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9月5日 司法改革は人づくりから


 本日の日経新聞夕刊に「司法改革 年内に推進本部」という見出しで取り上げられていましたので一言。

 司法改革は、一般市民が裁判の審理に参加する裁判員制や、日本型ロースクールの導入などが目玉になっており、日本の、「お金も時間もかかる割に役に立たない裁判」「足りない弁護士」という批判に代表される司法制度を根本から変革する可能性もあります。

 が、私にいわせれば、制度をいくらいじくってもそれを運用する「人」が変わらなければだめだと思います。もっといえば、「人」が変わらなければならないような制度を作ることによって、制度も変わっていくでしょう。

 制度だけ変わっても、効果がなかったのは衆院の小選挙区制導入でしょう。あれは「日本に2大政党制を作る」「派閥の争いをやめ、政策論争による選挙をやる」という触れ込みでしたが、実際には新進党は空中分解し、民主党は党内論争ばかりやってかつての社会党状態で、結局2大政党制にならずじまい。派閥も小泉さんのかけ声は勇ましいが、実際には消えていません。小泉首相の登場だって、結局は自民党内の政変のレベルに過ぎないのに、国民が「疑似政権交代」に酔ってしまって野党の存在を忘れる、というのはかつての状態と変わらないのではないでしょうか?

 ですから、司法改革もやるからには制度いじりに堕落することだけは避けなければなりません。裁判員制をやるには裁判員をやる市民に対する法教育が不可欠です。予算を組んでやるべきです。法教育を受けていない市民では、キャリア裁判官にお任せ、という思考様式が抜けきれないおそれが強いです。ロースクールをやるにはしっかりした教官の確保が欠かせません。数だけ作ればいいものではありません。

 小泉首相が唱えてすっかり有名になった「米百俵の精神」は、リストラと不景気を辛抱せよ、ということの正当化の文句だけのために引用されている嫌いがありますが、本来注目すべきは、限りある財源を教育=人づくりのために使ったところではないでしょうか。司法改革でもその辺は忘れず、制度と人材の粗製濫造はやめて、しっかりと人づくりに予算を配点して欲しいものです。

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