青梅マラソン
青梅マラソン体験のページ  2009.03.29更新
きっかけ〜5度目
2001〜2006
6〜8度目
2007〜2009
NEW
空白の時
2010〜2012
6度目は最悪の結果そして新たなスタート 記入2007.05.29

 2007年は残酷な写真から始まってしまいました。

 30Kmに出たのですが20Kmの関門でタイムアウトとなって
 しまいました。原因は練習不足と体調不良。
 回収バスでゆっくり座って帰れると思ったらこの有様。
 交通規制を避けて遠回りをしたあげく渋滞に捕まり、
 ゴール地点に着くまで一時間もかかってしまいました。
 疲れきった体にこの仕打ちはきつい!。
 (でも、渋滞の発生源は我々なんだよネ。)
 思わず「走って帰った方が早い!」と言ったとか言わなかった
 とか。

 「へそまん」の前をバスが通った時に、既に応援を終了していた
 太鼓の人達が、特別にバスに向かってエールを送ってくれまし
 た。私は思わず涙ぐんでしまいました。
 なぜ涙が出たかというと、彼女らも挫折しながら太鼓を叩いて
 てきたんだろうなと想像できたからです。

 もうマラソンに出るのはやめようかなと思っていたのですが、
 来年は彼女らにエールを渡すためにここに帰ってこようと心に
 決めたのでした。


 もともと回収バスの写真は、「一年間色々あっての結果にこの
 状況に至りました。」という言訳のレポートの最後に使う予定
 でしたが、なかなか筆が進まず、半年後にようやく結果ではなく
 スタートに使おうと思いついて、最初にもってくることにしました。
 そぉ、これから青梅マラソンを再び完走するまでのスタートの
 写真です。

6度目の写真
POume10.jpg
満員の回収バスの中
POume11.jpg
へそまんの太鼓の人達 (写真は往路の時)
7度目は予想外の出来事が  記入2008.02.18

 完走できない最大の理由はスピード不足にあると結論づけた私は、
 谷川真理さんの本を参考にフォームの改造に着手しました。
 また、練習方法もダッシュの練習を加えることにしました。
 今まではマラソンにはダッシュの練習なんて必要ないと思っていたの
 です。

 大会が近づいてきたときに、スピードの方はかなり効果が出てきた感触
 を得たのですが、この練習メニューでは20Kmまでしか練習しないし、
 青梅のような坂道は入っていないのです。
 ほんとうにこれで完走できるのだろうかと不安を感じながら、大会当日を
 迎えることになりました。

 しかし、朝起きると一面が真っ白の雪景色と変わっていたのです。
 テレビから中止のアナウンスが。
 そして、プレッシャーから開放された私がいました。

7度目の写真?
朝起きると真っ白な世界になっていました。
ちょっと休憩  記入2008.02.23

 冬の青梅の練習は寒くて辛い。
 そんな中で楽しみなのがやっぱりへそまん。
 正式にはへそまんじゅうという。

 観光客の中に汗だらだらのランナーが混じって注文する。
 「山菜そばと、あったかいへそまん2個ください。」
 
 駐車場の一角の休憩所でこれをおいしそうにほおばる。
 これが人生の中で感じる小さな幸せのひとつなのです。


休憩写真
へそまん
山菜そばとあったかい"へそまん"
8度目の挑戦  記入2009.02.15〜22

 春から秋にかけて谷川真理式のトレーニングを見よう見真似で続けまし
 た。そして、自信がつき始めた頃に思いがけないアクシデントが。
 右足首を捻挫してしまったのです。
 右足を引きずりながら、今年の青梅は終わったと感じました。
 大会まであと2ヶ月しかなかったのです。

 でも、割と軽かったらしく、一週間後にはサポーターもとれて歩くことがで
 きました。
 とにかく可能性は無いにしても、やれることをやることにしました。
 それで、家の周りの道路を今日は500m歩き、次の日は1kmというように増
 やしていきました。
 軽く走ってみたり、足首に負担を感じたらすぐやめるという感じです。

 一ヵ月後のお正月、実家の高知に帰った時に、子供の頃から登っていた
 五台山という標高139mの小山にジョギングで登ってみることにしました。
 五台山までは往復10km有ります。これで足首が痛くなるようなら、もうあ
 きらめる事に決めたのです。
 結果はGOOD、手ごたえを感じました。

 そして2月に入り、家の周りとはいえジョギングも20km走やダッシュもこな
 せるようになりました。でも、調整を急ぎすぎたのか、体調を崩し、走れなく
 なってしまいました。
 「あなたは大会が近づいてくると必ず体調をくずすネ。」と、家族に指摘
 されてしまいました。ゲ!、これがプレッシャーというものか。
 大会前日になっても、もう休みたいと気持ちが揺らぐしまつ。
 まるでマリッジブルーだなぁとブツブツつぶやいてしまいました。

