまんま帰ってこんやったばかりか、壇上にも上がりそこなったったい!

「来年は宜しくお願いします!」 一同、礼! (注・のぶは除く)

終了後、ホテル地下の「ブルワリー」に移動し、奇しくも学年同窓会、兼「総決起大会」
ワルそう連中が奥のテーブルを陣取っている。
その真ん中で仕切っているのはやっぱり、のぶだ。
「つねおー! 来てんやい!」
中村常男が呼び出された!・・・辺りに緊張が走る。 一体どうする気だ?

立ち上がったのぶは、いきなり常男に・・・礼!
「あんときゃ、すいませんでしたっ!」・・・・・あっけに取られる常男。 一同大爆笑!

「来年は、やるぜー!」「オー!」「やるぜー!」「オー!」「やるぜー!」「オー!」
川崎代表幹事の勝どきに100人の雄叫びが呼応した。 上々のデビューだ。

◆1999年6月26日 松緑会・総会反省会(大栄丸本店)
芦刈暢彦が社長を務める割烹料理店。橋本浩一も経理部長で勤めている。
我々だけの先週の総会の反省会だ。

先輩方の総会について、あらゆる角度から活発な意見が・・・・・・・出なかった。
単に慰労会だった。
でも、先週は皆、お疲れさん。 今日は楽しく飲みましょう。

ん、なんや、この焼酎?  は?  カメシズク?  美味いじゃん♪
秀吉!  1人占めするな!  じゃんけんで負けた奴がイッキ?  良かぜ!
あ!負けちゃった♪    いっただきま〜す♪  は、もうないと?  お〜い、もう1カメ!

・・・・・・・・・・あとあと続く衝撃的な出会いだった♪

◆1999年7月9日 九商物産(川崎の会社)
学年初の同窓会名簿が出来上がった。
1ヶ月前までは、どのクラスも空欄だらけだったが既に殆どの欄が埋められていた。
皆の力が結集した結果だ。 早速、全員に送ってやろう。 喜ぶぞ〜!

「加賀田、凄いばい!」 「ゴッドハンドじゃ!」
発送用の封筒に傘貼り職人も真っ青の鮮やかな手さばきで糊付け・封印する加賀田。
先日のブルワリーでも会費の追加徴収を巧みさ、強引さの合わせ技で軽々とこなした。
・・・・・・・・・・彼の隠れた才能がここにきて次々と開花している。

実は名簿制作の期間中、作業方法について浦とチケット部長が対立する場面がしばしばあった。
そりゃあ同級生とはいっても、その後の20年は皆、別々の道を歩んでいる。
モノの考え方や価値観などは社会に出てから就いた業種や職性によって大きく左右される。
多少のいさかいがあっても珍しくはないのだが、困ったことにこの二人、意固地に譲る気はない!
そんな二人を打上げの席でとりなしたのが川崎代表幹事だった。
「浦、高崎! みんなも聞きやい。 今後一切、同窓会に関する不平不満は全部俺に言え!
 俺がなんとかする! 俺が代表やけん! 責任は全部、俺にあるったい! 良かや!」

流石に反論はない。 一件落着だ!

仲直りにみんなでボウリングに行く事になった。 何故ボウリングだったかは不明だが。
元々ボウリングが得意な浦以外は(酒のせいもあるが)皆メロメロだ。
そんな中、凄い奴がいた! ま〜たまた加賀田だ!
ボールを丁寧に拭き、アプローチに立つ。 低く構え、勢いをつけて助走に入る。
ピン目掛けて右腕を振り下ろしリリース! フォロ−の体勢でライン際まで来たその格好!
きれいに両膝が揃い、その姿はまさしく正座!

みんなからは「お座敷ボウリング!」と賞賛を浴びたのだった。 これもまた隠れた才能かな?




翌週、名簿の封書の束をドッサリ、中央郵便局に持ち込んだ。
宛名はパソコンで打ち込んだラベルを貼りつけたが、
海外在住の同級生には、書式が違う為に手書きで処理しなければならない。
すったもんだの挙げ句、川崎が書くはめになった。・・・・・・届いたのだろうか?

この頃から執行部会と企画会議を交互に、そして定期的に行うようになる。
まだ携帯電話にメール機能がなかった頃だ。
召集はオズマルート・保井ルート・高崎ルートの3経路に分けて
会の一週間前にメンバーに電話連絡する形をとっていた。
「八尋、最近欠席ばっかりやけど、何で出てこれんと?」
「しょうがないやん。保井がその日に電話してくるっちゃもん!」  な、なに〜っ!

電話連絡についても川崎は代表幹事として一つの決め事を作った。
「同級生から電話が架かってきたら、どんなに忙しくても『お疲れさ〜ん♪』から始めようや!」
そうだよな。 挨拶は基本だ。 基本が出来なければ応用は出来ない。
挨拶は、そりゃあ小さな事だ。 その小さな事が出来ない人間に大きな仕事など出来る訳がないのだ。

徐々にではあるが各部会が動き始めた。

企画部会は手探り状態の日々だった。
宮田・マメを中心にホテル関係に精通している牧一郎、飲食業界に詳しい北島輝久や高島らにも加わって貰い意見交換の日々。
でもなにより会場が決まっていない。 候補は幾つか挙がってはいるものの、決定までには至らない。
なにより会場が決まらないと何も決められない。 急ごう。

浦整骨院に大きなダンボール箱が届けられた。
歴代当番事務局からの膨大な量の引継ぎ資料がぎっしりと詰め込まれていた。
加賀田が日参し、浦と共に内容物を一枚一枚精査・解析し、
過去に開催された同窓会総会の日時・会場・テーマ・アトラクション・動員実績・実行予算・拡大実行委員会の日時や会場、
更には各学年のチケット販売枚数の推移まで事細かくまとめあげてくれた。 これは後々、大いに役立った。

そして事務局は自学年連絡網の作成に着手する。
前回作成した同級生名簿により同級生の八割以上の所在が明らかになった。 そこから構築していくのだ。
例えば一クラス50人、その八割とすれば40人。 それを6つの班に分ける。 一班あたり6〜7人の構成になる。
その中から幹事会の出席率がいい人や会に理解を示してくれる人を班長として据える。 これを9クラス分作成。

執行部会で学年同窓会の日時・場所を決定したとする。
これを各クラス幹事に連絡する。 各クラス幹事は各班長に伝え、各班長は自分の班員全員に伝える。
これだと一人当たり5〜6人に連絡するだけで済む。 更に自学年のチケット販売網にも活用できる。

そしてチケット販売部会!   取りたてて仕事はない・・・・のだ、悲しいことに。

ただ毎日のように川崎と自学年チケットの販売時期や販売目標についての意見を交わした。
先輩方は代々、総会前年の秋に学年同窓会を開き、総会に向けて結束を固めておられた。
我々も見習うこととした。 そしてその席上でチケットの予約販売を開始し、年内で達成する計画を立てた。
そして問題は販売目標! 幸いかな学年の八割方の所在が判明した。
全員が買ってくれるのであれば、あまり無理な枚数を強制しなくてもいい。 ただ、それには遠方の人まで買って貰わねばならない。

ここで意を決した。 今回、当番を仰せつかったのは何も我々執行部や地元在住の者だけではない。
昭和55年卒業生全員が当番幹事なんだ! そりゃあ物理上、全員が活動に参加出来る訳がない事くらい判ってる。
しかし出来ることなら一緒に汗を流して欲しい。 でもどうしても無理ならチケットだけでも協力してくれ、という事だ。

この信念の元に計画を練り、遂行する。
ただ問題なのは相互理解! 今のままなら学年の連絡網で販売するにしても人によっては温度差が出てくるだろう。
ない知恵を振り絞って、執行部会のメンバー対象に「自学年チケット販売マニュアル」なるものを作成した。
同窓会総会・当番幹事制度について説明し、我々の一生に一度の当番幹事を成功させる為には自学年チケットは
絶対欠かせない要素であることを説き、更にはチケット販売に際してのセールストーク、想定問答Q&Aにまで及んだ。

勿論、これには学年販売目標やクラス別販売目標にまで言及しているので最重要極秘事項だ!

執行部会にて配布する際にも「全て理解し把握したならば胃の中に納めてくれ」と言った筈なんだけど。
・・・流石にそんなに奇特なヤギさんはいなかった。

そして執行部の中でも最初の大きな仕事が待っていた。  体制作りだ。
特にクラス幹事!  自分のクラスをしっかりまとめてもらわねばならない。
「クラス幹事は目立っとった奴にさせやいよ」 江副先輩からの申し送りでもあった。
クラスのまとめ役たる者、同じクラスの者に電話をして「あんた誰やったっけ?」なんて事じゃ困る。
スポーツ、勉強、部活、ひょうきん者・・・なんでもいい。
とにかく存在感があればいい。  加えて人望があれば尚良しだ。
そんなクラス幹事9名に巡り会えたのは執行部にとって幸いだった。

これら各部会の会合や作業は公式・非公式を問わず頻繁に繰り返された。
高校の会議室で行なう場合もあれば、川崎の会社や秀吉の店でやる時もある。
とにかく今は執行部で数多く顔を合わせ、相互理解を深めること。 これに尽きる!

・・・要するに飲み会、「酒」なのだ!

これから一年間、少なくともここにいる執行部は同じ方向を向いて
同じ目線に立って学年をまとめていかねばならない。

大の大人達が互いの理解を深める手段なんて「酒」以外に一体何があると言うのだ?!

ただ、弊害がある事だけは確かに認める。
「はい! これが昨日のおかず! これが一昨日のおかず!」
ラップに包まれたお皿がいくつも並ぶ・・・・・宮田家の食卓の一幕だった。

◆1999年7月15日 銀風会団体観戦(福岡ドーム)
数ある西南高OB関連団体の中で「銀風会」の活動も活発だ。
昭和46年卒・辰巳会、平岡和也先輩を総長、吉村雄二先輩を会長とする福岡ダイエーホークス後援会関連団体で
「ホークス激励のゆうべ」「親子ふれあい野球教室」「ホークス後援会旗争奪中学生軟式野球大会」等の運営ボランティアを中心に活動している。
勿論、多くの先輩方が在籍している。

この日は格安チケットでダイエーvsロッテの団体観戦。
多くの先輩方にご挨拶出来るチャンスだ。
川崎・保井・俊二・仲・チケット部長。
着くなりコンコースにて、めいめい自分の名刺を取り出しスタンプを押す。
自分の会社の名刺に『2000年度同窓会総会当番幹事 昭和55年卒・松緑会』のスタンプをペタペタ押す。
川崎はその下に『代表幹事』のスタンプを押す。・・・・・・・・そんなやり方をしていた。

スタンドに入り初対面の先輩方に名刺を差し出し自己紹介する。
「お前も代表幹事や?」   ん?  ごっ !!! 仲っ! おまえ、代表幹事のスタンプも押したとや?!
・・・・・・かくしてこの日、めでたく「仲代表幹事」が誕生。 我が松緑会は、二人代表幹事制となった・・・?



困った問題も起こった。
市川が仕事の都合で福岡を離れる事になった。
行き先は大分だから全く参加出来なくはないのだが、日々の仕事は到底無理だ。
けじめの送別会を開いた。
川崎・保井・仲、そして加月達郎・薮内雅英・チケット部長・・・・・。

これから厳しいが、後は任しとけ。・・・・当日はしっかり仕事を作っとくけん。

のぶも東京へ行く事になった。
三年間、警察庁勤務だという。・・・・残念だが本人にとってはいい事だ。
大栄丸で壮行会をおこなった。
剛志会から江副先輩・藤本先輩・川崎達哉先輩・白木喜信先輩がいらっしゃってくれた。
そして川崎・黒木・野見山浩・赤司卓也・柳谷勉・・・・・・・。
当時のワルそう連中が集合した。

のぶの口の上手さは昔のままだ。 黒木相手に饒舌を振るう。 会場が沸く。

ごっ!・・・・その目を疑う!
野見山が高笑いしながら江副先輩のスキンヘッドをおしぼりでツルツルに磨いてる!
マ、マジかよ・・・・・。  白い悪魔と呼ばれる所以だ。

のぶ、帰ってきたら、また飲もう。



気がつけば、もう8月。・・・・・・ノストラダムスの大うそつき!

