火浣布とサラマンダー

 中国の古い文献のなかの「魏志」「呉禄」「周書」などに火浣布(かかんぷ)という布に関する記述がある。以下簡単に要約してみよう。

 中国の遙か西方にあると考えられていた霊山の箟崙山。この箟崙山を取り囲んで炎を噴き出す山々がそびえていた。永久に燃える樹が山頂に生えていて、雨が降っても消えるどころか、夜も昼も音を立てて燃え続けていたのである。
 この猛火の中に牛よりも大きな一匹の鼠が住んでいた。この鼠は火の中では全身真っ赤であるが、火の外に出ると真っ白になってしまい、火を出たところを狙って素早く水をぶっかけるとたちまち死んでしまう。
 こうして捕らえた鼠の毛を切り取り、織って布とし、その布で着物を作ると永久に洗濯する必要はない。なぜなら、その布が汚れたら火の中に投げ入れてちょっと焼けば、すぐに新品同様に真っ白になるからだ。

 この火浣布の記述が西洋のサラマンダー伝説の起源となったのであろうということは想像に難くない。中国人は火浣布を周時代には早くもインドないし中央アジアから入手していたようである。しかもその原料が石綿からつくられたというということも早くから知られていたようであり、少なくとも漢の郭憲の作品とされている5,6世紀に書かれた「洞冥記」には石綿と火浣布の実際についてかなり正確な知識が伝えられている。
 この中国において大きな火鼠として空想された不燃性の動物は、西洋において小さな火トカゲとして空想された。西洋のサラマンダーはトカゲに似た体形で、皮膚から有毒物質を分泌するといわれる。地中の火に生息し、その体はいかなる高熱にも耐えられるとされた。

 面白いのは、マルコポーロの「東方見聞録」にサラマンダーの記述があることである。チンギンタラス地方(現在の新疆ウイグル自治区、ロブ・ノール湖の北東あたり)の項で、この地方にはサラマンダーの鉱脈があるとし、「サラマンダーとは我々の国で伝えられているような獣類ではない」と書かれているのである。そして自分は大ハーンの命令で3年間この地方にとどまり、サラマンダーを掘ったのだと。

 日本の「竹取物語」にも火浣布は「火鼠の皮衣」として物語にあらわれる。かぐや姫からこの火鼠の皮衣の望まれたのは、右大臣の安倍御主人(あべのみうし)。後に陰陽師として有名になる安部晴明の先祖である。
 

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