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2月21日 口頭主義の形骸化

 アメリカの陪審裁判の映画やテレビの刑事裁判がらみのドラマを見ている方は、裁判とは法廷で当事者が丁々発止、弁論を繰り広げるものだという意識があると思いますが、日本の法廷は必ずしもそうではありません。

 刑事訴訟法の趣旨から言えば、すべての刑事裁判上の行為は「口頭」で行うはずです(口頭主義)が、現実には書面が口頭を代行しています。

 本日は、とある殺人事件(否認)の公判で、検察官の論告の日でしたが、昨日裁判所から連絡があり「検察官の論告が相当長いらしいので、朗読を一部省略したい。事前に検察官と連絡を取って、どこが省略できるか打ち合わせておいてくれ」とのこと。

 そんなこと言ったって、こちらは論告の中身も知らないし、第一口頭主義に反しませんか?………と抗議したい気持ちは山々ですが、論告が2回にのびても被告人も判決が先に延びるだけで得をしないため、やむを得ず受け入れざるを得ませんでした。

 でも、裁判所や我々は書面を見ますからいいですが、傍聴人は途中をいきなり省略されて知らないで終わるわけです。

 国民の司法参加が叫ばれている時代にこのような運用のままでいいんですかねえ?

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