やっと会場が決定した。
「ホテルニューオータニ博多・4階 鶴の間」


会場やロビーの広さも申し分ない。  1フロアで受付・会場・集計・各控室が全て賄えるのも魅力だ。
過去に先輩方がお使いになっているので知名度も抜群だ。
なによりここの宴会部には剛志会・パーティー部会の柳原先輩がいらっしゃる。
それに今は熊本のオータニに転勤したが、昨年までここに藤沢尚隆が勤務していた縁もある。
代表幹事・事務局長・会計・チケット部長の勤務先と同じ半径300m以内にあるのも有り難い。

日時も2000年6月24日(土)に内定した。
あとはテーマを煮詰めればチケットデザインにも取りかかれる。
1つ1つこなしていこう。



焼鳥秀吉以外のレパートリーも増えた。
味処一条に勤めていた白い悪魔・野見山が平尾のお洒落なお店に移ってきた。
焼酎のバリエーションも豊富である。 珍しいお酒も多い。
ついつい量が多くなる。・・・・・・・「おい、加賀田。大丈夫や?」
こんな時は決まってオバラ送迎部長の出番だ!
目的地が小郡だろうがどこだろうが関係ない。  責任持って、ちゃんと送り届けた!

・・・・ただし帰りは2時間も道に迷ったらしいが。 知らない土地をグルグルと。
加賀田もこれを教訓としてロックから水割りに方針転換した。

「高崎、テーマはくさ『来たれ21世紀! 起こせ西南の風!』って・・・どうや!」
(う〜ん、なんかブッチャーの入場テーマ※に似とうなぁ) ※・・・『吹けよ風!呼べよ嵐!』

「どげんね!」 「あっ、う、うん。 良かっちゃない♪」

◆1999年9月10日 第三回学年幹事会(高校会議室)
日時・会場・テーマなど総会の骨格らしきものがおぼろげながらも少しずつ出来てきた。

「みんなが一生懸命なのは判る。 でも今日の人数の少なさはなんや! このままじゃあ成功せんぜ!」
川崎、なんかダイエーがホントに初優勝しそうやけん、みんな気が気じゃなかったったい。・・・俺もやけど。

チケット部長が来年のチケット販売の見通しを、立て板に水を流すようにスラスラと訴え続ける。(なによ! 文句ある?)
もともと見通しなんてあるはずもない。・・・訴えたのは窮状ばかりだ。
そもそも今までの総会参加が極端に少なかった学年が当番になったら「来て下さい」なんて虫が良すぎる話だ。
希望的観測?・・・・絶望的観測ばかりだ。

「大丈夫よ、高崎。 何とかなるて」 谷川暢久だった。
昭和52年卒・碧波会代表幹事、伊藤陽介先輩とは同じ会社で先輩の直属の部下にあたる。
先輩は後述する同窓会理事会の中で同窓会総会の企画・運営を担う「総会委員会」の委員でもある。
言ってみれば当番幹事学年の上位機関のようなものだ。

「そうだよなあ。 出来るならそう願いたいよねぇ」
そう返事するのがやっとだった。・・・・・・・・全然先が読めない頃だから何とも言いようがない。
川崎と共に「無理を承知で」引き受けたつもりだったけど・・・・・・。

ただ悪い事ばかりではない。 あの万年Bクラスのダイエーが本当に優勝しそうだ。
連日の同窓会活動で、ともすれば挫けそうになる我々を励ますかのようにホークスの快進撃は続く。
そんな夢のような初優勝を目前にしたある日、焼鳥秀吉で大騒ぎの黒木・川崎・チケット部長。
「お前ら、そげん騒ぎよるばってん最後は西武ぜ!」
「なん言いようとや、秀吉! なら賭けるや?」
「おお、いいぜぇ! ダイエーが優勝せんやったらお前ら1万づつ、3万たい!」
「いいぜぇ、優勝したら俺達に3万払えよ!」 「良かぜ!」

そして1999年9月25日、遂にその日はやって来た!

         ペドラザ、投げたぁー!  空振り三振!
         福岡ダイエーホークス、初優勝ぉぉぉ〜〜!

「まあ、俺達も鬼やないけん、その3万全部キープしちゃあたい」
「ウソやろ! ・・・・23本出さないかんとや!」 「なら払うや?!」 「・・・・(泣)」

これらの焼酎は本当に重宝した。
いうまでもなく殆どの量は我々の喉元を通り過ぎていったが、その何本かは店の常連さんより
もたらされる勤務先の同窓生情報などを頂いた折に謝礼のキープに充てられたりもした。
その後しばらく、秀吉のビッグマウスがナリを潜めたのは淋しい限りだったが。

◆1999年9月29日 同窓会理事会(福新楼)
高校同窓会理事会は真鍋良則校長を名誉会長に、
昭和25年卒・緒方義立会長、副会長6名、そして専務理事1名を含む35名の理事で構成される。
・・・・・勿論、全員が同窓生だ。

会場は53年卒・吾参会(うーさんかい)代表幹事・張光陽先輩の老舗中華料理店「福新楼」


議題は6月の総会の決算報告・事業報告だ。

総会でのタイムスケジュールの報告や決算報告がなされ無事承認される。
先輩方の当番退任挨拶。 拍手で労いを受ける。
そして新任当番の挨拶・・・・・・川崎・保井・オズマ・宮田・浦・チケット部長。

江副先輩から紹介をして頂く。
「代表幹事の川崎君は、大変愛校心に長けておりまして、
       携帯電話の着信メロディには西南の校歌を入れております」
江副先輩の計らいで、着メロを流すよう指示される。
 ♪〜♪〜  「ほぉ〜」   一斉に感心される。・・・彼は自作の校歌を着メロにしていた。

中洲の「グリーン」で先輩方が集まって剛志会の労がねぎらわれる。
このお店は福岡ドームで総会を開催された昭和49年卒・天羊会、飯盛誠先輩のお店だ。
ネーミングも母校のスクールカラー。 また我々と同じく先輩方のバッジのカラーでもある。

これで名実共に「当番幹事」だ。
福新楼で先輩方にお酌して回る時も 「俺達が当番の時に初めて○○をした」というお話が多かった。
・・・・・・・・・・・・・果たして俺達はどうなんだろうか?・・・・・・もう甘えは許されないな。

店内では、カラオケが続く。
江副先輩が選曲された。・・・・・イントロが鳴る。・・・・・・・なんじゃ、こりゃ?
キンキ?・・・・・キンキキッズの「フラワー」?
あのジャニーズの?・・・・へっ?テーマ曲?・・・・・歌詞がいいから?・・・・・あ、そうですか。

(・・・・・ひょっとしてミーハー??????)

◆1999年10月26日 執行部会(高校会議室)
この日は異常に出席者が多かった。  まるで学年幹事会並みだ。
それもそのはず、目の前に大きなイベントが差し迫っていた。
「来月の学年同窓会次第で総会の成功が左右すると言っても言い過ぎやなかとばい!
チケットの予約販売ばするっちゃけん、大勢の人に必ず来てもらうごと。 良かねっ!」「おう!」
尻に火がつき、やっと仕事に身が入るチケット部長。 (あ〜あ、もう日本シリーズどころじゃねぇな)

学年初の全体同窓会の参加要請にも拍車がかかる。
総会成功へ向けて学年の結束を固める絶好の場だから絶対に外す事は出来ない!
「もしもし、しんちゃん? 来週の同窓会やけど出席、大丈夫よね?」
(うん、大丈夫よ)
「ありがと! それなら事前に色々準備があるけん早めに来てもらったら助かるばってん」
(その日はくさ、ねこ岳に登るけんギリギリになろうや)
「はぁ? ねこだけぇ〜? アンタ、間に合うとね?」
(うん、大丈夫よ!) 「そうや。 なら頼むね」・・・・・・大丈夫かあ?

さあって、あとは自学年チケットの予約販売に向けての準備だ。 いっそがしくなるぞ〜!

B5の白紙にシャーペンで縦横に線を引っぱる。
一番上の欄の左端から一コマ空けて・目標枚数・売上枚数・達成率・目標金額・入金額・入金率と順に書き込む。
左端の上より2段目からAクラス・Bクラス・Cクラス・・・と順番に書き、最後のIクラスの下に合計と書き入れた。
手帳を開き、走り書きした数字を見て電卓に叩く。
それらを見ながら目標枚数・目標金額と書いた欄の下に書き入れる。
一番上に【クラス別チケット売上管理表】と、デカデカと書き込む。
事務局の加賀田に渡し打ち込みの発注をする。
・・・・毎週、クラス幹事からの報告をこれに落とし込み、即座に集計して発表する。 これから毎週が関門だ。

年次チケットの配券計画に対しても意見交換が活発になる。
加賀田がまとめてくれた各学年のチケット販売推移を見ては頭を抱える。
さすがに歴代当番の先輩方は、しっかり要所を押さえていらっしゃる。
特に直近の剛志会の先輩方の販売実績はもの凄い! どの学年もくまなくしっかりと押さえられていた。
さ〜て、どうしたものか・・・。

歴代の当番の方が長年の苦労を積み上げて築きあげられた信頼の上に出来た数字だ。
そんな簡単に付け焼刃程度で追いつけるものではない。 これだけ先輩からの信頼がない状況で・・・。

ん!   ならば後輩たちはどうや?!
それも平成卒とか、うんと若い学年! 参加が少ない若手学年をイチかバチか開拓するつもりで!

いいじゃん!

川崎が画面に向かい、キーを叩く。・・・「出来た!」 プリントアウトしてコピーする。
チケット部長が数字を確認し、もう一度考え込む。
眉をしかめ、じっと眺めるチケット部長。・・・・・「やっぱ、それで行こう!」

「若い世代へのアプローチ」・・・・一つのキーワードが出来た!



広告の校正・チケット印刷は、昭和53年卒・吾参会、須川敬友先輩にお願いする事になった。
江副先輩もお頼みされていたし、マメの事もよく御存知だから打ち合わせも早いだろう。
今度の学年同窓会も張先輩のところで開催する。

チケットの為と取られてもいい。 ミエミエだと言われてもいい。
・・・・・カッコつけてる立場じゃないんだ。

◆1999年11月6日 学年初の全体同窓会、第四回学年幹事会(福新楼)
6月の総会の100名には及ばなかったが、それでも80名が参加してくれた。
Hクラスの多さが目立つ。 学年で唯一、浦が毎年孤軍奮闘しながらクラス同窓会を催していた賜物だ。
担任の先生方にも多数お越し頂いた。 和やかな雰囲気で盛り上がる。

チケット部長が舞台に立ち、マイクを掴む。・・・・・この日に合わせてグリーンのジャケット。
チケット予約販売の話を始める。・・・・・・各テーブル共、楽しい会話に華が咲き、鳴り止む気配もない。
喧騒の中、お構いなしに話を続ける。・・・・・・会話が収まるどころか益々ヒ−トアップしてくる。
まるで誰も聞いちゃいない! ・・・・そりゃあ在学中は取りたてて目立った存在でもなかった。
しかし今はそんな事は関係ない! 今は目立たねばいかんのだ! 総会が成功するまでは!

