1997年秋 初めての北京-1
中国入国
ユナイテッド航空853便は、北京空港に向け降下、
あたかも成田から一直線に飛行してきたかのように着陸した。
北京時間夜8時、ライトに照らされた空港施設は無国籍な感じで
「中国へ来た」という実感が湧かない。
成田から、たった3時間である。
ここ数日、私はポケている。 鍼灸院は1週間休診なので
相当混雑し、かなりの疲労感がある。
実際、今日のために用意しておいたガイドブックを2冊とも
家に忘れてきた。
飛行機を降りて、中国第1歩の感激もなく、空港ビルへ。
空港ビルは増改築を重ねた形跡があり、一部は重厚な木製調度
だったり、旧ソ連様式と思われる部分もある。
「健康申告書」を提出するデスクに係官の姿は無く、
素通りで入国審査へ。
「中国辺防」)と大書きされたゲ-トに
軍人のような緑色の制服・制帽の入国審査官がいる。
国境警備隊らしき兵士もいる。
ようやく「社会主義国へ来た」という実感が湧いて、
「ああ中国なんだ!」と急に嬉しくなってきた!
1975年末、自分で作ったラジオを調整中、
偶然北京放送の日本語放送を受信した。
当時、毛沢東主席が健在で、文化大革命末期だったが、
「東方紅」のメロディ-で始まる放送を10年程にわたって
熱心に聴いたものだ。
そんなこともあって、小・中学生頃最も関心のあった外国は
中国であった。
「いつか中国へ」という当時の思いがやっと実現したのだ!
余談だが、私は北海道帯広の「東方鍼灸院」で治療を受けて、
中国医学に興味を持ち、鍼灸師になった。
しかし、その背景に中国への関心が相当影響していることに
思い当たる。
つまり、@中国への関心 A眼の病気を患う
B東方鍼灸院との出会い C科学的興味 という4条件が
私を鍼灸師にしたのだ。
「なるようにして、こうなった」と妙に納得。
入国審査直前、そんな思いが胸中を巡り、感無量だったが、
見た目は厳しい入国審査官も「ニイハオ!」と声をかけると
ニコッと笑うし、税関検査はフリ-バス。
緊張感に欠ける入国となった。
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大成鍼灸院 2001年10月
Ly-Zh-9701