キマイラ

 頭は獅子、後ろは大蛇(一説ではドラゴン)、まん中は山羊の姿をしたキマイラは、ヘシオドスの「神統記」によると、テュポンという100の頭の龍の頭を持ち、全身に羽をはやした怪物と、エキドナという、上半身は美しい女性だが、下半身は大蛇の姿をしている怪物のあいだに生まれたとされる。ちなみにテュポンとエキドナのあいだには、ほかにヒュドラと地獄の番犬であるケルベロスがいて、このキマイラもいわば怪物一家の一員として、この姿になるべくして生まれたと言える。

 ギリシャ神話の中では、イオバデス王の命により、ペガサスに乗った英雄ベレロフォンに倒されることになる存在であが、最も初期のキマイラはヒッタイトの時代のもので、この時代のキマイラは3つの季節をあらわす聖獣とみなされていた。獅子は春をあらわし、山羊は夏、蛇は冬といった具合である。このことは近辺諸国にも伝わり、ミュケーナイ文化においてもヒッタイトから伝わったまま聖獣としてあがめられ、祭りのようなことも行われていた。それが単なる怪物となってしまったのはギリシア神話が広まる原因となったアカイアの宗教改革以降のことである。

 もともとキマイラはギリシア語で「雌山羊」の意味であるが、これが転じて混成の怪獣の意味になった。また怪物キマイラの姿は人の想像力をなにかと刺激するらしく、中世ヨーロッパにおいてはキマイラは肉欲の象徴、あるいは売淫の象徴として、なかなか派手な存在だったらしい。12世紀のレンヌ司教マルドードは、悪徳の女をののしっている文章の中で、彼は女をキマイラに例えているのである。さらに、哲学者のパスカルは、その著書「パンセ」のなかで、人間全てをキマイラ扱いにしている。
 「人間はそもそもいかなるキマイラであろうか。何という奇妙、何という怪異、何という混沌、何という矛盾に満ちたもの、なんという驚異であることか。あらゆるものの審判者にして、地中の愚かな虫けら、審理を託された者にして、不確実と誤謬の溜まり場、宇宙の光栄にして、宇宙の屑」

 キマイラはラテン語でキメラと呼ばれているが、そのキメラの名を付けられた動物が存在する。キメラ・ファンタスマ(Chimaera phantasma)と呼ばれるギンザメ類である。サメやエイと同じく軟骨魚で、デボン紀(約3億5000万円前)に出現したギンザメ類は、サメやエイとは異なる進化の系統に属するものと考えられている。浮き袋を持たない軟骨魚だが、ギンザメの場合は、顎が頭蓋と癒合していること、皮膚は通常何も覆われてなく、つるつるしていることが違いとしてあげられている。

 ギンザメ類は深海域に生息する魚の特徴を持っており、水深1000mほどの深海底に生息するが、種類によっては浅い海域でも観察されることがある。体は紡錘形で、後方に行くにつれて細くなり、尾は糸状になって長くのびている。大きな胸びれを羽ばたかせて泳ぐこの魚にキメラの名を付けたのは博物学者のリンネであるが、この奇妙な姿形をした生物にギリシア神話の怪物の名を与えたのも、なんとなくうなずける。

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