「それでは! 各クラスの目標枚数を発表します! この数字は『ノ・ル・マ!』とお考え下さい!」

・・・・・会話がピタリと止んだ。 視線が舞台に集中する。

「Aクラス、○○枚!・・・・・Bクラス、○○枚!・・・・・Cクラス、○○枚!・・・」
発表ごとに各テーブルから歓声が上がる。
「5枚買うぜ!」 「10枚予約!」・・・・・・・・。

チケットの予約販売は凄まじい数字を記録した。
この日だけで自学年の目標枚数の3分の1をクリアした。

川崎代表幹事が最後を締める
「来年、頑張るぜー!」「オー!」 全員で雄叫んだ。
・・・・・今頃、ねこ岳にいるであろうしんちゃんにも聞こえるような大きな声で・・・。

この日を皮切りに各クラスのチケット予約販売が学年連絡網を通じて一斉に開始!
毎週毎週、販売枚数と入金状況が集計され、その都度速報が流れる。
「うわー、やっぱHやね」 「いっぺい、負けやんな。抜き返せ!」
「俊二、すごいやん」 「あたり前たい、青木」
「門田、頑張ろうね」 「マメ、明日集まってTel作戦ばい」
丸山夏樹、佐伯哲郎、原田浩一も自分のクラスの代表として精力的に動く。
学年が大きく動き出した。・・・・・・・・みんな、最後まで頑張ろう。



二週に一度だった執行部会も月日を重ねるにつれて週一ペースになってきた。
例外もあるが大体水曜の19時から約2時間。 高校の会議室をお借りして話し合った。

お茶のペットボトルと紙コップの袋を下げた尾原が着くなり事務室に向かい、部屋の鍵を預かる。
部屋を開け、みんなを待つ。 「お疲れ〜」の声と共に加賀田が入ってくる。
川崎・チケット部長が入室。 青木・俊二・古賀の哲ちゃん・いっぺい・仲。

少し遅れてオズマ・丸山・宮田・原田。 佐伯もバイクで駆けつけた。 
尾原が注いだ紙コップを、みんなで次々に回す。
「それでは、お疲れさんです」 「うぃっす!」 加賀田の切り出しに野太い声が反応する。
八尋が遅れて入室。 マメ・門田・立石・増本・谷川も順次仕事を終えてやってきた。

・・・・・「良かたい! あとは、じゃがいもに行ってからたい」
俊二の禁断症状が出だした。 青木が隣で笑ってる。
博多んもんはせっかちだ。 何事もチャチャチャと行かないと気が済まない。
気がつきゃもう9時半か。 今日は無理ねぇな。
ケータイを取り出しキーを押す・・・・「すんません。 今からすぐ行きますんで松緑会セット15人分、大至急!」

居酒屋じゃがいも。 吉村外科病院の横だから歩いて1分。


馴染みのおかみさんに通されて席に着くなり生ビールと焼き物が次々と運び込まれる。
勿論、門田御用達のウィンナーもふんだんに盛ってある。
とりあえず、の前にありつける・・・・これが松緑会セットだ。

他愛もない馬鹿話が始まる。・・・・・・この前の飲み会の話、誰がどうした、彼がこうした。
笑い、笑い、大笑い・・・・・・。
昔こそ勉強一筋・スポーツ野郎・ワルそう・バンドマン・暴走族・正統派ライダー・・・・。
高校時代は口きいたことない人間も多い。
20年前は想像もしなかった「寄せ集め集団」の楽しい宴だ。

「さぁ、もう上がろうじぇ!」  ここでの言い出しっぺも俊二・・・・・・・いつもペースメーカー役だ。
みんな観念したように立ち上がる。 川崎が軽く気合いを入れた後、大黒流の取締り・門田を指名する。
「それでは手一本入れさせて頂きます。 ヨォ〜オ!」  博多手一本で宴の幕を引く。



会の預金口座は会計・増本和幸が勤務する西日本銀行渡辺通支店に開設していた。
会計が勤めているのだから非常に効率がいい。 画面照会すればそれがそのまま会の「出納帳」だ。
なかなかのハマリ役だったと思う。 正に「適材適所」だ。

通帳のみチケット部長が所持していた。 自学年チケットの入金確認の為だ。
外回り中に西銀のATMに出くわすと、パブロフの犬の如く入り込み記帳する。
入金があった者の名前をエンマ帳から抹消する。
だからクラス幹事からの入金状況の問い合わせにも俊二、いや瞬時に答えられる。
アナログ的なのは否めないが極めて効率的なやり方だ。

執行部会にて口座番号が書かれた紙片を皆に配った。
携帯して貰って、いつ問い合わせがあっても対応して貰えるように、だ。
それ位、入金には気をつかった。 いや、使わざるを得ない状況があった。

総会の運営費用の殆ど全てをチケット販売と広告の収入で賄う。
毎年、単年単年で運営しているので前年度繰越金は勿論、学校及び同窓会からの予算も皆無だ。
だから日日の運転資金確保のためにも自学年チケットの入金が必要だ。

遠方からの入金が特に早かったのは本当に嬉しかった。
物理的に総会準備に参加出来ない代わりに、という気持ちの表われと深く感謝した。
そういった意味合いも含めて通帳見ながらニンマリする日々が続いた。
・・・・・・・・・・・べつに自分の通帳でもないのに。



もう12月。
自学年チケットは相変らずクラスマッチのような感じで繰り広げられたいた。
ただ後々のスケジュールを考えたら、いつまでもかかっている訳にはいかない。
年内完達を合言葉に皆で購入を呼び掛ける。 勿論、総会参加も。

総会の改革案もまとめられてきた。
まず三年振りの料金改訂。   そして会場レイアウトの見直し。
懇親会では視覚・聴覚に訴えるような演出案が出ていた。

これらの根底にあるものが、もっと若い世代にも参加してほしい、という考えだ。
そして今回の同窓会総会の戦略テーマを「若い世代へのアプローチ」と位置付けた。
さらに、この戦略を実現させる為の戦術として、
・まだ学生世代が中心のジュニアチケット料金を大幅に引き下げる。
・会場全体を立食形式にして若い世代を真ん中付近に配置し、来場者にも変化をアピールする。
・総会の進行やアトラクションにBGMやSE、特効などを盛り込み、派手な演出に挑戦する。 等々

戦略があって戦術がある、 のだ。

無論どこまで意見が通るか判らない。
よしんば全面採用としても若い世代が来てくれる保証もない。

ただ、今までのスタイルで同じことをやっていたら当番としての意味がない。
改革といえば口幅ったくもあるが「同窓会における新世代づくり」を軸に推し進めようとしていた。



年も押し詰ったこの頃から、年をまたいで1月いっぱいまで諸先輩方の忘年会・新年会に出席させて頂き、
総会のPRに奔走する川崎・保井・宮田・チケット部長・・・・・。
「飲む前専用 胃薬ば飲んでいこう」 「ユンケルが効くぜ」

◆1999年12月22日 執行部会忘年会(大栄丸・ベイサイドプレイス店)
この一年の労をねぎらう。
世間じゃY2Kだの2000年問題だの忙しそうだが、ここだけは楽しもう。 「かめしずく」も、あっるしぃ〜♪

昭和56年卒の面々も挨拶に来てくれた。
100円じゃんけんをして賞金を増本の出産祝いに渡す。 全て硬貨のお祝いは、かえって迷惑そうだ。
いつも通り和やかに過ごす
・・・・・・・・・・はずだったが最後になって突然、川崎が怒り出した!



この一年、お互いに我慢している事もあっただろう。
お互いに対しての苛立ちもあっただろう。
普段なかなか言えない事・・・・・・いっぱいあったと思う。
でもそれをぶつけてこそ仲間だ。・・・・・目標は一緒なんだから。

企画部長とチケット部長は、この日サウナで夜を明かした。
口から出る言葉は互いに愚痴ばかり。・・・・・まぁ、たまにゃガス抜きもいいだろ。
すっきりして朝を迎えられ・・・・・・・・・なかった!
超二日酔い!・・・・泥酔したまま入浴するのはやめた方がいい・・・よ。 マジで!



いよいよ年が明けた。
勝負の年だ。 箱崎宮で祈願した。
「学年一世一代の大勝負。必ず勝てますように」   パンッ! パンッ!
・・・・・・・母校はキリスト教なのだが果たしてここで良かったのだろうか?

◆2000年1月7日 銀風会・新年会(福新楼)
昨秋の日本シリーズの学年別チケット争奪戦や
「親子ふれあい野球教室」のボランティア参加等で徐々に会員の先輩方ともお近づきになれた。
新年会には球団から佐々木淳二球団代表がお見えになっている。 会の存在の大きさを覗わせる。

二次会を経て、三次会に突入した。
大勢の先輩方とボックス席で歓談のひととき。
一番奥には会の設立者でもある平岡先輩が他の先輩方と熱心に語っていらっしゃる。
あれっ?  先輩のグラスが空いてるぞ。 お酌しようにも、ここからは遠いな。
お隣の先輩に言って・・・・

があ!! 隣は宮田じゃあ! しかも大口開けて寝とるやんかぁ!
よりによって大先輩のお隣で何すんのじゃあ!
すんませ〜ん、どなたかコソ〜と起こしてくれませんかぁ。

やばっ! 川崎も気づいた! 目が三角になっとる!・・・・・・・・・宮田く〜ん、知らないよ〜。

◆2000年1月12日 執行部会(高校会議室)
今年初めて一同が会した。 
遅れ馳せながら「あけましておめでとうございます」
いよいよ今年が総会ですね。 皆で頑張りましょう。

昭和56年卒、平畑雅博君・向井辰雄君も参加。 近まってきたんだなぁ。

青木が組織図についての話がある、と言う。
彼はクラスをまとめた後は上位学年の年次担当に移行するようになっていた。

いつものじゃがいもの後、川崎・青木・チケット部長で場を持った。
クラスの目途は立ったから、後を合屋にお願いして自分は平成1〜6年を回りたい、と言う。

正直びっくりした。 
その年次はいわば未開拓ゾーンで営業マン的立場で見ればかなり魅力的だった。
だからチケット部長も一度、川崎に「兼任」でやらせて欲しいと言った事がある。
さすがにNOだったが、青木も「やりがい」を感じての申し出だったのだろう。

翌日、川崎は加賀田に組織図の修正を指示した。




寒風吹きすさぶ中、同窓会理事・評議員の先輩方への挨拶回りも始まった。
「次の信号を右」「右ね、あいよ」「バカ、そっちは左やないや!」「あ〜っ!」

定例の執行部会・企画部会・学年幹事会などに加えて同窓会理事会・総会委員会など重要な会議が頻繁に入るようになる。
「今日はなんの会議や〜?」「えーと、えーと・・・なんやったっけ?」

同窓会理事会は会員情報、基金、スポーツ・文化、組織、総会の5つの委員会に分かれる。
その中で以前にも述ベた「総会委員会」の検討が始まった。
我々の計画が委員会に計られるのだ。
会場は委員長でもある昭和31年卒・エイト会、武石隆正先輩のご自宅だ。
理事会の席上でもご一緒させて貰ったが、なかなか酒にお強い先輩である。
川崎・保井・加賀田は予め昭和51年卒・庄島真一先輩の「住吉酒販」で買いつけた極上日本酒片手に
江副先輩に連れられ、ご自宅へと赴いた。
料金改訂・会場レイアウト・アトラクション・・・・検討項目は山積している。

「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ・・・・・・・・」
折りからの風邪をこじらせて苦しそうな加賀田。 一度、咳が出だすと止まらない。
奥様が気遣ってくれ自家製の花梨酒をコップに注ぎ、咳が治まるから、と勧めてくれる。
「す、すんません」 ゴクゴクゴク・・・・・・・「!!!♪お、美味しい」
「奥さん、すんません。 おかわり貰っていいですか」 「・・・あ、はい・・・」
二杯目、・・・三杯目、「ここにビンごと置いておきますね〜」・・・四杯目・・五杯目・・・・・
先輩の奥様が精魂込めて漬けられた御自慢の花梨酒は哀れ、この男によって一滴残らず飲み尽くされた。

活発な討議をしながらも差しつ差されつが続く。
武石先輩は顔色1つ変えずに終始同じペースでお猪口をぐいぐい傾ける。
川崎もなんとか差されたノルマを果たそうと懸命についていく。

意識と無意識の境界線をさ迷いつつも何とか持てた♪
帰りの車中、緊張から解き放たれた瞬間、とうとう酒に魂を抜かれてしまった。
「しぇんぱいて!だいたい江副しゃんがくさ〜、おれをひっぱりだすけんが、こげんなやまないかんめぇがぁ〜!
あんたんせーばい! わかっとう?!」
江副先輩。 後輩の健闘を称えつつもしたり顔。・・・・・・思わずにやけてしまった。

◆2000年1月20日 同窓会理事会(福新楼)
先日の総会委員会で擦り合わせた案を持って理事の方々に発表する日がやって来た。
とは言っても本格的な討議は来月から始まる理事・評議員会からなので、今日はその前段だ。

しかし川崎の表情が冴えない。 「俺、大勢の人前で話すの、ものすご苦手やん」
へっ? そげん風には見えんばってん? 
加賀田が花梨酒の甲斐もなく、ますます風邪具合いが悪化したので川崎・保井とチケット部長で行く事になった。

昭和26年卒・石橋次郎専務理事の前振りの後、3人が上座に立ち川崎代表幹事が発表した。
・・・・・・質疑応答も何もない。  「よろしゅうございますね。 じゃ、当番の方、お疲れ様でした。」
専務理事が出口に向かって手の平で差し示す。 「当番には、ここで退席して貰います」
・・・・・・(へっ?)