 目標は完走だけれども、もともと目的は自分の体力アップだったはず、
 既に目的は達成されているのだと自分に言い聞かせました。
 そして、大会当日は目標を20kmに下げて望むことにしました。

 今年の気候は去年の雪とはまったく違って、気温が16度にもなると天気
 予報で言ってました。
 それで服装をどうすればいいか迷ってしまいました。
 今迄バージョンアップさせてきた防寒対策をするべきか、やめるべきかと。
 しかし、山の上の寒さと、帰りの疲れてきた時のことを考慮して、スポーツ
 用のストレッチ効果のある防寒下着に、半袖、半ズボンの上着で望むこと
 にしました。
 最初は暑くて辛かったけれど、後半はピッタリの状態になりました。
 これが結局良い方向に働いたようです。

 私のゼッケンはM○○○で、スタート地点より1kmも手前からのスタート
 になります。スタート地点を通過するころには既に10分が過ぎていました。
 捻挫した右足や前回痛くなった足の指をきずかいながら、無理の無い
 ペースで、尚且つ腕を振ることに集中しました。
 しかしながら、折り返し点を過ぎた当たりから、左足のふくらはぎが
 ぴくぴくしてきました。
 やっぱりつり始めたかと、がっかりしてしまいました。
 今回の走りがダメだったら、今迄の練習方法がダメだったことになってしま
 う。それだけは避けたいと思いましたが、ふくらはぎのぴくぴくは悪くなる
 一方でした。
 下り坂にもかかわらずスピードも上げることができなくなってしまいました。
 
 足がつる原因は水分不足かもしれないので、給水所ては必ず給水しまし
 た。もらっていたアメもなめました。要所要所で膝から下の血流を良くする
 為に、立ち止まって膝の屈伸をしてみました。(これって結構勇気が必要)
 そして20kmの関門が近づいてきました。
 おそらく、ぎりぎりに違いない、もうこれで走るのをやめることができると
 思いました。「あ〜っ、これで休めるぅ〜。」

 ところが、なんと関門閉鎖まで10分以上もあったのです。
 「えっ、どういうこと!。」
 そう、谷川真理式の練習でダッシュを加えたことにより、知らないうちに
 以前より平均スピードが上がっていたのです。
 「これは、いけるかもしれない、でも、足はつり始めているんだよネェ」

 そこで、作戦を立てました。登り坂はウォーキングに切替て、平地と下り坂
 のみ走ることにしました。(折り返し後は下り坂が多い)
 これが実は大成功になったのです。
 登り坂を走らずにしっかりウォーキングにしたことにより、足のダメージが
 少なくなり、且つストレッチの効果があったような気がします。
 特にストレッチ効果のある防寒下着が、疲れた筋肉を揉みほぐしてくれて
 いる感じがしました。
 実際のスピードも、急坂の「足を痛めた走り」とそれほど変わらなかったの
 です。ただ、歩くのはプライドに相当キズがついてしまいました。
 廻りの、あいつはもうダメだという視線も感じました。
 そして、下り坂になると走りを復活させたのです。
 一生懸命に腕を振り、ふくらはぎにも全神経を集中させました。
 一度完全にロック状態に陥った時がありましたが、なんとかストレッチで
 乗り越えることができました。
 もうすでに、捻挫の足首と足の指はノーチェック状態です。

 そして、あの「へそまん」の太鼓の響きが谷の向こうから聞こえてきました。
 なんともエネルギッシュな響きでした。
 近くで聞く太鼓の音もいいけれど、谷の向こうから聞こえる響きはさらに
 すごさを感じました。
 そうだ、目標は「へそまん」にしよう。「へそまん」まで後1キロだ。
 それまではなんとか足をもたせなけゃ!。

 この後、涙目をウルウルさせながら、へそまんの太鼓奏者と、一人、二人、
 三人と、ハイタッチをしながら駆け抜けて行くおじさんを見かけた人もいた
 かもしれません。
 ( 終わった今、後から思うに、コースを大きくはずれてヨレヨレのおじさん
 ランナーが手を上げながら、しかも涙目で近づいてくるのですから、
 恐かったかもしれません。よくハイタッチしてくれたと思います。
 今、思い返しても涙が止めどもなくあふれてきます。)

