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 2016年7月23日庄川水系のヤマメ2匹目です。朝飯を食ってからゆっくり家を出てもなんとかなるのは東海北陸自動車道のおかげで、昔だったら昼過ぎちゃうところです。季節によっては夕方になるかもしれません(昔は郡上八幡のへんから荘川まで車がつながっていたものです)。昼間の釣りは体が楽なのがいいです。もうひとついいのは写真がきれいに撮れることです。 (2016/8/1)

 ルアーはシュガーミノー50Sのスプリットリングを2番にしたものです。この日、このルアーにオーナーSBL-55Mの10番を付けて始めました。最初に入った所で写真くらいのヤマメがヒットしましたが、足元でバレてしまいました。

 10番フックは3釣行で4匹かけて3匹バラしました。で、フックを8番にしたら、この魚がヒットしてランディング成功です。2番スプリットリング&8番フックは3釣行で4匹かけて3匹取り込んでいます。

 サンプルは少ないですが、10番はちょっと難しいみたい。逆に8番はいつも半分くらいバラしている(あとで気づいた。こりゃヴァンフックのプラグエキスパートの話だね。SBL-55Mはもうちっといいわ)割に、成績が良かったようなこれもサンプルが少ないですが、リングが大きい分自由度が上がってバレにくくなったのかも。フックが実質的に長くなったようなものなので、より口の中に入りやすくなったり、口の外にも絡みつくようにかかるようになったとも考えられます。

 ただ、このセッティングは前後のフックが絡むので、あまりよろしくありません。しかもギリギリで絡むため、ちえのわ状になって、なかなか外れなかったりします。

 いま使っているのがオーナーSBL-55Mなので、次はがまかつの60BLにしてみようかと思っています。シングルフックの場合、同じ番手でもがまかつのほうが少し小さいからです。

 がまかつ60BLは以前使ったことがありましたが、軽くてミノーの動きが大きくなりすぎる感じがして、あまり使っていませんでした。でも、2番のスプリットリングならばその点はいいはずです。こうしてフックの選択肢が広がるのはやはり2番スプリットリングの利点です。

 2016年7月23日庄川水系のヤマメです。成魚放流魚でしたが、かなりヒレが戻ってきていました。ダム・ダム間のちゃらちゃらの浅い瀬であまり大きな石もない所ですが、上から見えないだけでいることはいるみたい。 (2016/7/23)

 リールは308プロプラナマティック。回転慣性がとても大きいリールです。理由はローターのカウンターウエイトがでかいのと真鍮ギアのほかに、真鍮パイプを組み合わせたウッドハンドルがあります。

 日本で発売される前、発表されたばかりのときは同時期の308Aの平たい樹脂ノブと同じ形をしたウッドノブの写真がカタログなどに使われていました。でも作りにくかったのか、実際にそういったノブがついたものは見たことがありません。国内で売られたときはすべてこのタイプのノブでした。

 ノブだけでも平型だったらけっこうましだと思うのですが、ないものはしょうがないわね。樹脂ノブだったら余っているので、そっちを付けてもいいのですが、まあ、形はオリジナルにしておきたいかなと。

 80年代以降のフェースギアは有効歯幅が1mmくらいしかないのですぐゴロゴロになっちゃいますが、特に408Aや308プロのハイギアタイプは早々にゴロつきだします。89年に行ったAFTMAショーでは308プロを含む300プロシリーズがちょうど出たところで、「ブロンズビースト、300プロ」というキャッチコピーが使われていました。

 308Aや300Aがアルミのドライブギアだったのに対し、300プロシリーズは真鍮(ミッチェルはブロンズといっていた)のドライブギアが売りだったのです。でも実際は、張子の虎のようなギアだったわけです。

 2016年7月10日揖斐川水系のアマゴです。本流で釣れたから小さくても本流アマゴ……とはいわないか。ちょっと目がとろんとしているのはこの時期になると岸近くの浅瀬の水温が高くなっているからで、流れに戻したらぴぴっと走っていきました。 (2016/7/19)

 ルアーはシュガーミノー50Sをギジーに載っていた2番スプリットリング&10番シングルフックにしたものです。特にお腹が重くなったせいか、ただ引きでお腹を見せずに泳ぐようになりました。ローリング成分が減ってウォブリングの割合が増えた、という表現になるのでしょうか。割合としてウォブリングが増えたといっても重いリングで動きが基本タイトになっています。

 ローリングの少ない動きはちょうどラパラCDやFみたいな感じです。バス釣りに使ってよく釣れたミノートプスもこんな感じでした。目で泳ぎを見る限りなかなかいい感じです。この魚も2回追ってきて釣れたので、けっこういいんじゃないかと思っています。例によってそもそもトリプル状態で引いたことがないのはなんともですが。