「何やったんやろ?」 「とりあえず飯食い行こうぜ♪」 
川崎は首を傾げてるが、チケット部長は早く終わって上機嫌だ。
近くのシックなフードバーに入り、メニューを見ながらあれこれ頼む。
料理を待ってる間、ビールで乾杯し雑談にふける。

♪〜♪・・・・西南の校歌が鳴った! 川崎の携帯だ。
  
(おまえら、何処おるとやー! はよ帰ってこーい!)

隣に座っててもハッキリ江副先輩の怒鳴り声が聞こえた! な、なにっ? 一体、何があったと?
キャンセル出来る分はいいとしても仕掛かっている料理は払って急いだ。 つべこべ言ってる段じゃない!

即効、会場に舞い戻ると、そこは懇親会の真最中♪
キツネにつままれたとは、正にこの事! ・・・・・・てっきり会議が紛糾している場面を想像してた!
と、とにかくビール片手にお酌して回る。・・・・・なるべく江副さんの方を見ないようにして。

散会後、エレベーター前で皆様をお見送りして最後に会場を出た。
玄関を出ると伊藤先輩と江副先輩がお待ちであった。
「おう、遅かったやないや。 はよ川崎だけ乗りやい。」

目の前に1台のタクシーが後部座席のドアを開けて停まっていた! 
助手席には既に武石先輩が! 張先輩も後部座席に乗り込もうとしている。

・・・・・ここでピンときた!

雨に打たれた子犬のごとくプルプル震え、救いを求めるような眼差しで振り返る川崎。
・・・・・・・・・・・何も言わず、その視線をわざとそらすチケット部長。
(顔ぶれ見たら、しっかり歴代代表幹事会やん。 おじゃまになっても悪いしぃ〜♪) 

「お前達は、お疲れさんやったねぇ」 
右手を差し出された伊藤先輩に両手でお応えする。 (いえいえ、そんな全然♪)
久々に江副先輩と目が合った。 またしても、したり顔だ♪
春吉方面に向かうタクシーを見えなくなるまで見送った。

川崎く〜ん、がんばってねぇ♪  さぁって! 飲みに行こっ♪  待ってろよぉ〜、カンティーナ!

◆2000年2月5日 職域・クラブ資料整理(安田生命会議室・八尋の当時の勤務先)
前年までは会議や作業関係は、全て平日の仕事終わりに行っていたが年が明けるとそうもいかなくなった。
「休日出勤」が、これからは増えていく。
膨大な資料とも格闘しなければならないからだ。 作業には時間と場所と人員が不可欠だ。
幸い八尋が場所を提供してくれた。 すごく広いので助かる。

川崎は代表幹事でありながらも、どんなに小さな打ち合わせや作業でも必ず顔を出す。
人に任せられないって訳じゃない。 自分が全て把握し理解しなければ気が済まない性分だ。

膨大な枚数の資料や名簿を浦が黙々とコピー機にかけ、みんなで仕分け。
浦は普段は一人で病院を切り盛りしている為、平日の夜はなかなか活動に参加出来ない。
だけど土曜日だったら午前中で診察が終わるので作業に参加してくれる。 こういう姿勢が有り難い。

個人的には浦整骨院には大変お世話になった。
まだまだ若いと頭の中では思っていても身体だけは正直だ。
会合や打ち合わせが深夜に及ぶにつけ、身体のあちこちが悲鳴を上げる。
そんな時にはいつも浦整骨院のローラーベッドが疲れた身体を優しくいたわってくれるのである。

いつものように浦整骨院のローラーベッドで二日酔いの治療(ん?)をしていた時だ。
唐突にケータイが鳴った。 ・・・・川崎だ!
(タカサキ、目野君って知っとう?) 「メノ?  誰や、それ?」

車で百年橋通りをを通っていたら助手席の黒木が『目野酒販』という看板を目にして
「同級生にも目野君っておったばい!」と大声で言い張ってるらしい。 どうやら昼飯も賭かっているようだ。

てやんでぇ! こちとら同級生名簿なら毎日毎日、穴が開くほど眺めている。
そんなに珍しい名前なら当然記憶にあるはず!
「絶対おらん!」 (そうよね!) 確証を得て川崎は嬉しそうに感謝の意を伝え、電話を切った。
「おるよ!」 脇でやりとりを聞いていた浦が同窓生名簿を調べてくれて、その名を見つけた。

いたっ!  確かにいた!    でも黒木の「二回目の」同級生だった。 

◆2000年2月9日 第五回学年幹事会(高校会議室)
「加賀田に続いて保井も風邪でダウンしてくさ」 「マ、マジ? どげんする?」

あれほど勢い良かった自学年チケットも年明けには急激にペースダウンした。
・・・・・・・・・・・年内完売を目標としていたのだが。
ここでの遅れは後々大きく響く。・・・・・年次チケット・職域・クラブチケット販売開始に食い込むからだ。
川崎発案のリストが配られた・・・・・「不買者リスト」 各クラスで購入拒否者の名簿だ。
・・・・・・・・・・・決して反逆分子とか危険人物とか、そういう扱いではない。

卒業して20年も経つんだ。 電話だけではなかなか伝わらないし、相手だって身構えている。
「クラス別」販売というのは単に便宜上だけの問題であって本来的に言えば誰が売ったって構わない。
同じクラス以外に親しかった奴って、居て当然だし、そいつが電話すれば話が早いに決まってる。
・・・・・・・・・・・だから敢えて幹事会で公開する事にした。

「俺、そいつと良く会うよ」「幼なじみやけん」「家が近いけん時々会うぜ」
・・・・・なるほど!
「OKって!買うげなよ」 いっぺいが携帯で即効決めてくれた。  「ありがとー」 クラス幹事が感謝する。
あれだけクラス対抗の火花が散っていたのが、この頃には学年で達成しようという意識に変わっていた。

黒木も来てくれていた。
「俺には同級生が千人おるっちゃん」の言葉通り、広告とチケットを二学年に振り分けて協力してくれると言う。
ありがとう、黒木。 アンタは紛れもなく俺達の同級生だ!

・・・・・・・・・目野くんは残念ながら違うが。



もうじき始まる評議員会を目前にして、かなりの重圧を感じていた頃だった。
チケット料金改訂・レイアウトの大幅見直し・式次第の構成・アトラクションのプレゼン・ホテル側との交渉・・・。
やってもやっても追いつかない。
宮田やマメはアトラクションの交渉や式次第の調整に大わらわ。
加賀田も慣れないパソコン相手に書類作成やスケジュール管理に追われている。

川崎に至っては毎晩毎晩、先輩方から「ご指名」の毎日!
それも律儀に会議や作業を終わらせてからの「ご出勤」だ。
もう一度言うが、大の大人が理解し合うのに「酒」の場は欠かせないのだ!

とは言っても、・・・・ねぇ?

いや、やっぱりそうなんだ!  逆に全くお呼びが掛からなかったとしたら・・・どうなんだろ?
当番学年を代表する「親分」としては重要なトップセールスの場なのである。
先輩方の経験談を有り難く拝聴し、自分達の活動に活かす!
先輩方の会合の情報があれば逃さず記憶に止め、付け届けの一つ片手に訪問する!
・・・・毒を食らわば皿まで!? なのだ!

チケット部長も時々は「同伴出勤」することがあった。
楽しく場を盛り上げながらも、わきまえておかねばならない事が色々とある! だから緊張感で酔うどころではない。
然るに「お疲れ様でした!」と深夜、先輩方をお見送りした後に川崎と帰途につく時には必ず、
「もう一軒、寄っていこうかぁ?」 どちらともなく・・・そうなった。

なんだか、いつまでたっても終わらないような気がしてきた。
・・・・でも、あとたったの4ヶ月なんだ!  頑張ろうよ。

「♪こんなに頑張ってる君がいる 叶わない夢はないんだ〜♪」 
あの時、江副先輩が歌ってたkinki kidsの『フラワー』   いつしか我々の定番になっていった。

◆2000年2月19日 安田生命会議室
待ちに待ったチケットが刷り上った。
須川先輩の会社に車で乗り付け、出来立てホヤホヤのチケットの梱包を頂く。
デザインもいいし、何よりも実感が湧いてきた。
川崎に頼み込んで用意してもらった印刷代金を早速、キャッシュでお支払いする。
先輩はびっくりされてたが、これが我々の流儀だ。・・・・・いくらミエミエと思われようとも。
松緑会はいつもニコニコ現金払いだ。 しかも即金だぞ!  ただしOB関係のみだが・・・・。

その足で、みんなが待ってる八尋の会社に直行する。
来週の評議員会での配券に備え、みんなで各年次毎に仕分け・封入作業だ。
「みんな、自分の分のチケット、好きな番号ば抜いとこうぜ!」    れれっ?
お、おい、通し番号なのにそんなに抜かれちゃ・・・・・あとで調整するのに苦労したぞ、川崎君!


ある日の執行部会。
その報告は唐突になされた。
「自学年チケットが目標達成しました!」
大拍手!
ちょっと時間が掛かったが、学年全体で一つの事をやり遂げた瞬間だ。

自学年チケットの販売目標が達成されると焦点は入金状況に当てられる。
この日は久々に阿部真之助が出席してくれていた。
「しんちゃん、アンタまだチケット代が入っとらんばい」
「お、すまんすまん」 気前良く財布を取り出し、支払いに応じた。 が、
「んっ? アンタ、全然足らんやんね!」
「ま、まけちゃってん! い、い〜やない!」
ピキピキピキッ! 「!!!#%$&*+!!!」

こともあろうに執行部会にてチケット代を値切るとは・・・・・流石、しんちゃん!

◆2000年2月23日 第一回理事・評議員会(福岡国際ホール)
さぁ、もう待ったナシだ。
早くから多くの同級生達が仕事もそこそこに駆けつけた。
同窓会事務局からお借りした緑の腕章を腕に整列して理事・評議員の方をお出迎え。

大勢の理事・評議員の方々を前にして緊張した面持ちで川崎代表幹事が全体の趣旨説明。
宮田企画部長もメガネが汗でズリ落ちながらも企画内容説明で熱弁を振るう。

チケット部長もご挨拶・・・・・こ、声がうわずって・・・・。
江副先輩・吉田先輩・藤本先輩が不安そうに眺めてる!
・・・・・・・・・・まるで我が子の運動会を見る親のように。

各年次担当者も紹介した。・・・・・・・次はチケットの配券だ。
「○○年卒業、○○先輩。本年度配券枚数○○枚! よろしくお願いします!」
年次担当者が予め決めておいた順路に沿ってチケットが入った封筒をお渡ししていく。
「お願いします!」  ホール中に何度も響き渡る図太い声。
前日から直前まで何度も何度も繰り返したリハーサルの成果だ。





各年次担当の挨拶回りが本格化してきた。
診察時間の合間を縫い、自慢のカーナビを駆使して駆け回る浦。
夜討ち朝駆けでフットワークの良さが光ったオバラ。
仲も負けじとルートセールスよろしく日参する。
谷川は仕事上でお付き合いのある先輩が多い強みを活かして独自のPR作戦を展開。

若い世代へのアプローチも始まった。
特に青木担当の平成1〜6年、立石担当の平成7〜11年年は
情報収集という地道な作業からという事になる。

意識し出すと好転する。
佐藤慶一郎・倉光謙三郎・増本らが職場の後輩や縁者を紹介してくれる。
紹介者がいるという事はなかなかポイントが高い。
紹介者とのつながりがあるから無碍には出来ないだろうし、第一警戒心も薄れる。
その方から広げる事ができたら万々歳だ。

その活動のなかで平成3年卒、一木信昭君と出会った。
舞鶴で鉄板料理「一喜」という店を家族で営んでいる。 青木が開拓して一緒に行った。
レトロ風の構えが印象的だ。 引き戸を開けて中に入る。
カウンターとテーブル席。 そんなに広くはない。 せいぜい20人位。
奥が座敷だと言う。 伊佐美の瓶が並ぶ通路を通って奥へ。
広い!  30人はゆうに入れる。 2階もあると言う。 カウンターとテーブル席。
貸切にピッタリだ!     実際にこの後、みんなで何度も行った。
・・・・・・・・・少し脱線したが、こういう出会いが生まれるのも同窓会のいいとこだ。

脱線ついでにもう一つ。
理事会の昭和13年卒、空閑義孝副会長とだいぶお近づきになれた。
お孫さんも西南で九大在学中だという。
見逃す手はない。 携帯番号を聞かせて頂きアポが取れた。
平成9年卒、中村大二郎君。 人懐っこい感じの好青年だ。
九大での販売、勿論どれだけ売れるか判らないとの前置き付きだったが快く引き受けて頂いた。

確か我々の学年の九大進学は片手に余る位?
いまや一学年50人前後は行くらしい。 とすると四学年で200人!
専従の担当を就けてもいいくらいだ。



これは総会委員会の席上での出来事だ。
先日配券したチケットを何気なく眺める江副先輩。
「!!、この矢印、右肩下がりやないと?」
「!!!!」・・・・・・・・・た、確かにそうだ!

