2007/4/1-2007/8/29




2007/4/1
「四月一日を淡々と語る日記」


今年は一社だけ就職活動をしてみようと思うので、エントリーシートなるものを生まれて初めて書いてみる。日付が変わる頃、notepadを開いてテキストファイルに下書き開始。ここ十年ぐらいで、実際に物を書きながら文章を考える習慣はほぼ消失した。キーボードを打たないのは小論文の試験ぐらいだ。


下書き中、住所欄で悩む。「丁目」までは地名だからいいとして、番地から先はどう表記すればいいのだろうか。考えても分からなかったのでウェブで検索。アラビア数字を使って「**番**号」と書くのが正式な表記らしい。大体、思っていた通りだが、地番と住居表示という二つの概念が存在することも知る。よく理解できなかったが、恐らくどちらで表記しても同じになるだろうので気にしないでおく。


その他、細かい表記でも悩む。メールアドレスはPCと携帯電話、どちらのを書けばいいのかも分からなかったし(両方、書くスペースはなかった)、運転免許の「第一種」ということばをどこに入れたらいいのかでも苦しんだ(どうやら「第一種」というのは正式名称ではないようだ。一応、「普通自動車運転免許(第一種)」と書いておいたが)。


基本データ以外の文章(色々テーマが設定されている)はおもむくままに書いてみる。文体は敬体でも常体でもいいようだが、とりあえず無難な敬体を選んだ。が、これが失敗。敬体で真面目な文章を書くことに慣れていない上に、丁寧語が無駄に文章を長くしてしまう。書くスペースの確保が大変だ。


エントリーシートのpdfファイルと下書きのtxtファイルをプリントアウトして、いざ清書に。ものぐさ癖が発動し、鉛筆での下書きを省略して直接ボールペンでガシガシと書いていく。基本的に私は字が汚いので、なるべく丁寧に書く努力をしてみる。元々、過剰に強い筆圧がさらに強化され、一行書いただけで指先がへこむ。痛い。痛い。


なお、鉛筆での下書きを省略した報いとして、五回以上の書き直しを強いられた。最初は「三重県」と書くところを「三県」と書いて玉砕。キレる。次は「三シーズン」を「三サ」と書いて破滅。ぶちキレる。さらにその次は「設定」と書くはずなのに、何故か言偏でなく木偏を最初に書いて地獄行き。頭のネジが外れる。


一番酷かったのが、一通り清書し終わってから気付いた「御社」と「貴社」。就職活動は「御社」を使う、という噂だったので、何となく文中で「御社」ということばを二回使用したのだが、清書後に「貴社」ということばもあることに気付いた。どこが違うのだろう、と調べてみると…基本的に文章中では「貴社」を使う、と書いてある。「貴社」ということばに同音異義語(貴社の記者が汽車で帰社した、と)が多いため、会話中では「御社」を使うのだそうだ。


ボールペンの軸の跡がクッキリと残った左手の人差し指を見ながら、書き直すかどうかを考える。中には、「貴社」は高飛車な印象を与えるので使わない方がいい、と書いてあるところもあったので、「御社」のままにしておこうかと考えた。しかし、提出先の会社の問題点として、誤用が多い、と書いてしまった手前、少しでも誤用の気配を感じさせるのは非常によくない。それに、必要以上にへりくだっている気がして「御社」ということばは元々、好きではなかった。


全文、書き直し開始。書き直し中、何故か東北楽天イーグルスが一イニング二満塁弾なんか打ってしまったりして大量リードを奪っていた。何事だ。それはさておき、文章をちょこちょこ修正したり、凡ミス(「恥ずかしい」を「恥ずかしさ」と誤植してみたり)でさらに書き直し回数を養殖してしまったせいで、清書が終わったのは夕方。「ゆうゆう窓口」(通常窓口の営業時間外にも郵便などを受け付けるサービス。便利だが、もうすぐ順次終了予定らしい)を利用すべく市の集配局を向かう。しかし、窓口は閉まっているはずなのに何故か開いていて普通に郵便を受け付けてくれた。


不思議に思いつつ家路につく。その途中で思い出す。「あ、今日はエイプリルフールだったっけ…だから窓口が開いていたのか?」。どうしたって関係ねぇよバカ。そういえば、前、雀荘で後ろの卓から突然、上がり役を読み上げるような口調で「ペタジーニ、ヤクルトから巨人です」と聞こえてきたのだが、あれは何だったんだろう?ペタジーニは役なのか?