 ほかにウェイビーとDコンタクトも2番スプリットリング&10番シングルフックにしたものを引いてみました。ウェイビーは抵抗が強くてアップストリームキャストして流れより速く引くのが得意なルアーで、もともと流れを横切らせると飛び出しやすいのですが、この傾向がちょっと強くなった感じでした。リングが重いよりもより下にあるフックが重いほうが安定するのかもしれません。Dコンタクトのほうはあまり変わらなかったような感じでした。ふたたび、どちらもそもそもトリプル状態で使ったことがありません……。

 リールはミッチェル308プロプラナマティック。一時期、昔雑誌の個人売買でつかまされた外観がボロボロの408から取り出したスパイラルベベルを入れていましたが、数年前そのギアをいつも使っている408に移植して以来バラしたままにしてありました。

 でももったいないので、先日もともとのフェースギアを入れて組み戻しました。408はアップストリームキャストで使うとローターの回転バランスがすさまじいですが、308プロはこの点がよくなっています。でもカウンターウエイトがでかいので、巻き感度はゼロに近いです。あちら立てればこちらが立たぬみたいなリールです。

 これは先週の土曜日に参院選の期日前投票に行った帰りに買ってきた『週刊現代』の大橋巨泉氏「今週の遺言」最終回の最後のくだり。縁起でもありませんが、本当に遺言になりそうな状態だそうです。悲しいことです。ちなみにこの号には矢吹春奈の袋とじが付いていますが、けっしてそれ目当てに買ってきたのではありません。 (2016/7/9)

 せっかくなんで一応開いたけど、わしはやっぱ素っ裸は趣がなくて好きくないぞ。

 大橋巨泉さんと言えば、深夜番組「11PM」に「イレブンフィッシング」というコーナーがありました。まだ今みたいな釣りビジョンはおろか釣り番組もローカル制作の15分ものがあったかなかったかみたいな時代に、服部名人がメインのけっこうちゃんとした釣りのコーナーでした。西山徹氏も出てなかったかな。

 11PMは基本エッチな深夜番組でしたが、イレブンフィッシングのある金曜イレブンだけは見せてもらえました。当時ようやく知られ始めたルアーフィッシングも積極的に取り上げられていました。一本一本はもう覚えていませんが、巨泉さんはスポーツフィッシングに理解があって、東山湖フィッシングエリアが取り上げられたとき、オールキープだというのを聞いて「もったいないなあ」とコメントされていた記憶があります。

 大橋巨泉さんといえば、「巨泉×前武ゲバゲバ90分」も大好きでした。ものすごく作りこんであって、本当に面白い番組でした。そういえば、この番組の相棒マエタケこと前田武彦氏はその後突然テレビから消えました。理由は、親しくしていた共産党の候補の当選が決まったとき、その候補と約束していたとかで、司会をしていた歌番組の最後に小さくバンザイの格好をしたためでした。

 これを、日ごろから氏のリベラルな発言を快く思っていなかった自民党に攻撃され、テレビから追放されてしまったのです。最近も石田純一氏が安保法制反対デモでスピーチしたら仕事を干されたとかって話がありますが、こういうことはずっと昔からあったのです。

 自民党といえばつい昨日「学校教育における政治的中立性についての実態調査」という密告フォームを公開してニュースにもなっています。いま(9日午後7時時点)は変更されていますが、最初は「偏向教育」の例として「子供たちを戦場に送るな」というのが入っていました。続いてこの部分が「安全保障法制反対」に差し替えられ、最後は消されました。そういう(本音の)部分を消したとしても、気持ちの悪いページです。選挙直前にこういうのを出してしまうあたり、自信なのか内部でのコントロールが効かなくなっているのか……。

 しかし、ここで衝撃的な告白をすると、私の場合いわゆる「平和教育」は全く効き目がありませんでした。私の中学でも太平洋戦争の悲惨な体験を聞く集会みたいなのがけっこうありました。でも、なんと私はそういう授業を戦争奨励授業だと思っていたのです。

 中学時代の私は当時の「巨人の星」に代表されるスポ魂ものに毒されていて、人間はひどい目に遭ってこそ一人前になると思い込んでいました。だから、学校の先生が戦争中こんなひどいことがあったという話を延々するのを、昔の人はこんな困難な目に遭ったから立派だったんだ、いまの人はこういう体験をしないからダメなんだ、だから戦争を起こすべきだと言ってるんだと思っていたのです。

 だから、自民党が望むような日本を作るには、密告フォームなんかより「巨人の星」みたいな昭和スポ魂アニメをバンバン再放送したらいいんじゃないでしょうかね。いや、これは単に私がすさまじくあほだっただけか……。