左上の「2000」から右下の「2001」に向かって矢印が右肩下がりだ!・・・・気がつかんやった。
営業言葉では右肩上がりは躍進の象徴だが、右肩下がりは衰退を表わし忌み嫌われている。
・・・・・・・・でもいまさらどうしようもない。 気にせず頑張ろう。

気にせず!・・・・に。   ・・・。

◆2000年3月1日 卒業式予行練習(高校チャペル)
目の前に座っている、この大勢の3年生達も4月からは立派な同窓生だ。
川崎が壇上に立ち、お祝いの言葉と共に総会の案内を呼びかける。
しかし変わったなぁ〜。 ワルそうとかいないじゃん。 みんな頭の良さそうばい。

「おまえ達も熱心やなぁ。 今朝も大学の立石がチケット持って挨拶しよったぞ」
・・・・・「へっ??」
和佐野健吾先生から聞かされビックリした。

立石肇・・・・・西南学院大学・学生課勤務。
        その強みを活かしての平成7〜11年「ジュニア世代」の年次担当だ。
        まさに「適材適所」だろう。   

川崎が電話を入れる。・・・・「いや〜川崎、俺もD組のはしくれやけん」
う〜ん、恐るべし。

◆2000年3月11日 西雅会・総会(平和楼)
昭和23年卒・井上雅實福岡県議の高校OBでつくる支援会だ。
さすがに参加者が多い。 それも初めてお会いする先輩が多い。
川崎・保井・俊二・谷川・尾原・チケット部長。
乾杯の発声を合図にビール片手に手分けして、お酌に回る。
しかし回れど回れど終わらない。 当然、あっちでつかまりこっちでつかまり。
・・・・・はぁ〜、酔いそう。・・・・全然食えん・・・。

太田誠一代議士が御挨拶に来られた。・・・・すごい会だ。

「おまえたち、6人も来てから、こすかもん!俺は去年、忠司と2人で回ったとぜ〜!」
へ?  そうだったんっすか? 江副さん。  
なんか川崎から「たくさん来てね♪」って言われたりしたもんで。

・・・・・この時ばかりは川崎の方がしたり顔♪・・・だったかな?

・・・・・う〜、ビールと日本酒しか口に入れてないぞ〜。
は?   二次会?  グリーンっすか!  はい、すぐ行きます!
あっ、おネエさん、  それ、まだ食う。  片付けんで〜!





この頃、あまり人に言えない悩みを抱えていた。
年次チケットは2月の評議員会にて各学年に配券したのだが、自学年チケットは実はまだ配っていない。
自学年の販売目標は既に達成し、入金も大半が終えている・・・つまり売れているにも関わらず渡してないのだ!

自学年チケットの予約販売を始めるにあたっては同級生全員に複数枚の購入をお願いしてきた。
いや、無理強いしてきた。  その代わり他学年に対しての転売は可、という条件と引き換えに。
無論、これは建前だ。 
仮に学年総がかりで他学年に転売されでもしたら当然、年次チケットは大幅に落ち込んでしまう。
自学年数値が年次チケット目標数値に食い込んでしまう現象が考えられるのだ。
多分、皆入金を終えているので早くチケットを受取り、転売して現金化したいだろう。
事実、皆からは「いつ配布するのか」という問い合わせが相次いでいた。

(悪かばってんが、総会が終わるまで大事に握りしめとっちゃってん!)と言うのが正直な所だ。
だからあれこれ理由をつけてはワザと配布を遅らせてきた。
昨年、剛志会の総会チケットを売っている時には複数枚買ってくれた人には
川崎がさりげなく転売相手を聞き出し、先回りして売りつけ、その人の売り先を潰すという
トンでもない離れ業をやってのけたものだったが、今回ばかりはそうもいかない。
その川崎も「同級生の分は半券をもぎって配りやい!」とまで言い出すし!

そんな中「高崎、チケットはいつ貰えると?」 いっぺいだった。
「いや、まだ決めとらんけど。 急ぐと?」 「タカオのとこに届けたいったいね」

!!!・・・衝撃だった。

寺崎貴郎、卒業して二年後に若くして旅立っていった我々の同級生だ。
いっぺいとは「所属チーム」は違えど、互いに切り込み隊長としてしのぎを削った仲だった。
我々の学年が当番の総会チケットを彼の実家に行って仏前にお供えしてくる、というのだ。

ありがとう、いっぺい。 決めたよ、今度の幹事会で配るけん! タカオに宜しく。

◆2000年3月29日 第六回学年幹事会(高校会議室)
広告営業も始まった。
古賀の哲っちゃんの独壇場だ。 哲っちゃんは出版業界に長くいたので、お手の物だ!
1人ローラー、いや1人ブルドーザー作戦で次々と成果を挙げていく。 正に「適材適所!」

しかし、またまた困ったことも。
原田が体調を崩し、入院した。
彼は病院のベットの上でクラスの人たちへ案内文郵送の作業をやっていた。
(チケット部長・・・・・彼の手からその束をそっと奪った・・・・・胸が熱くなった)
回復するまでは筒井淳や益崎隆雄がクラス幹事を手伝ってくれた。
それ以前には宮田やマメも入院していた。
幸い、みんな大事には至らなかったが心労重なる事も多分にあった時期だ。



この頃、「同窓会失業」という言葉が語られ出した。
ここ何ヶ月かで我々の仲間内で3人が失業した。
勿論、こういうご時世。 これまでの同窓会活動が原因という訳ではなく、それぞれに事情があるのだが。
先輩方の間でも、それくらい頑張っている、と少しずつ評判にもなってきた。

ただ、困るのが名刺。 会社の名刺がなくちゃスタンプも押せない。
川崎が得意のパソコンで松緑会の名刺を作ってくれた。
校門の風景写真を取り込んだ「松緑会専用名刺」だ。

◆2000年4月8日 剛志会主催・評議員選考会(通称・若手会。ホテルオークラ福岡「ブルワリー」)
我々の大改革の目玉、同窓会の将来を見据えての「若手世代へのアプローチ」
オズマ・青木・立石が年次担当として、この趣旨に沿って若手世代の開拓に従事していたのだが、
その布石とも言える、この大事な行事に彼等の努力の成果がいち早く顕われたのだ。

なんと後輩諸君が60名以上も参加してくれた! 平成卒業の若者も多い。
・・・・先輩方も目を丸くしておられる。

余興のゲーム大会が始まると溢れんばかりの熱気が会場を支配した。
学年対抗で一口500円で賭けさせる。 勝負がつかずキャリーオーバー。
追加馬券を販売し、賞金総額はとんでもない額に!
「馬券、全部買うって言いよったい」 「!! どこの学年や?」 「58年!」

58年? なんちゅう奴っちゃ!   でも、とりあえず覚えとこ。

同窓会の「新しい芽」が着実に芽生え始めた。 改革の目玉が少しづつ前進した。

◆2000年4月12日 第二回評議員会(福岡国際ホール)
いつになく厳しい質問が相次ぐ質疑応答。 やはり、料金改訂への質疑が多い。
そんな中、ある先輩から発せられた何気ない質問。  「今年のウリは何ですな?」

終了後、「川崎! もうアタマにきた! 俺はやるばい!」
マメ、そうこなくっちゃ♪  ・・・でもなんで頭に来たか、ようわからんが。
企画担当のプライドに火がついたのかぁ?



アトラクションは福岡ドームダンシングチーム・ハニーズのダンスに決定。


司会者はなんと、その喋りの上手さを活かして我々の学年から八尋!
そして高校現役放送部の阿部しのぶさんという総会史上異例のキャスティングが決定した。

「ワシが高校で寝とったら偶然会ったけん、スカウトしたっちゃん」
でかしたぞ、加賀田♪

執行部会も連日のように続く。
「会場レイアウトはステージのまん前に若手学年を置くようにしたけんね。
 ど真ん中やけんガラガラやったら みたもなかばい!」 川崎の檄が飛ぶ。

若手学年の更なる開拓の日々が続く。
立石は西南大のキャンパスに告知ポスターを貼り、着実に枚数を伸ばす。
オズマもハンドボールOBを中心に連夜のアプローチ。
青木に至っては都城への日帰り出張後に夜訪という超人的な日程を毎日のように繰り返す。

◆2000年4月26日 第七回学年幹事会(高校会議室)
総会資料の編集も始まった。
古賀の哲っちゃんの踏ん張りでかなりのページが埋められた。



思い思いのゴールデンウィークを過ごした。
これから段々と佳境に入って行く。

シナリオ作りは大変な作業だ。
マメは綺麗な夜景が見える会社の会議室を占領し、哲也(ブゥ〜!)徹夜(ピンポ〜ン♪)でシナリオ作成の毎日。
あまりの根詰めた働きっぷりに部下達は、次長が大きな仕事を仕込んでいる! と信じて疑わない。
・・・・・会社の皆さん、すみません。

やっとの思いで出来上がった原稿を宮田が受け取り、これまた徹夜でパソコンに打ち込み。
細かい文字が無数に並ぶ原稿を食い入るように見つめる。 が、どうしても読めない文字が幾つもある。
悪いとは思いつつも、その度に電話を入れる。 マメはいくら聞いてもどの文字のことを言ってるのか、さっぱり判らない。
・・・・・・・やがて会話がかみ合わなくなる。
・・・・・・・しまいにゃ言い合いになる!
・・・・・・・これを何度も繰り返す。

広告営業を一手に引き受け、東奔西走しながら大奮戦した古賀の哲っちゃんは、
過去最高の広告量を入稿し終え、ひとまず落着いた。
・・・・かに見えたが、一旦覚醒したロックンロ〜〜〜ル魂はもはやとどまる所を知らない。
仕事でなかなか参加出来ない城一路をつかまえて 「恫喝!」
同じく仕事で参加ままならない豊田隆昭をケータイにて 「恫喝!」 いや「恐喝?」



なんとか順調にいっているようだ。
・・・・しかし・・・・!!

◆2000年5月17日 第三回評議員会(福岡国際ホール)
肝心のチケットがまるで伸びてない!  このままじゃあ惨敗だ。

江副先輩からもきついお叱りを受ける。
同級生は沢山来てくれているものの声が出てなかった。・・・・・中だるみ状態?
とにかく、とりあえずチケットをなんとかせねば・・・・・。

「この通りだ。 助けちゃってん!」
会議後に居残って貰った後輩諸君に土下座せんばかりに頭を下げる。・・・・・・屈辱だ。
「明日、緊急販売部会ばするけん55年は全員出席たい! 欠席は許さん!」
チケット部長がブチ切れた。・・・・・・・・・・ちょっと面倒なことになったばい。

昨年から計画したことはうまく行ってるはずだ。
今年は更に懸命にやってるつもりだ。
だったら、何故・・・・・・・?

数字はウソをつかない。 そして誤魔化せない。
結果には必ず原因がついてまわる。 最後の最後で「ごめんなさい」なんて絶対に許されない。
事実、広告入稿も終わり好成績をはじき出した。
式次第も全て整い、料理メニューも、酒類の手配も終わっている。
あとは肝心の来場者。・・・・・主役が居なければ料理も企画も広告も全てオジャンだ!

・・・今まで「・・・はず」「・・・つもり」で自分を正当化してたんじゃないのか?

評価というのは自分でするものじゃない。 他人がするものだ。
去年よりやっているって、あたり前の話だ。 何の自慢にもならない。
まだまだ何かが足りないんだ。 何かが。
先輩たちが去年の今頃どうだったか見て来たろ。
思い出せよ、チケット部長!