2007/4/21
上京して以来(実家から持ってきたので、それ以上かもしれない)、ずっと使い続けてきた毛布の端っこの方が破れてきた。ずっとずっとこの毛布にくるまれて眠っていたのだと思うと、愛しくて仕方がない。あぁ、毛布よ、私は君をどうしてやればいいのだろう。私はライナス。


私がこのように毛布の心配をしているのにも関わらず、今日も不遜な連中が窓の外で名前を叫んでいる。選挙の候補者という種族は私に何の恨みがあるのだろうか。誰かを逃げ場のない部屋に閉じこめて、周囲からキンキン大音量で自分の名前連呼なんて光景はサイコサスペンスの世界だぞ。実際、「もう止めてくれぇ…」と毛布の中で私は呻いた。


学校の図書館に避難しようと家を出る。学校へ行く途中にある最寄り駅前のロータリーは候補者族どもの選挙カーが何台も集まって、壮絶な争いを繰り広げていた。もうロータリーはお前らにくれてやるから、その中で車ぶつけ合って当選者を決めてくれ、と思った。改造選挙カーでデスバトル、生存者が当選。タイヤの直径が3メートルぐらいあるモンスターカーや、キュラキュラと音をたて進む戦車が駅前のロータリーでぶつかり合う情景(もちろん名前連呼しながら)を想像して、これなら見に行ってやってもいいな、と思ったり。



2007/5/1
種牡馬として繋養されていた先でサンデーサイレンスとメジロマックイーンの仲がよかった、ということを知って思わずニタニタしてしまった。


・サンデーサイレンス:アメリカでとんでもない競争成績(14戦9勝(G1…6勝)2着5回)を収め、種牡馬として日本へやってきてからもこれまたとんでもない成績(12年連続リーディングサイアー(産駒の獲得賞金)1位)を残した馬。その成功っぷりは最早、伝説級。


・メジロマックイーン:こちらは日本で大活躍…21戦12勝(G1…4勝)2着6回。スピードを兼ね備えた中長距離馬として一時代を作ったと言える。種牡馬成績はいいともわるいとも言えない。


サンデーサイレンスは気性が悪かったが、メジロマックイーンが近くにいると穏やかになることが多かったらしい。よく考えてみるとこの二人(馬だけど)はほぼ同年代(サンデーが1歳上)。いいなぁ、同じ時期にアメリカと日本という全く別々の場所で活躍した者達が――もしかすると全く縁のなかったであろう二人が――引退後は仲よしさんなんて。


あるいはこういう見方も出来る。アメリカからやって来た気性の荒い孤高の世界的名馬サンデーサイレンス、それに対して日本で活躍したとはいえ世界的には無名で血統もパッとしないメジロマックイーン。種牡馬成績も超優秀どころじゃないほどに優れているサンデーと、そこそことしか言いようがないマックイーン。けれども、そんなことはお構いなしに当人達は仲よしさん。日本にやって来てからもずっと不機嫌なサンデー君が、1歳年下のマックイーン君の前では穏やかになる…いやぁ微笑ましい、色んな意味で。ただし、こういう見方をするにはマックイーンの実績があり過ぎるのが難点。


メジロマックイーンと言えば、「鉄の女」イクノディクタスに惚れていた、なんてのもあったなぁ。近くにいるとマックイーンがイクノを気にして仕方がなかった、という話。1993年の宝塚記念では1着マックイーンで2着がイクノだったりもした。


・イクノディクタス:超良血馬ダイイチルビーが1億円で売買されたのと同じセリ市で、その十分の一の930万円で売買されたという話が有名。牝馬限定レースも少なく、古馬(5歳)になると牝馬は引退して繁殖入りすることが多かった時代に、7歳まで51戦(日本の競争馬としては非常に多い)をコツコツと走り続けた苦労人の「鉄の女」。


こっちは逆に、競馬界の主役メジロマックイーン君が叩き上げのイクノディクタス姐ちゃん(同い年だけど)に恋をした、なんてストーリーになりそうだ。ちなみにこのラブストーリーは無事に成就しているようだ。産駒は走らなかったけど。



2007/5/8
競走馬の友情(?)物語としてはシルクジャスティスとエリモダンディーも有名なようだ。


同じ年に同じ厩舎へ入厩してきたこの2頭。厩務員の言うこともあまり聞かない暴れん坊ジャスティス君と、従順で人なつこいが小柄で気が小さいエリモ君。ジャスティスの方が2ヶ月ぐらい年上(ちなみに父が同じ。父が同じでも競馬の世界では兄弟とは呼ばないけど)。馬体が小さく臆病なために他の馬からよく苛められていたエリモを、いつもかばっていたのがジャスティスだという。人間には従わないが、馬の世界ではその名の通り正義感を発揮したのだろうか(それともエリモがお気に入りだったのか)。そのうちにエリモもジャスティスを慕うようになり、その後ろを付いていくようになったらしい。