 いきなりなんやこの写真はというところですが、これは先月他界したアカハライモリで、撮影は2012年です。たまに釣りのウェブサイトのはずなのに、オオクワガタが出てきたりハムスターが出てきたりするところがあります。私はそういうのは嫌で、基本釣りと釣り具の話しかしてきませんでしたが、若干彼の喪に服して釣りが控えめで(その割に魚野川には行ってますがあれは前から決めていたこと)魚の写真がないこともあって今回は特別。 (2016/7/4)

 彼を含めて5匹のイモリを飼い始めたのは1973年、私が小学3年のときでした。私が子供のころは怪獣ブームで、こういう爬虫・両生類型の生き物が好きだったのです。

 で、なにぶん43年分の話なので詳しいことはすっ飛ばしますが、熱心にここを読んでいる人の中には、S社に行っていたころはどうしていたんだと思う人がいるはずです。正直に言ってしまえば事実上の飼育放棄でした。京都の大学に行った1982年からS社退職の1990年まで実家に放っていきました。

 一応世話は家人に頼んでいて、帰省した時に少しは面倒を見ていましたが、まあほったらかしで、次々死んでいってしまい、90年に岐阜に帰ったときは彼1匹になっていました。

 死因に不信はあったものの基本放っていった私が悪いので、あらためてひどいことをしたなと思い、ちゃんとした飼育設備を整えて飼い始めました。詳しい人なら画面後ろに写るストレーナーでわかるとおり、エーハイム(ろ過装置)を取り付けました。

 それまでは水槽に水草が植えてあっただけでしたが、水が動くようになったらウソのように元気になりました。さらに数年後、アホロートルを飼い始めたのがきっかけで水槽用クーラーも備えました。最初はオーバーフロー水槽にして両方をひとつのクーラーで冷やしていましたが、8年くらいしてアホロートルが死んでしまったので、イモリ単独でクーラー付きの水槽になりました。結果的にこれがさらに寿命を延ばしました。

 アホロートルが死んだのは畑のミミズから雑菌をもらったのがきっかけでしたが、その治療にごく薄い魚病薬を入れて、よけいに悪化させてしまったことがありました。しかし、オーバーフロー水槽で水がつながっていたのに、イモリは雑菌にも魚病薬にもびくともしませんでした。

 だからこいつは不死身だくらいのつもりで飼っていたのですが、さすがに5年くらい前から夏場の温度設定が24℃でも元気がなくなるようになり、21℃セットにしなければならなくなりました。体の動きもぎごちなくて、エサ兼掃除係で入れてあったヒメダカもここ2〜3年はほとんど食べられなくなっていました。

 そして、今年5月終わり、それほどエサを食っていないはずなのに妙に腹が膨らみ、同時に水カビが尾の付け根に生えているのに気がつきました。その後体が浮いて沈めなくなりました。昔水カビが出たときは水替え一発で治ったのですが、今回は治りません。水カビ対策で薄めの魚病薬での薬浴を繰り返しましたが、6月頭に死んでしまいました。

 死ぬ2日くらい前に薬浴させていたとき水槽を見ると、イモリは薄めの魚病薬を入れて水槽に浮かべたタッパーの中から首を曲げてこちらを見ていました。ここ何年か装置に任せっぱなしで換水とエサを入れる以外あまり見ていませんでしたが、こういうことはあまり記憶にありません。先ほど話に出たアホロートルはミミズを食ったあと苦しみだし、翌日どうしたことか頭が膨らんで頭頂部が裂け、血の塊がニワトリのトサカのように飛び出したのですが、驚いて水槽をのぞき込んだらこちらを見ながら水槽のガラス面まで歩いてきました。有尾類にどのくらいの知能や意識、感情があるのかわかりませんが、こういうのはたまらんです。

 ともあれ、トータル43年、私がこちらに帰ってきてからだけでも26年、放ったらかした8年の間に死んでしまったイモリの分まで生きてくれたと思っていいのかな……。

 しかしまあ、こんなふうに小さな生き物を気遣うような人が、一方で罪もない魚に重傷を負わせて楽しんでいるわけで、なんだかようわからん話であります。

 2016年6月15日、庄川のイワナです。魚野川で丸1日投げてなにやら中途半端な釣果に終わったあと、翌日帰りに寄ったらこんなのが釣れました。遠くへ行って貧果で帰りに庄川に寄るといいのが釣れるジンクス健在です。 (2016/6/25)

 でも、庄川に単独で行っても、こんな魚は釣れないんですなあ。

 で、その魚野川釣行、14日の朝に準備をしていて気がつきました。渓流用の5cmクラスのミノーを入れたボックスがありません。自宅に忘れてきたのです。魚野川では使いませんが、帰りに庄川に寄るつもりだったのでこれでは困ります。

 スプーンだけで釣ってもいいしスプーンで良型が釣れたこともありますが、この時はミノーで試したいことがありました。今売っている『ギジー』に載っていたミノーのスプリットリングを大きめの2番にしてシングルフックのバランスを補う方法です。記事の人はリングを重くすることによって10番のシングルフックを使っていました。