◆2000年5月26日 第八回学年幹事会(高校会議室)
総会まで一ヶ月を切った。
いつしか定刻前には、ほぼ全員が揃うようになっていた。
時間の大半がチケットの売れ行きの追及に費やされた。

最新の売上集計が全員に配られる。 皆、こうべを垂れ数字に目を落とす。 顔を上げようとはしない。
チケット部長の目がつり上がる! 怒声を響かせる! 黒板を叩く!

割を食ったのは企画部会だ。 会議で検討する時間がなくなった為、
その後に行われる飲み会にて宮田・マメ・八尋だけ別テーブルにて料理に箸をつける事なく、
シナリオの打ち合わせを強いられる格好となってしまっていたのだ。・・・・・す、すまん!



ちがう。・・・・・何かが違う。・・・・・まだ違う。
プラス思考とマイナス思考が交互に入り混じる。

だけど、もう三週間前だ。 さすがに年次チケットも大きく動く頃だろう。
今頃各学年代表もきっとあちこちに売り込んでくれてる、に決まってるさ♪

そう思いながら店のドアを開けた。
「あ、ミック、久し振り〜♪」 「あ〜、ママ。 ん、今日多いっすねぇ」
いつものカウンター席の隅に腰をおろした。  れっ?
「しぇんぱ〜い♪ おつかれさまで〜っす」 !!!「わ、わたりっ!」

赤ら顔で目元もトロンとしているが紛れもなく昭和57年卒・学年代表、渡光平君だ。
・・・・き、きみ、チケットは?・・・・・売れたの?

・・・・・・・・・・苦悩の日々は続く。



チケット部長を引き受けた時の会話が、ふと浮かんだ。

「アンタ、あれだけチケット捌いたっちゃけん大丈夫やろ!」
「ばってん川崎、今度は俺は売らんけんね。 1人で頑張ってもせいぜい30枚。
 これからは、みんなに売らせるのが仕事たい」
「良か良か。 みんなにポイントだけを教えちゃってん」・・・・・・・・・・。

チケット部長・・・・・・売る・・・・・・売らせる・・・・・・?

まず言えるのは、これは商売ではない。
しかし現実問題「お金」は必要だ。

チケットを売る事は目的? 手段?・・・・・・・そもそも同窓会って?

◆2000年6月7日 第9回学年幹事会(高校会議室)
自宅に眠っていた予備チケットの束を全て持ち込んだ。 こんなとこに置いてても腐るだけだ。
「個人チケット」として皆に配布した。 一人、大体20〜30枚。 一番多くて50枚。
数少ないスタッフで賄っている。 職域、クラブを掛け持ちしてもらっている上に、さらに。

「みんなでもう一回、あたりを見渡そうや。 親戚、職場、友人・知人全てを。
 とにかくプロパガンダが大切やろ。 沢山の人に案内をする事が同窓会の基本やろ。 
 断られてもいいけん、案内だけはしようぜ。
 卒業生は二万人以上おるとやけん同窓会がありよる事を知らん人もまだまだ多いと思うけん。
 そのチケットは人に預けていいよ。 5枚とか10枚とかでも。
 1人の力じゃ限界があるけん、喋る口を増やそうってことたい。
 チケット持たされたら、なんとかしちゃろってなるかもしれん。
 なんかなし、大勢の人に知れ渡るごとしょうや。
 ただ、売れんやったチケットは回収せなよ。 それと、預けっぱなしもダメ。 タイミング見ながら確認してよ」



今までは秩序というものにこだわり、職域・クラブチケットよりも学年内での販売を尊重してくれ、と説いた。
そりゃそうだろ。 各学年代表の方々に何度も何度も頭を下げて学年内での販売をお頼みする一方で、
我々の学年が職域・クラブをカサにしてガンガン売り捌いたら「なんだ!」ということになりかねない。
年次チケットで全てがカバー出来るなんて、これっぽちも思っちゃいないが、まず何よりも年次を優先し、
職域・クラブ販売はその側面攻撃と位置づけてきた。

その方針を180度転換した。 事実上の解禁宣言だ。 クレーム覚悟の上で。
やはりここは原点に帰ろう。 同窓会の基本は、より多くの同窓生への声掛け・案内だ。
DMも送って貰っているし、新聞広告も出す。
でも残り二週間は、みんなで声掛けして回ろう。
同窓会は毎年あってるけれど俺達の同窓会は、この一回っきりなんだから。
一生に一回だけなんだから。
みんなで頑張って、やっとここまできたんだ。・・・・・だから、より多くの人に来て貰いたいんだ!

川崎が付け加える。
「下の学年は全然遠慮はいらんばい。 彼らの今後の為にもなるちゃっけん。
     城とか増本とか、会社にたくさん後輩がおろうが!
 そいつらは、全員来てあたり前たい。
         出来んやったらアンタ達が、上司と認められとらんったい!」



いよいよ総会までのカウントダウンが始まった。
年次・クラブ・職域入り乱れての声掛け、案内、宣伝・・・・・まさに戦争状態だ。
・・・・・・・職域のチケットが動き始めた。
いっぺい・オズマ・俊二・古賀の哲っちゃん・八尋・原田・筒井・増本・城・谷川・・・・・・・。
普段は、なかなか顔を出せない平田雅昭・益崎も勤務する病院内でさばいてくれた。

ここに来て負けじ魂が一気に爆発した!  さぁ、もうゴールはすぐそこだ!

◆2000年6月13日 第四回評議員会(福岡国際ホール)
いよいよ最後の年次チケット販売状況報告の時が来た。
「ウチの学年は今のところ20枚です。 当日まで何とか25枚まで行きたいと思います」
「有難うございます。 当日まで、宜しくお願いします!」 「お願いしますっ!」

・・・確かに前回よりは良くなっている。 だが、まだまだだ! 

正直、この時間がチケット部長にとっては一番つらい。
各学年代表の皆さんが敵にさえ思えてくる時がある・・・んよね。
ホントに孤独な時間帯だ。 胸が張り裂けんばかりだ!

そんな中、 そんな状況の中で!
「我々の学年は100枚です! そして一生懸命頑張っている松緑会の皆さんに敬意を表し、
 ここにある代金を本日、全額入金させて頂きます!」・・・分厚い封筒を高々と差し出される、そのお方!

しゅ、しゅうちょぉおおお〜〜! いや、剛志会のチケット部会長、藤本せんぱい!

あ、あ、あ、ありがとうございますっ! ホントォーーに、ありがとうございますっ!

嬉しい! 本当に嬉しい! 地獄に仏とは、まさしくこの事だ!
藤本先輩、本当に心強かったです。 私もいつかは先輩みたいになれるよう頑張ります!


「総会まで、後10日となりました。当番幹事は朝も昼も夜も関係なく、仕事も家庭も顧みず真剣に頑張っております。
皆様、どうかどうか今少しのご助力宜しくお願いいたします!」「お願いします!」
川崎代表幹事の挨拶にも一層、熱がこもる!  
・・・・・・・泣いても笑っても、あと10日。

「おう、小太郎。来たぜ」   今泉のパブ 「アフター・ザ・レイン」で打ち上げだ。
ここは昭和58年卒、西村小太郎君が店主のお店で、
昨年7月の銀風会の会合で来て以来、ちょくちょく遊びに来ていた。
年次担当のオズマも訪問がてらボトルを置いている。



「お疲れ様です。 先輩、奥のボックスにどうぞ。・・・あ、ウチの学年の者も来てますよ」
指さされたカウンターの方に目をやる。
白髪交じりの恰幅のいい中年男性と遊び人風の男が二人でグラスをあおっている。
ふ〜ん   ん?  があ!! おもひだしたぁ!  若手会で根こそぎ賞金持ってった、あのイナゴ軍団じゃあ!

小太郎が二人に近づき、なにやら小声で話かけた。
こちらを振り向き、気づいた様子でグラス片手にやって来た。
間違いない。 確かにあの時のイナゴ野郎だ!  野郎ぉ〜! ここで会ったがひゃくねんめぇ〜!

「お疲れ様です。58年の津田敏道です!」「58年の衛藤裕です!」
野郎ぉ〜! なにを、いけしゃあしゃあと〜!

56年・57年は、ポッと出の我々とは違って昔から学年代表が活動している。
58年にはそれがない。 だからその育成も我々の命題だった。
我々とは入れ替わりだったから直接の面識がなかったので、どんな学年だったか聞いて回った事がある。
かなり悪名・・・・いや勇名を馳せた学年だったそうだ。 色々と武勇伝もあるらしい。

伊藤龍峰先輩・平岡和也先輩・吉村雄二先輩・坂本博規先輩・谷村勇二先輩・
中山浩先輩・是松上次先輩を中心とした昭和46年卒『辰巳会』

村口栄一先輩・飯盛誠先輩・市丸信敏先輩・吉村貞敏先輩を中心とした昭和49年卒『天羊会』

伊藤陽介先輩・山形信保先輩・月形祐二先輩・安川寛道先輩を中心とした昭和52年卒『碧波会』

・・・・高校時代は我々と同じ色のバッジをつけていた「グリーンバッジ」の先輩方だ。
そして、いずれ劣らぬ結束力の強き学年だ。
我々も、あと10日間! そのバッジの色を汚すことなく絶対にやり遂げる!

だから小太郎、そしてイナゴどもよ。 俺達の後からついてきてくれ!
・・・・・・そして3年後には「輝く緑」となってくれ!

「おまえら、同じグリーンバッジやけん、やらないかんとぜっ!
 何人連れて来れるとや? 50人連れてきやい! 連れてこんやったらどうなるか判っとろうね!」
「はいっ!川崎先輩!」・・・・・げっ!いつの間にか、子分になっとる。

◆2000年6月14日 第十回学年幹事会(高校会議室)
カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ・・・・

スタンド式の両面黒板。
会議が始まるまでにチケットの販売状況をチョークで書きなぐるチケット部長。

カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ・・・・

ん! 裏面にも誰かが書いている!  宮田だ!

販売状況確認の後、黒板が反転した。
そして宮田企画部長から総会当日の流れ、人員配置計画がこと細かに発表された。

複雑な流れをセクション毎に細かく計画・・・・・鮮やかだ! その計画内容には一点の曇りもない!
あれほど「全部把握しないと気が済まない」川崎が、
「とにかく、おまえに任せる!」と・・・。
「おまえの指示通り動く!」と・・・・・。

宮田、凄すぎるぜ! 最後の最後にして満を持しての晴れ舞台だぞ!

◆2000年6月15日 執行部会(ホテルニューオータニ博多)
下見を兼ねた会場での最終チェック。
宴会部の柳原さん(昭和54年卒)の説明を真剣な表情で聞き入る。
当日八尋とペアを組む高校放送部の阿部しのぶさんも加わってくれた。

「マメ! 開会まではどうすりゃいいと?」「・・・・・・」
「マメ!」 「・・・・・・・」
「田中次長って?!」「えーとねぇ、奥に控え室が2つあるから、そちらの方で・・・」
・・・・・ここでの彼の呼び名は、どうやら違っていたようだ。

てか、マメは仕事でオータニにも出入りしているんだから「マメ!」はいかんだろ! 「マメ!」は!