ちょっと年上の暴れん坊と小柄で気弱な年下、という構図はとんでもなく典型的なものだけれども、まぁ、何ともいい話ではないか。思わずよだれが出てしまいそうなほど。


さて、この仲よし2頭は、お互いに調教パートナー、つまり、併せ馬の相手となっている。人間の言うことを聞くのが嫌いで調教も大嫌いだったジャスティスだが、エリモ(こっちはいつも真面目だった)との併せ馬は一生懸命走った。そして、(調教でもレースでも)何度も一緒に走りながらどちらも重賞勝ち(ジャスティスはG1も勝っている)を収めて活躍している。素敵な話――で終わらないのが悲しいところだ。結末は書かないが、あまりいいものではない。



2007/6/6
まず一段目に左足、次に二段目を抜かして三段目に右足。そのまま一段抜かしでトントンと上まで。私はいつもそうやって階段を登る。


恐らく、通っていた小学校の階段が奇数段だったから身についたこの習慣。最初の一段で足慣らしをして、そこからリズミカルに二段ずつ登っていけば、段差を余らせることなく次の階へ上がれる。


今となっては、偶数段の階段でもそれを適用してしまうため、最後に一段、余らせてしまうことが多いのだけれども。



2007/6/20
ある午前記。


やる気はないくせに結果には一喜一憂、というあまり性質のよろしくない私だが、現在、就職活動中である。筆記試験なんか受けに行ったりしちゃったりするのである。会場は何とか会館の貸会議室。いざ都心へれっつご。


筆記試験の内容は一般常識と英語と国語だったが、一般常識(五択問題)が特に酷い有様になる。二択で迷ったところでは、ことごとく不正解の選択肢を選ぶことに成功した。これはひどい。英語と国語は随分と懐かしかった。「次の英単語を並び替えて日本語に合う英文を作れ」とか「次の文章を読み以下の設問に答えよ」というような問題は大学入試以来だ。


そういえば、受験生だった頃に、「問題文より先に設問を読め」やら「接続詞に線を引け」やらの国語試験用テクニックを教わった気がする。しかし、そうしたテクニックを実行したことはなかったはずだ。国語の問題用紙を前にすると、いつも私は、筆記用具も何も持たずに――大方のところ、頬杖を付きながら――ただ問題文を読んでいた覚えがある。今回もそれは変わらなかった。とりあえず気の済むまで。


試験が終わると即座に会場脱出し、ビルから出るや否やネクタイを外し上着を脱ぐ。私はネクタイ適正がとっても低い。まだ全裸適正の方が高いと思う。されどこの社会は全裸禁止、ネクタイ推奨。殊更に服を脱ぎたいわけではないけれども。


会場の最寄り駅が地下鉄の駅だったので行きはJRと地下鉄を乗り継いで来たのだが、帰りは少し歩いてJRの駅から帰ることにした。乗り継ぐよりもJR一本で帰った方が安いと予測したのだった。上京して七年目になるが、相変わらず都心へ出ると興奮する。視線は常に斜め三十度上方に固定。いつになっても「おのぼりさん」。いつも上っている。とんぼを見かけた。


JRの駅に辿り着くと、そこは以前、筆記試験で落とされた某社の真ん前だった。腹痛と戦いつつ書いたわけの分からない作文を提出した私が落ちることは分かっていたので、別に恨みはない。恨みはない…が、何となく、近くのコンビニで競合他社の製品を購入してみる。もっとも、この日、受験したところもまた別の競合他社だったわけだが。


駅で切符を買う。行きよりも高い。JRと地下鉄を乗り継いだ行きよりも、JR一本の帰りの方が高い。切符の値段が高い。高い。駅前で食べようか悩んだ竹輪天そばよりも高い。


帰りの電車はとても空いていて、難なく座れた。すると、突然、車両のどこかで鳴り出すブザー音。これはもしや「痴漢に襲われているが怖くて声が出せない時のための防犯ブザー」なのか、と音のする方に目を向けてみるもイマイチよく分からない。


