青梅マラソン
青梅マラソン体験のページ  2013.01.22編集
きっかけ〜5度目
2001〜2006
6度目〜8度目
2007〜2009
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空白の時
2010〜2012
きっかけ
 第35回大会の高橋尚子さんの走りを見て、来年は僕も出てみようと思った
 のがきっかけでした。
 後方はなんかスローペースに見えて、自分でもできそうに見えたから。
 (とんでもない、一番後方でも私の精一杯のジョギングペースでした)

30Kmの初めての挑戦
 一年間かけてなんとか30Kmを完走できる体力を付けることができ準備
 万端。

 ところが、大会まであと一週間というところでインフルエンザにかかって
 寝込んでしまったのです。
 医者からもあきらめるように説得されるしまつ。

 日・月・火と寝込んでしまいました。
 でもあきらめきれずに、水曜日に起き上がり、木曜日には、ヨロヨロながら
 近くの中華屋さんまで歩いて行きました。でも、食事をしている途中で気分
 が悪くなり、やはり無理かなと弱気になってしまいました。
 大会前日には体調はずいぶん戻ったのですが、喉が痛く外の冷たい空気
 をまともには吸えませんでした。

 大会当日、スターターの長島さんだけ見て途中早々と棄権しようと計画。 
 (5Km地点で妻に待機してもらった)

 更衣所の体育館は選手でいっぱいあふれています...
 足の踏み場も無いくらいの混雑で、私は便所前の廊下にしかスペースを
 取れませんでした。

 レーススタート後痛かった喉は、長島さんに応援してもらったせいかすこ
 ぶる好調。
 5Km地点通過時、妻に行ってくると言って、そのままレースを続けることが
 できました。
 でも、寝込んでいたせいか、タイムが落ち始め折り返したところで足もつり
 始めました。
 こうなると、もう完走はあきらめて、あちらこちらでもらえるオニギリ、バナナ
 、飴を食べながら走るありさま。

 足も両足の4箇所がピクピクする状態。
 持っていた携帯電話で妻に「20Km地点の関門に引っかかるから」と
 連絡。着替えを20Km地点に持ってきてもらいました。
 (それで持ってきてくれる妻もすごい)
 目視でも関門を見ることができ、もうこれまでと思っていたのです。
 ところが、関門の係員が拡声器で「あと関門閉鎖まで1分..50秒..
 40秒」とカウントダウンが始まると、廻りのみんな一斉にラストスパート、
 それにつられて私も...。関門を突破してしまいました。
 しょうがないので妻に「行けるとこまで行ってくる」といってまた走り出しまし
 た。 (ナンデヤ!!これが人間の性か)

 しかしながら、一番きつい急坂を登りきった所で万事休す。
 見つけた救護所に入ったとたん両足がロック、もがき苦しみのたうちまわる
 私を見て看護婦さんはオロオロするばかり。
 自分で両足を引っ張りなんとか治まる。
 そして再びレースへ復帰。

 数百メートル走ったところで走れなくなり、黒塗りの審判車に付かれてしま
 いました。それでも歩く私にもうあきらめろコールが拡声器から。それでも
 あきらめなかった。
 でも、後ろから救護所を撤収した看護婦さん達の乗ったバスが私を追い越
 して行った時、バスの窓から看護婦さんの声が「あっ、あの人こんな所ま
 で来たんだ。」
 それを聞いた時に私の満足心が満たされたのでした。
 係員の「もうこれ以上走ると足を痛めるから、また来年がんばろう。」
 と言う声にも素直になれて。リタイヤ宣言が...。

 初めて乗る回収バスの中で、みんなの沈んだ雰囲気の中、私だけ
 ニコニコしていました。
 それはあきらめていたマラソンに出られ、完全に燃焼できたからです。
 暖かい毛布に包まれて幸せでした。
 
 しかし、最後にすごいショックを感じたことが有りました。
 それは更衣所の体育館に戻った時のことでした。
 広い体育館の中に私の荷物だけがポツンと置かれているのを見つけてしま
 ったのです。完走した人はすでに撤収したため、なにも無くガラーンとして
 いたのです。。
 私の目からは熱いものがにじみ出できてしまいました。