「頼むけん、川崎! そうさしちゃってん!」 「オバラ、いかん! それは許さんばい!」
昭和25〜35年卒の年次担当のオバラ。
その持ち前の人懐っこさを武器に、日々の挨拶回りでも先輩方から大きな信頼を寄せられるまでになっていた。
実際、前年まで参加が芳しくなかった学年から大幅な参加の確約をも取りつけてくれてもいた。

そのオバラが頑としてこだわること・・・。
オバラの担当の学年代表には同窓会役員の方が多い。
その為、その先輩方が年次受付には待機出来ないので代わりに見ていて欲しい、と頼まれていたのだ。
しかしオバラは年次担当の一員として集計ルームにて精算に来られる先輩方の応対をしなければならない。
意見がぶつかり合う。・・・・・だけどケンカじゃない。 ぶつかってあたり前たい!
お互いが真剣にやってる証拠やもんね。

頑張れ、オバラ! 楽しい打ち上げ旅行も待ってるぞ。 俊二の手配で温泉旅行だ!
パスポートも用意したそうじゃないか。・・・・・・・何に使うか知らないけど。



話は一旦、2ヶ月前の4月4日にさかのぼる。
原田が体調を崩して入院した時だ。 
病室のベッドの上でまでクラスの仲間に手紙を書き綴る彼を大変気遣った。

その見舞いに行く車内で突然、川崎がこう切り出した。
「高崎。 俺、こげんと考えたったい。『テレフォンアポインター部隊!』」
「はぁ? な、なんや、それ?」 「何人かが集まって同窓会名簿見ながら下の学年全員に片っ端から電話するったい」
日頃から「思いついた事は全てやる!」が口癖の川崎。
チケット部長として今まで、その全てに答えてきたつもりだ。 いまさらNOと言えるはずもない。

このゴレンジャーのような名前の部隊は総会2週間前にして本当に結成されたのだ。

会議のない日は、みんなして川崎の事務所に集結し、正義のために戦う。
あっ、いや・・・・。
俊二・八尋・古賀の哲っちゃんが電話を相手に必死の攻勢だ。
高尾文彦や倉光・オバラも慣れない営業口調で懸命に食い下がる。
「おりゃー!売れたぜ!」  おお、さすが、川崎! 何事も「まず」やってみるもんだね♪

他のセクションも、まさに猫の手も借りたい位の忙しさだ。
マメは大量のCDを仕入れてきてBGMやSEの選定におおわらわ。
加賀田は最近早めに切り上げて自宅で円卓の学年表示や受付表示を作っているらしい。
宮田もホテル内の誘導看板を制作しているようだ。
・・・・・・・・なんか凄いことになってきたぞ。

◆2000年6月21日 第十一回学年幹事会(高校会議室)
総会前の最後の幹事会。
話し合いもそこそこに出来たてホヤホヤの総会資料の封入作業だ。
古賀の哲っちゃん、そしてクラス幹事達が駆けずり回って集めた広告が大半を占める。
広告ページを眺めるのも総会の楽しみの一つだ。   ・・・・おっと、いけない。 お仕事、お仕事。

なんのなんの、駆けつけてくれた多くの後輩諸君のお陰で思いの外、早く終了。
五十六会(いそろくかい)と命名された56年卒が大勢来てくれた。 有難う! 当日も宜しく頼んます。
渡君を中心に57年卒も来てくれた。 有難う! 君らとは高校時代、一年間だけ「同じ松」に囲まれてた仲だ。
・・・・・・イナゴどもにも感謝する。 (ふんっ!)

門田・宮田共同デザインの記念手拭いも運び込まれた。 上々の仕上がりだ。
青木発案の記念ライターも、なかなか評判がいいぞ。

昭和54年卒、高田憲一先輩のお店「たか田」で前祝いだ。
「乾杯!」 川崎と古賀の哲っちゃんは「酎ヌキ」チューハイで杯を合わせる。
総会一週間前から成功祈願の断酒を敢行してたのだ。 ちょっとつらそうではあるが。

さぁ、あと3日。 ここまでやったんだ。 いつでも来やがれ! なぁ、友よ。

◆2000年6月24日 平成12年度同窓会定期総会・懇親会(ホテルニューオータニ博多)

とうとう、この日がやって来た。 思わず窓の外を見る。   やったぜ、快晴だ!

早い時間から会場設営が始まった。
無数のバルーンでチケットデザインをあしらったステージパネルが会場のシンボルとして鮮やかな彩りを放っている。
吊り看板のデザインもゴキゲンだ。
早くから続々と会場入りする同級生たち。 紺で統一されたスーツ姿の軍団はなかなか圧巻だ。

ん? あっ! 浦ぁ〜!  秀吉も!  「コンって言っとったろうがっ!」

PM2時、「お疲れ、ごめ〜ん!」 仕事を終えて駆けつけたチケット部長が控え室に飛び込んできた。
加賀田・市川・いっぺいが一斉にその回りを取り囲む!
頭にインカムをセット! 内ポケットからタバコとライターを抜き取り! 手に持つケータイも没収!
・・・この間、実に7秒54!  F1のピットクルーなら優秀な人材だ!?

PM3時、松緑会全体ミーティング。
いつものメンバーに加え九州各県から、関東から、関西から、いや日本全国から100人を越す仲間が集結した!
太平洋を渡って駆けつけてくれた渡瀬夏生の顔も見える。 川崎が書いた封書が届いたという証明だ。
こんなに来てくれたのも電話や手紙で声掛けしてくれたクラス幹事と、補佐してくれた皆の努力の賜物だ。

各セクションの責任者から注意事項が告げられる。
飲食・喫煙は無論ご法度! 携帯電話の使用も禁止。
みんな口にこそ出さないが(合点承知よ! 全て電話で聞いてるぜ)な〜んて感じだ。 それが実に頼もしい!

最後に川崎代表幹事が気合を入れる。
「よかやっ! 俺達の学年が一番たい!後にも先にも55年が最高!それを今から証明するぜ!やるぞー」「オー!」 
「やるぞー」「オー!」 「やるぞー」「オーー!!!」  
全員が武者震いを覚えた。

PM4時、お手伝いしてくれる昭和56年卒・五十六会の諸君を交えての最終ミーティング。
心なしか彼等も緊張しているようだ。
長友伸二代表幹事・向井辰雄君・児玉輝明君・柴田成文君・張敬福君・平岡聖教君・田辺与志彦君・清原大策君・・・・。
翌日が衆院選の為、この日こそ参加出来なかったが平畑雅博君・井上貴博君。

昨年、オークラでの二次会の後、川崎と俊二とチケット部長の3人で真っ先に行ったのが
「フォン・アルト」(昭和56年卒・横山大造君の店)だった。
色々と協力要請した時の事を思い出した。
彼等も一年前の我々がそうであった様に来年の当番を控えて気合いが入っている。
「しぇんぱ〜〜い!おつかれ〜〜っす!」  んっ? 「ザク!」・・・・・黒田修司君!

我々の仲間・黒木、そして川口二郎もやって来た。
役者は全て揃ったな。

各自、持ち場についての個別ミーティング。
各現場責任者の頭にインカムがセットされた。 KBCメディアさんからの御好意(?)だ。

集計ルームには事務局の加賀田を責任者に各年次担当の面々。
そして忘れてならないのが会計・増本を筆頭に城・柳谷ら、バリバリの銀行マンがスタンバイ。
「アンタ達がおったら、ガンガンさばけるたい。 お札を扇子のごと広げて数えちゃったら、ね!」
「いや、アレ。 した事ないったい」「・・・俺も」「・・・俺もたい」・・・お、おい、話がちがうぞ?

「ぃらっしゃぃませ」 「声が小さい!もう1回!」 「いらっしゃいませ!」せ!」
「おうてない!もう1回!」
ロビーでは誘導係の訓練が始まった。 指南役? もちろん古賀の哲っちゃんだ。

ロビーの配置も万全だ。 責任者のいっぺいが全体に睨みをきかせる。
倉光は手製のマニュアル片手に来賓係に説明する。 市川純夫も真剣な顔つきで指示を出す。
秀吉と平田は不審者対応のため、モギリの前でスタンバイ。
北島のサブちゃんは記念手拭いの販売を、佐古和朗も集計ルーム入口での案内役を買って出た。

会場の中に入る。
高尾・川添一浩を中心としたシニア係の面々が手拭いを肩に最終ミーティング。
出されたビールの本数をチェックする係もいる。・・・・・いや、マジで。

ステージ上では本番さながらのリハーサルが始まっている。
台本片手にマメがスタッフに大声で指示を出す。 清水徹も真剣な眼差しで進行をチェックする。
さすがは百戦錬磨のプロ集団だ。 口説き甲斐があったってもんだ。
緊張気味のしのぶちゃんを八尋が上手にリードする。 いい調子で事が進んでいく。

突如、インカムに緊張した声が響く。 「内海先生のオルガンが鳴らん!」
マジかよ、おい!   急いでオルガンの元へ走り寄る。
んっ!   いっぺい? 加賀田? 市川? 宮田?・・・・・・・。
どこからともなくインカムつけた責任者が全員駆けつけた !?
おいおい、こげんもたくさん来て、誰かオルガン直せるとや ?!・・・それも、み〜んな血相変えて(笑)

会場の外に出た。
ザク、おまえモギリや? しっかり頼むぜ。
「しぇんぱい。 席次表ば配ってくれって言われたばってん何処にもないっすよ〜」

な、なにっ! 夕べ、全部搬入した筈。 洩れがあったのか?
慌ててインカムで川崎に伝える。  あ、そうね?  どうも川崎の事務所に忘れたようだ。
俊二に走ってもらう。  あった?  すんでの所で間に合った。  俊二、すまん。
やっぱオータニにしといて良かった。 会社から近くて・・・・・。

宮田は各セクションの最終配置に余念がない。
加賀田も2chのインカムを自在に操り、あちこち飛び回る。
・・・・・・・・ん? あんた、集計ルームじゃなかったと?

さぁ、間もなく本番だ。
ホテル玄関から会場入口まで誘導係がズラリと並ぶ。
要所要所には宮田お手製の畳のような看板をかかえてお出迎え準備完了。

「いらっしゃいませっ!」  ぼちぼちと来場者が見え始めた。・・・・ん? 濡れてるぞ! はぁ? 雨 ?!
やられた〜! 外は大雨だってぇ!  誰だ〜、おこないが悪いのは?  俺かぁ?

来賓の到着も遅れてるようだ。 議員さんに至っては明日が衆院選なものだから余計・・・。
やはり出足が鈍い。 来場者に笑顔で挨拶をしながらも、心の中は皆、不安でいっぱいだ。
このままじゃ開会時間もズレそうだ。 式次第の演目の入れ替えだってありうる・・・・・。
マメが何日も徹夜しながら一字一句にこだわって書いたシナリオだ。
なんとかそのまま運ばせてやりたいが!

次第に来場者も増えてきた。 ロビーに溜まり出す。 皆で必死の思いで入場を促す。
若い女性3人組が来た。 加賀田がすかさずエスコート。 ・・・おい、おい、だから集計ルームは?って ?!

ロビーの混雑も収まった頃、「All You Need Is Love /The Beatles」が高らかに鳴り響いた。
平成12年度 西南学院高等学校同窓会定期総会が華々しく開会した。
演目が粛々とすすめられていく。 厳選されたBGMも見事にハマっている。
川崎は代表らしく御来賓や諸先輩方にご挨拶回りだ。 各セクションの動きも滑らかだ。
マメと清水の好判断を受けて司会の八尋も変更箇所をソツなくこなす。

定期総会が滞りなく終了した。
早くから来てくれて共に頑張ってくれた五十六会諸君のお手伝いもここで終了だ。
本当にお疲れ様。 そして長い間ありがとう。 さぁ、ゆっくり楽しんでくれ。
 

休憩を挟んで第二部・懇親会へと移る。
八尋がプロ顔負けのMCぶりを披露する。 しのぶちゃんとのコンビネ−ションもばっちりだ。

いつしか総面積500坪を誇る「鶴の間」が数え切れないほどの来場者で埋め尽くされていた。
ステージの前には大勢の若者達の姿が。 これまでは珍しかった女性来場者の姿も多い。
これこそ我々が目指した光景である。
ご年配の方々もグラス片手に旧友とのひとときを子供のように楽しんでる。

数十年に渡る時空の壁を乗り越えての一大コラボレーションがここに実現した!

あちこちの歓談の輪の中に神谷修率いるポラ・サ−ビスのキャンギャル軍団が愛想を振りまきながら入り込む。
その後ろからすかさず北島のサブちゃんが記念手拭いを奨めて回る。・・・・・なかなかいい戦法だぞ、おい。
シニア担当のサービスも順調だ。 各セクションが打ち合わせ以上の働きぶりだ。
「なかなか良かばい」 「ん〜、そうねぇ」    ん!  加賀田、また抜け出したとや!

代わりに様子を見に行く。
集計ルームでは年次担当と会計チームがまさに奮戦中。

脇で見守るのは澄川先輩。
今回、増本が会の会計をするにあたり、会計ソフトを頂いたり昨年の経験に基づいた的確なアドバイスをたくさん頂戴した。
「先輩、会場でくつろいでて下さいよ」 「気にしやんな」

これまでの道程は54年・剛志会の先輩方の教えなくしてはあり得なかった。
江副代表幹事・吉田副代表・藤本先輩・柳原先輩・澄川先輩・川崎先輩・白木先輩・山崎先輩・・・・・・・・。
高校時代は、おっかなくて近寄れなかったが今は松緑会を正しい方向に導いてくれた有り難き先輩方だ。

会場へもどる。
場内が暗転した。 福岡ドーム・ダンシングチーム『ハニーズ』登場!
アトラクションの始まりだ。
「Rock Around The Clock」の軽快なリズムに合わせてピストル片手に踊り出す8人の「ハニー」達。
踊りに合わせてムービングライトがぐるぐる回る。 
おっ、白煙が噴き出した!・・・す、すごい。

「いざゆけ!若鷹軍団」が始まると会場のボルテージは一気に最高潮に達した。
さすが地元の球団、さすが日本一の球団。 来場者の中にもファンがかなり多いようだ。
手拍子と共に合唱する歌声も聞こえる。
そのホークスも今日のこの日を祝うかのように堂々の首位で迎えてくれた。 万万歳だ。
は、花火が噴き出した、火柱だ・・・・・。 フィナーレも決まった。
割れんばかりの大拍手がいつまでも鳴り止まない。
「Seinan millennium party」 Go!Ride On!