 宮の平の急坂をしっかりウォーキングでしのいだ私は、ふくらはぎも奇跡
 的に復活し完走がちらつき始めました。
 青梅市役所も過ぎ、あと1キロというところで、ふくらはぎを気づかって
 ペースを落とすことにしました。
 ランナーもまだ密集状態だし、まさかここまで来て止めるはずが無いと思
 ったのです。
 ところが、あちこちの係員から、時間がきたらいっせいにランナーを排除
 するようにと示し合わせる会話が聞こえてきました。
 そして、一人のランナーが私たちを追い越しながら、「このままのペース
 だと完走できないぞぉ」と叱咤激励する声が。
 そして、ペースを上げた私は関門閉鎖1分前にゴールできたのでした。
 後ろを走っていたかなりの数のランナーが二百メートル手前で走行中止を
 言い渡されたそうです。


 今年の青梅マラソンが終わって感じたこと。
 以前より8千人増やしたせいで、青梅のキャパシティを超えてしまった
 感じがした。
 河辺駅は行きも帰りもホームで人が溢れており、次々に来る電車に危険
 を感じた。
 トイレは選手の列が長く続き、スタートしているにもかかわらずかなりの人
 が並んでいた。走っている最中もあちこちからトイレに行きたいという声が
 聞こえてきた。
 完走したにもかかわらす、完走証がもらえなかった。
 もらえないのに不信感を抱いた私は、係りの人に完走証の配布はやめた
 のですかと聞いてみた。
 すると係りの人は「品切れです。もう少し早くゴールすれば良かったのに
 ネェ」と言われてしまった。
 あきれてしまって、やっぱり青梅らしいとがっかりしてしまった。
 足りなくなったらコンビニのコピーでもいいから欲しかった、
 これを見たくて頑張ってきたのだから。
 大会の関係者にとっては、ただの印刷物にしか見えないのだろうけど。
 基本的に役員は遅いランナーを軽視しているようだ、以前も感じていた。
 沿道の市民は素晴らしいのだけれども。

      
追記2009.02.22
  ★ 後日、関係者らしい方からメールを頂きました。
  ★ 「完走証は後日記録集と一緒に発送予定のはずですよ」
  ★ とのことです。

  ★ お詫びして訂正致します。
  ★ 今から思うに、係員はジョークのつもりで話したのかも
  ★ しれません。

  ★ しかし、マジモードの私はショックでジョークとして受
  ★ けいれられなかったようです。

 それから、帰りの満員電車で具合を悪くしたランナーがかなりいたと思い
 ます。電車も近くの駅でしばらく止まってしまいました。
 終わった後は、少し休んでから帰れるようにしてもらいたいです。
 なにしろ、新宿までは満員電車の中、立ってなくてはいけませんから。

 ちなみに、私はボランティアの無料甘酒接待所で、休憩をさせてもらうこ
 とができました。結局、家に帰るまでに椅子に座れたのはここだけでした。
 でも、地元らしい元校長先生の職業病のお説教を聴くはめになりました。
 「また、来年来いよぉー、俺はいないかもしれないけどよぉ」って、
 言われてしまいました。アハハハハ。


      追記2009.03.29
  ★ 完走証も無事送られてきました。
  ★ これで、3年かけて走った青梅マラソン物語第二部は完了です。

8度目の写真 記入2009.03.29

プロに撮ってもらったイメージ写真です。

By ALL SPORTS community

POume20
POume21
POume24
POume22

プロに撮ってもらって購入した写真です。
さすがに写りは最高です。

ゴール直前の動かない足で踏ん張っているところです。

By ALL SPORTS community

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向こうに見えるのがコール地点です。
私が走りながら撮りました。

POume23

後から送られてきた公式の写真集と完走証です

なんと公式記録は関門閉鎖45秒前の3時間39分15秒でした。
スタートラインからのタイムは3時間28分51秒
順位は11,676番です。


                 ウェアの記録

  下着:アシックスの長袖・長ズボンの上下 
      (ポリエステル&ポリウエタン)
  上着:テニスウェアの半袖、半ズボン
     ゼッケン取付用にアシックスのランニング・ウェアも着た
  靴下:frank shorter ランニング用の厚手のもの
  靴 :アシックスのGT-2130
  その他:ドリンク用のホルダー付ウェストポーチ
       アクエリアス入ボトル、携帯電話(緊急連絡用)
       額に汗止め

           何故かアシックスだらけ。
   これは青梅マラソンの会場で買ったものがほとんど。
   大会に出る度に買って帰ったもの。
   尚、時計も買ったけれど半年後に壊れてしまった。F-RUN
   それで、今回はタイムがよくわからなかった。
   時間を気にしなかったので、それが良かったのかも。
   それから、今年は気温が高かったので、ドリンク入りのボトル
   が効果が有った。