秋
享保年間、江戸でコレラが大流行して、多くの死者が出た時に。幕府は、その慰霊と悪病退散のため両国橋付近で水神祭を催した。そして余興として花火を打ち上げたのが両国の花火の始まりと言われている。「両国花火」には2種類の版があり、本図は後刷りのものである。 また、「京橋竹がし」であるが、印象派の画家ホイッスラーは「バッターシーの古い橋」は、この図をヒントとして生まれたと彼自身が語っている。