2006年2月19日 第40回記念大会 10km の部の写真
写真1
スタート前の緊張の時間
写真2
今年のスターターは瀬古さんでした。
写真3
トップ集団とすれ違い(速えーっ)
写真4
折り返し点のでっけえコーン
写真5
息もたえだえ
写真6
私もむりやり写ってみました
写真7
一緒に走った?高橋尚子さん
写真8
向うに見えるのはゴール地点
写真9
ゴール直後の笑顔(あと数分遅いと悲惨な顔)
写真10
完走証の受領シーン
あと数分遅いとこのシーンは撮れません。
でも回収バスのシーンもおいしいかも。

途中白バイに抜かれました

冷たい雨の中の二度目の挑戦
 前回の挑戦は経験の無さが原因だと思い、他の大会にも出場し、
 万全の状態で望む。

 大会当日は冷たい雨、しかしながら透明の雨合羽(上だけ)も用意してい
 たので完走は疑わなかった。

 しかし、折り返し地点を過ぎたあたりから異変が。
 平地に比べ山の上の気温が低く、肩が突っ張りはじめたのです。
 (かかし状態)
 トレパンのズボンにも雨がしみ込み、ズッシリ重くなってきてしまいました。

 走るペースも落ち、25Km地点の関門でまさかのタイムアウト。
 無情にも係員が飛び出し「チップ、チップ」と言いながら胸のナンバーに
 埋め込まれていた計測用チップをもぎ取っていきます。
 中には、その人から逃げ回る選手もいました。

 こうして二度目の回収バスに乗ることになりました。
 今回はバスの中でさらに悲惨な目にあうのです。
 冷たい体でブルブル震える私に、暖かい毛布は有りませんでした。
 リタイヤ者が多く、毛布が足りなかったのです。

三度目の挑戦
 前回の失敗を反省し、さらに経験を積みました。
 青梅の試走を何回も積み、コースよりもさらに先の方まで走り込む体力を
 つけたのです。
 服装も雨のしみ込む事の無い保温力の有るレース用のものを用意しまし
 た。

 レースも順調に進みゴールすることができました。
 ( 順調だと書くことがなにも無い!! )
 ついに三年をかけた目標を達成できたのです。
 ゴール直後、大泣きをしてしまったのは、ご想像がつくと思います。

 しかし、この成功が行き詰まりの始まりだったのです。
四度目
 この年は前年の目標達成で、どうしても完走したいという強い意志が無くな
 ってしまったのです。
 仕事も忙しく、平日のジョギングができなくなってしまいました。
 それに加えて、どんぐり加入ということで日曜日はテニスオンリーになって
 しまったのです。

 大会の一ヶ月前は、土曜日の午前中に30Km走り込み、夜はテニススク
 ール、翌日の日曜日はテニスクラブで4時間のテニス。さらに、仕事もお得
 意さんの倒産で悲惨な状態になってしまい、身も心もガタガタになってしま
 いました。
 「風邪をひいたらレースは休めるのに」と思っていたら、やっぱり風邪を引
 いて寝込んでしまいました。
 そして、早々とリタイヤ宣言。

 こうしてこの年の青梅は終ってしまいました。
再挑戦
 スポーツで一番大切な、モチベーションをどう保つかという課題に突き当た
 りました。

 そこで一番良い解決策を見つけました。
 40回記念大会ということもあり、妻を誘って10Kmに出るということです。
 これだと走り込みもしなくてすむのでテニスと両立できるし、妻を完走させ
 るという張り合いが持てます。
 普段10Kmのジョギングを楽々しているので、精神的にも楽だと思いまし
 た。

 ところが、リーダーのプレッシャーというものを経験するはめになりました。
 私が出ないと妻も走らないと、嬉しいような悲しいような宣言をされてしまっ
 たのです。今までは一人で気楽だったのですが...。
 今回も一週間前から体調を万全にするのに一生懸命になりました。
 大会当日も朝からゲーゲーやっているしまつ。
 (緊張すると胃がムカムカして、空の吐き気がくる)
 スタートする直前は、緊張で目の前が白っぽく見えてきたくらいです。

 まぁそれでもなんとか完走することができました。
 ( 結局うまくいくと書くことがない )
 めでたし、めでたしというところです。
 右の写真はその時のものです。