「しかし、誰も立っていないほど空いている車両で痴漢する奴なんかいるのか?」「誰も席を立って音のする方に近づいていこうとしないな」「これで本当に痴漢がいて、けれども、誰も助けにいかなかった、なんてことになったらワイドショーで『日和見主義の日本人』とか言われるんだろうな」「やったぜ!これで自分もヒーローだ!」「痴漢?置換?チカン?」…色んな思考を携えて、でもやっぱり英雄崇拝は消えなくて、席を立ち音源へアプローチ。


「何やらオッサンの持ってた携帯電話が誤作動してけたたましいブザー音を叫んでいたようですよ。携帯にそんな機能があるのかどうか知りませんが」と、自分から自分に状況報告がやってくる。車内で唯一、立ち上がった私。当然の帰結として襲い来る感覚――いたたまれない。丁度、どこかの駅に着いたのでそのまま下車してみた。よよぎ。


帰宅してPCと向き合っていると、突然、座っていたパイプ椅子がとんでもねー勢いでバラバラになって殉職した。私はいつになったら英雄になれるのだろう。



2007/7/7
あまり流行っていないめし屋には、何故か古いマンガ雑誌が置いてある。古いと言っても、さすがに十年二十年前というわけではなく、せいぜい二、三年前のものなのだけれども。そして、たまたま自分が読んでいる雑誌だったりすると、思わずそれに手が伸びることが多い。そこでは、今は仲間になっている奴と主人公が戦っていたり、今はくっついているカップルがベタベタなすれ違いをしていたりする。「あぁ、こんな話だったなぁ」とか「最近、単行本で読んだなぁ」などと思いながら、ちゃっちゃとページをめくりつつ、飯を喰う。


安価で量が多いが、二分の一の確率でテーブルの上を某害虫がお散歩をしているトンカツ屋で、そんな雑誌を見た。一年半ほど前の青年誌。


店舗の横幅が三メートルぐらいしかない煤けた中華屋で、そんな雑誌を見た。トンカツ屋で見た雑誌の次号だった。トンカツ屋から三百メートルほど南下すると一週間分進むようだ。



2007/7/29
六本足には死んでもらって、八本足は生き延びさせる。この部屋で私が持つ唯一の生殺与奪の権。



2007/8/11
私が今、使用している暖房器具:PC、冷蔵庫、扇風機、テレビ、自分自身、窓が一つしかないこの部屋、網戸、太陽。


何もかもが暑い。何もかもが発熱するか、あるいは換気を妨げる。最近、網戸を使うのを止めた。かなり風通しはよくなったが、虫さされの跡が増えた。最近、入り口のドアを少し開けている。暖気が外に出て行ってくれるようになったが、私の痴態も外に漏れ出るようになった。


虫は通さないが風通しのいい網戸か、痴態を晒さない私がほしい。



2007/8/29
そんな日があった。


お昼ご飯に、買い置きのたこ焼き(冷凍食品)を食べようと思った。電子レンジで解凍するために、凍ったたこ焼きを載せる皿を探したのだが、部屋にある皿は全て流し台でうずくまっていた。それに気付いた私は、少しだけ眉間にしわを寄せて考えた後、おもむろにシャワーを浴び部屋着を着替えてコンビニへ向かった。皿を洗うのが面倒なばっかりに、それ以上の手間をかけてコンビニへと食べ物を買いに行ったのだった。我ながらどうしようもないダメっぷりだと思った。


ベランダに落っこちてきた瀕死のセミが、最後の力を振り絞って「ジジジ…」と音を発していても、私の生活は変わらない。生活しているのかなぁ。なお、本日の食事メニューは、朝:「チキンラーメン」、昼:マクドナルド(「チーズバーガー」「マックポーク」「ポテトR」)、夜:「ミニおはぎ三個」「どら焼き」「亀田のカレーせんべい」「アロエヨーグルト」、となっている。栄養って何?生活って何?


こんなくだらないことが、容易に公表され得る――少なくとも、この内容をノートに書いて購読しているマンガ雑誌の山の中に埋めておくよりは容易に――という現況に、恐怖以外の何を感じればいいのか。


机の上に置かれたノートの罫線を見つめ、その間に書かれるであろうことを想像するならば、この世界の全てを書き尽くすようなことは出来ないということに思い至るだろう。あなたのことでさえも。


図書館で林立する本棚を見上げるならば――否、たまたま最も近くにあった本を手に取り、最早、数えきれぬほどのインクの染みを目の当たりにするならば、この世界の全てが書き尽くされているということに思い至るだろう。あなたのことでさえも。




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