もしもあの時……

 90年代初め、大森製作所はその歴史を終えました。彼らはその独自性を自ら放棄し、大衆にこびた製品作りに走って自滅しました。もしもあの時、別の道を選んでいたら、どうなっていたのでしょう。

1 インスプールモデルの展開
 たとえばインスプールモデル。大森リールを支持するような人は、スピニングリールを知りつしくています。で、あればインスプールがアウトスプールに対して劣っているとされる「ベールが手で返せない」「ラインがスプール下に入り込む」の2点はなんでもないはずです。そういう人なら軽量で回転のいいインスプールのよさをわかってくれるはずです。

 これが大森製インスプールのローター。カーディナル33/44のような肉厚部も、ミッチェルのような鉛のバランサーもありません。あくまで部品の配置だけでバランスをとっています。だから軽い。いまダイワやシマノがローター軽量化による、回転レスポンスの向上を言っていますが、これにはかないません。大森製インスプールは世界でもっとも優れたインスプールだったのです。

 たとえばアルチェードミクロンやオービス50Aのようなインスプールモデルのレプリカとか、おもしろかったのではないでしょうか。たとえば自己ブランドのプロラインなども90年代画一化していったリール界で、支持を得られた可能性はあります。

2 ウォームギア
 これはプロラインの「ウォームギア」。このギアは滑らかながら、品質を安定させるにはたいへんな技術がいります。大森製作所にはこの技術がありました。これを他社との差別化に使えなかったのでしょうか。90年代、スピニングリールは高級品化が進みました。この時代、ダイワやシマノとは違った価値観を持つ高級品として、こういった製品を展開していたらどうだったでしょう。
3 独自性を堅持した上での高級化
 たとえばシマノのステラSS。このリールのハンドルはかつての大森リールとおなじ、ねじ込みハンドルです。本当にわかってる人は、ワンタッチハンドルが子供だましだってことを知ってるんです。

 シマノにも「大森だけは認める」っていう隠れ大森ファンがいたものです(私はおおっぴらな大森派だったけど)。だからこういうハンドルになったんですよ。それなのに、当の大森製作所がそのよさを捨てていったなんて、当時の私には信じられなかったですね。90年代の高級スピニングブームに合わせて、独自のものを打ち出せたら、うまくいっていた可能性はあったと思います。いまのダイコーのように、国内向けのOEMでいまも健在だったかもしれません。

 もちろん、このページのようにやっていても、結局はだめだったかもしれません。でも、おなじだめでも、それまでのファンを裏切って消えていくよりよかったんじゃないでしょうか?
 80年代終わりに他界された大森初太郎氏は、あんな路線転換を望んでいたのでしょうか?

OHMORI S.S. spinning reels