 今まで5cmミノーのフックはオーナーSBL-55Mかヴァンフック・プラグ用エキスパートフックPL-51BLの8番を使ってきました。SBL-55Mはちょっと軽いのとミノーによっては前後が絡むこと、PL-51BLは重さと絡みにくさはいいもののかかりが悪くバレやすいという不満がありました。さらに最近ヴァンフックのミノーエキスパートフックヘビーME-41MBの6番(8番はない)を使ってみて、重さもかかりもバレにくさも良さそうだったのですが、ハリ傷が大きいのが気になりました。

 で、『ギジー』の記事を見て、シュガーミノー、ウェイビー、Dコンタクトのいくつかを2番スプリットリングとSBL-55Mの10番にしたものを用意し、帰りの庄川で使ってみようと思っていたのでした。

 幸い、2番のスプリットリングはいくつか持って行っていたので、小出の釣具店(忠さんの家の隣)で写真のスピアヘッドリュウキ50S(適当なのがこれしかなかった)を2個買って、現地でリングチューンを施しました。

 翌日庄川で泳がせてみたところ、なかなかいい感じです(もっともオリジナルのトリプルフックでの泳ぎは見ていないわけですが……)。はたして2か所目に入ったポイントでヤマメらしきヒットがありました。ところが2匹かかって2匹ともバレてしまいました。

 シングルバーブレスにこだわるものの、このへんがわたくしのヘタレなところで、ここでフックを10番から8番に上げました。泳がせてみると、泳ぎはほぼ変わりません。そして釣り上ると写真のイワナが飛び出してきました。

 スプリットリングで重量を補えばフック選択の自由度が広がって、細軸のものも使えます。それにしても、今までスプーンでは大きめのリングでトリプルからシングルへの重量差を補うのをしていたのに、ミノープラグで思いつかなかったのは、つくづくマヌケな人です。

 2016年6月14日、魚野川のニジマスです。バイトキャスターを使ってバイトを投げてきました。でも、雨の翌日で濁りがやや残っているくらいだったのに、今年の少雪のせいで水が少なくなんだかいまいちでした。 (2016/6/18)

 十数年前初めてこの川に来たとき常見忠さんに釣り場を案内してもらい、破間川合流点でヤマメを釣りました。次に行った翌年か翌々年には同じ所で40cmくらいのニジマスと30cmくらいのヤマメを釣りました。しかし、その後大水で合流点が埋まって浅瀬になってしまいました。そして、ほかのところもいまいち続きです。

 ただ、今年はヤマメが復活しつつあるということで、この魚の前にバラシを含めて数ヒット(上げたのは1匹)あったので、今後は期待できるかもしれません。

 バイトキャスターBCB-80は長らく使っていなかったので、今年揖斐川で少しと今回の釣行に使いました。8ftで6〜13gのスプーン用という特殊なロッドで用途があまりイメージできなかったのですが、本流でニジマスやヤマメを狙うならちょうどよさそうです。ソリッドティップですが、意外に張りがあるので、スプーンを引くくらいなら川で使って問題ありませんでした。魚がかかったら大きく曲がるのでなかなか面白いです。

 リールはカルカッタ100。忠さんは「カルカッタって、名前がねぇ」とか言っていたものです。そういえば某誌で「カルカッタって変な名前」と書いて原稿をカットされたことがありました。

 ラインはナイロン2号8lbでしたが、1日投げていたら夕方突然手元から切れてしまいました。バックラッシュしたときにラインが傷んでいたのが原因です。同じことは以前バンタム100をノーマルスプールのまま犀川に持って行ったときにもありました。ラインが細めだからというのもありますが、昔琵琶湖でザラを投げて歩いていたとき(つくづくムダ撃ちが多い釣りが好きなのやなあ)バックラッシュ直後にヒットがあって、アワセと同時に音もなく4号16lbラインが手元からいっちゃったことがありました。太くても起きるときは起きます。

 以前色付きナイロンにリーダーをつないで使っていたころ、根掛かりのことを考えて生分解ラインを使っていましたが、ベイトの高切れなどそれどころじゃありません。まして魚がかかって切れたのでは泣くに泣けません。つい飛距離優先でバックラッシュ寸前にブレーキをセットしたくなりますが、やっぱり安全めにセットしたほうがいいなあと改めて思いました。

 ラインが切れたあとは、先日『80年代リールの歴史』改良用に買ったバンタムマグナムライトスピードマスターを使ってみました。チタンスプール軸のGTじゃないので少しでもスプール回転を良くしようとベアリングをグリスからオイルにしておきましたが、やっぱり投げ心地はあの時代なりのものでした。ま、仕方ないか……。

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