「やっぱ、良かね〜」  ん! か・・・・わさきかぁ。
順調に行きすぎて手持ち無沙汰なんやろ? 俺もたい。   みんなにゃ悪かばってん・・・。
は?  なんて?  喫って来たぁ〜?    アンタ、そりゃあいかんめぇもん!
なに?   本数の問題やないやろ!    言わんくさ〜!    はいはい、ナイショにしとこ。



いよいよクライマックスを迎えた。
各持ち場の役割を果たした仲間が舞台袖に集まった。
「本年度当番幹事の挨拶です。 昭和55年卒業の皆様、御登壇願います」
さぁ、来たぞ〜。
ドンドンチャ ドンドンチャ ドンドンチャ ドンドンチャ ・・・
「We Will Rock You /Queen」の勇壮なリズムに乗って引き締まった顔つきで歩みを進める仲間たち。
場所は違えど昨年に続き100名以上の仲間が壇上に登った。

川崎代表幹事の出番だ。 一瞬の静寂。 マイクに向かった。

「今晩は! 本年度当番幹事を務めさせて頂きました昭和55年卒でございます。
 本日はお足元の悪い中、かくも大勢の方々の御参集、誠に有難うございました。
 関係各位・先輩方・後輩諸君の絶大なる御支援を賜わりまして
 何とか無事に本年度総会を開催出来ました事をここに御礼申し上げます。
 また我々なりに一生懸命やってきたつもりではございますが
 数々の不行き届きな点、失礼や御迷惑をお掛けした点があったと思います。
 この場をお借りしましてお詫びを申し上げたいと思います。
 
 さて本年の同窓会、『来たれ21世紀! 起こせ西南の風!』というテーマを掲げてやって参りました。
 これには新しい時代へ向かい、我々同窓会が母校の為に何が出来るのか、また同窓生が同窓生の為に何が出来るのか、
 今一度、同窓会の意義について考え、結集し、来たるべき21世紀には在校生・卒業生一丸となり、

 西南から何かを発信したい!  西南という名の風を起こしたい!

そういう祈りが込められております。
幸いな事に本年度の同窓会、若い若い、大変若い世代の同窓生達がたくさん集まってくれました。
 この若い彼等が来世紀の同窓会を担い、そして必ずや大きな風を起こしてくれるものと信じております。

 次に、いま壇上におります私の同級生たち、今日までの約一年間、本当に共に一生懸命頑張ってくれました。
 共に一生懸命頑張っていくうちに、素晴らしい人間関係、本当の意味での同級生になったと自信を持って言う事が出来ます。
 そして先程、この壇上に上がらせて頂き、皆様から拍手を頂戴した事によって、一つ確信を持った事がございます。
 
 それは 『我々55年卒・松緑会一同は、これから先、死ぬまで一生、素晴らしい仲間であり続けることが出来る!』

 そう確信を致しました! (拍手が湧く)

 この素晴らしい思いを下さった母校の同窓会に深く感謝をし、
 我々西南学院高等学校同窓会の未来永劫の継承と益々栄えん事を祈りまして、
 我々一同、当番幹事の役を終わらせて頂きたいと思います! 皆さん、本日は誠に有難うございました!」



万雷の拍手がいつまでも鳴り止まない。
この一年間、陰になり日なたになり支えて下さった先輩方が、舞台前に陣取って声援してくれている。
コープランド院長が舞台下から川崎に労いの握手を差し伸べてくれている。

・・・・・・・・・・これこそ俺達全員が、ずっと夢見ていた光景だ。
   

             願いが叶った!



ん?  オバラ、  お前、泣いてるのか?



余韻に浸る間もなく全員で、お見送りの整列をつくる。
川崎は会場出口に、オバラとチケット部長はホテル玄関にスタンバイ。
・・・・・・・全て、宮田の指示通りだ。

「ありがとうございましたっ」  ロビーの奥から聞こえてきた。
退場が始まったようだ。

お世話になった先輩方が続々と降りてこられる。
たくさんのねぎらいの御言葉を頂戴しながら、あらんばかりの声で「ありがとうございました!」を繰り返す。

オバラ〜。  だから泣きやんなよ〜。  もらい泣きするじゃんかよぉ。

笑顔の退出が続く。
黒木が降りてきた。   五十六の方に顔出す?   了〜解! あとで合流しようぜ。
顔見知りになった後輩達も笑顔で挨拶してくれる。  ありがとね! えっ?今からカラオケ?  楽しんできてね。

最後の退出は江副先輩・吉田先輩、そして藤本先輩だ!
先輩方へのご挨拶とともに我々の同級生に時間を掛けてねぎらって回ってくれてたんだ!

先輩方の姿が見えた途端、・・・・・体中の力がスーッと抜けた!
「お疲れさ〜ん」  満面の笑顔でねぎらって頂いた時、

・・・・・・・心の中で張り詰めていたものが、ピンッ! と切れた。


よってたかって、からかわれた。
・・・・・・・・・・・努めて平静さを装うも、もはや修正不能。


「ありがとうございましたっ!」   グスッ

お姿が見えなくなるまでお見送りした。




「終わったね」      お疲れさん。  終わったね。



学年の記念撮影も終わってた!
「なんや!  うそやろ〜。 もう一回、撮り直しちゃってん!」
「おまえ達は写真の左上に載せちゃるたい」 「ははははは」
・・・・・やられたっ! そんなんアリかよぉ〜!




宴の片付けが始まった。 ステージの撤収も行われている。
グラスがぶつかり合う音・・・・皿が重なり合う音・・・・風船が割れる音・・・。

その脇で、ささやかな「同窓会」を開かせてもらった。
仲間がこんなに集まったのに、みんな会話もそこそこに飲み食いも我慢して
精一杯世話役に徹した我々の学年だけの「遅ればせながらの同窓会」だ。

残念ながら他界してしまった仲間のことも当然忘れない。
皆で思いを寄せて、本当に 皆で 皆で盃をあわせよう・・・・・

「かんぱーい!」
・・・・・・・・・・祝杯だ。
川崎と古賀の哲っちゃんは一週間ぶりの「美酒」に酔いしれる。

ねぎらいの言葉と感謝の言葉が入り交じる。  そして昔話も・・・・・。
酒を酌み交わす・・・・近況を伝え合う・・・・名刺を交換する・・・・・。
ほんのさっきまでの緊張は、もうすでに解きほぐれていた。

ただ集計ルームでは依然、会計チームが懸命に作業を続けている。
執行部の仲間で料理やビールを手にして陣中見舞い。

楽しい時間は、あっという間に過ぎて行く。
いつもどおり博多手一本で終わりを告げる。
・・・・・それを合図に川崎の胴上げが始まった! 青木の見事な仕込みだ。

何度も宙に舞う代表幹事・・・・・1回、2回、3回・・・・・。

マメの胴上げも始まった・・・・・1回、2!! 「ギャ!」  
あ、あたまから落ちた!



なんと「エスカイヤクラブ」で飲み直しだ。
さきほどとは打ってかわって高級サパークラブで落着いた雰囲気を楽しむ。

・・・・・・・のも、ほんの束の間だった。

「青木、いけー!」 「次、いっぺーっ!」 「哲っちゃーん!」 「マメー!」 「ミヤター!」
「なんしようとや、タカサキー! おまえもいかんやー!」
「お、お客様、困ります。・・・ここはエスカイヤですから・・・」  誰も聞いちゃなかった。
「しぇんぱ〜〜い!  お疲れで〜〜っす!」・・・・・・ザク!  
五十六会も駆けつけてくれた。

歯止めを失った「若き子等」にとっては高級クラブも居酒屋も同じ扱いだった。
ほんのちょっと違ってたのは高層階の窓に映り込んだ鮮やかな夜景だけ。
・・・・・・とびきり贅沢な 「どんちゃん騒ぎ」





紺色のスーツの軍団が、まるで提灯行列のように中洲の街を練り歩く。
「♪御神とともに〜」 すすんで通い慣れた「グリーン」に行きついた。
既に多くの先輩方が今や遅しと待ち受けてくれていた。
おう!    黒木の顔も見える。

この一年間、本当にたくさんの先輩方からのご支援を賜わった。
いくら感謝しても感謝し切れないほどだ。
なかなかこの御恩をお返しする事は出来そうにもないが、
その分、後輩諸君に確実に継承する事で御恩に報いるようにしよう。

先輩方から身に余る賛辞をたくさん頂戴した。
宴が続く・・・・・・・・

定員23、4名の店に50名以上・・・カウンターの中からドアの外まで仲間たちでいっぱい・・・・

宮田の頭に金髪のカツラがのせられた。
日が変わり、今日6月25日は宮田の39回目の誕生日。
バースデーソングの大合唱!
おめでとう、宮田! アンタが手を挙げてから一年ちょい。
大変な事ばかりだったけど良かったね。  今日は二重の「おめでとう!」だ。

お、平岡先輩の「兄弟船」が入った。
・・・・・・・・宴は、まだまだ続く。






いつしか俺達だけになった・・・・・・・・・。






1人づつ、言葉を述べる事になった。   関東から来てくれた西澤栄一も含めて。


互いが互いを感謝し合った。
全国から、海外から駆けつけてきてくれた仲間。
遠くから激励してくれた仲間。
海外で活躍している仲間。
力及ばず、未だ居所が判らない仲間。
若くして旅立っていった仲間。
・・・・・・・・そして暑い日も寒い日も歯を食いしばって共に汗を流した仲間を・・・・・。

同じ学び舎で同じ時間に若かりし思い出を共有し合った仲間だ。
俺達の学年全員で立派にやり遂げたんだ。


      


             一生の誇りにしよう。






あの曲が鳴り始めた。
苦しい時は決まって口ずさんだ俺達の「讃美歌」だ。
いつも通りの大合唱が始まった。
でも合唱は途切れてしまった・・・・・・あのフレーズを口にした途端、声にならなくなった。

・・・こんなに頑張ってるキミもいる  かなわない夢はないんだ・・・

互いに見せたことがないものが互いの頬をつたう。
マメ・八尋・尾原・青木・・・・・・気づけば全員が!
そして自分の事はいつもほったらかしで皆の気遣いばかりしながら代表幹事をまっとうした川崎も!

本当にお疲れさん! アンタが一番の「適材適所」であったことは俺達みんなが知っている!

「ワシ、最後に川崎ば泣かしたいっちゃんね」
加賀田のいつもの口癖は現実のものになった! その加賀田もメガネを外してオイオイ泣いている。

40を目の前にした男たちが人目もはばからずに大声をあげて泣きながら抱き合った。

互いに色々なものを犠牲にしたかもしれないけれど、
俺たち全員が共有できる大きなモノを掴んだんだ。



        2000年6月24日      先輩方が果たしてこられた「20年目の約束」       





                    俺たちも果たせた。





もう夜明けも近い・・・・・・。







「終わったね」     






                    いや、終わってないよ。







松緑会が出来て、まだ一年とちょっと。  これからだろ。








来年は大勢で、胸を張って総会に行こうぜ。   当番幹事に感謝しつつ・・・・・。








なんか寂しくなるなぁ。    







                     また、たまには飲もうよ。







打ち上げが楽しみやね。   
                     







                     がんがん騒ごうぜ!








ひさびさに何の予定もないし帰って、ゆっくり寝て、選挙にでも行こうかな。







「お疲れさ〜ん」    

                     




                     お疲れさん。











                     本当にお疲れさん。






      〜ソテツの木よ、待っててくれてありがとう。   松の緑よ、永遠なれ〜

                                      
          


                  ■  第一章  −完ー ■