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THE CHECKERS

チェッカーズを好きになったきっかけから現在にいたるまでの、
チェッカーズに対する私の想いです。
さあ、ファンの方、ハンカチのご用意を(笑)。

…でも…
長いです。か〜なり長いです。
色んな想いが込められていますから。
これでもまだ語り足りないぐらいなんですが。
時間のある時、気が向いた時にでも、お付き合いいただければ、と思います…


好きになったきっかけ
寝ても覚めてもチェッカーズ
解散のニュー
ラストツアーそして大晦日
『FINAL』を観て
何年経っても 作成中
フミヤツアーでのチェナンバー復活 作成中

*** 注意 ***
今も
『FINAL』は封印したまま、という方や、解散の話をあまり聞きたくないという方には
「解散のニュース」以降の項目は、あまりオススメしません。
知りたくなかったかもしれない話やラストライブのネタバレなども登場するからです。
…と言っても極秘情報とかではなく、本やテレビやビデオで明かされている話、
あるいは噂されている程度の内容しかありませんので誤解のないように…




好きになったきっかけ
〜「Marry Me Tomorrow」との出会い〜

 チェッカーズがデビューしたのは、私が小学5年生の時。6年生になって、「涙のリクエスト」が大ブレイクし、クラスの女の子達がみんな「チェッカーズ♪」一色になっている中でも、最初私は全く興味を持っていなかったのです。…というよりも天邪鬼な私は反感さえ持っていて、「え〜、チェッカーズなんてどこがいいの?♪な・ぁ〜み・ぃ〜だ・ぁ〜の・ぉ〜ん♪ってあんな歌い方変!」とまで言っていました…

 そんな私が、チェッカーズを聴いてみよう、と思ったのが中学1年生の秋。雑誌「中1コース」にチェッカーズの話が載っていて、
『毎日チェッカーズ』というアルバムの中に恋人が死んでしまった切なくて悲しい内容の歌が入っている、という事を知ったのです。何故か当時そういう恋人が死んだという歌に惹かれていた私(子供のくせにそんな心境が理解出来ていたかは疑問)。チェッカーズは興味なしと言いつつ、密かに同じく恋人が死んだ歌の「星屑のステージ」と「俺たちのロカビリーナイト」も気になっていたところでした。本当かどうか記憶も定かではないのだけれど、ビートルズの「イエスタディ」もそういう曲で(という事自体も、私、覚え間違えているかも)、藤井郁弥はそんな曲が作りたくてこの曲の詞を書いたとか… その曲名は「Marry Me Tomorrow」… う〜ん、その曲、聴いてみたいよぅぅ… ちょうど姉がファーストアルバム『絶対チェッカーズ』からその『毎日チェッカーズ』までカセットテープで持っていたのを知っていた私は、さりげな〜く借りてこっそりと聴いてみたのでした。

 (ここで、「Marry Me Tomorrow」の内容を知らない方の為に補足。曲中の主人公は、戻ってくると約束して一時期恋人のいる地元を離れていたという設定のようです。遠距離恋愛ですね。昔らしく(?)手紙のやりとりをしていたようですが、ある日その恋人の悲報を聞いて戻ってくるわけです。そして、ウェディングドレスを夢見ていた亡き恋人が眠るお墓の前で、「明日結婚しよう」と再(?)プロポーズする、という歌です)

 感想。…なんて、なんて悲しくて切ない。なのに、どうしてこんなに優しくて爽やかな声で歌っているんだろう。内容はこんなに重いのに、さらっとした印象の声。でもそこがかえって悲しさや切なさを感じさせるのか、妙に胸を打つ。歌詞の情景もすぐ頭に浮かんでくる。まるで映画のようなシーン…チェッカーズってこんないい曲を歌ってるの??フミヤってこんなにいい歌声してるの??もっと他の曲も聴いてみたい!!

 …そして、ここから私のチェッカーズ人生がスタートしていくわけです。



寝ても覚めてもチェッカーズ♪
〜少しチェッカーズから離れてしまった解散直前まで〜
 
 初めて自分で買ったチェッカーズのレコードは、
『FLOWER』。今でも忘れない86年の3月30日(実はこの日に右膝半月板を損傷した…バドミントンページ参照)。中でもお気に入りは、ファンへプレゼントされたという「Long Road」でした。歌詞の下に書かれた “〜Present for you〜” の文字にはじ〜ん!ときたものです。(今、私個人の見解は、ファンへというのは隠れ蓑で、奥様への曲だったのではと思ってます。結婚してから知った当時のいきさつなどからしてちょうどピッタリな時期と内容なんだもん)

 そして、私のライブデビューは、ライブコーナーでも既出ですが
『FLASH!』ツアーです。シングルとしては初のメンバーオリジナル曲「NANA」で始まり「NANA」で終わったツアー。「NANA」へのメンバーの思い入れがいかに大きかったかを物語るような構成でしたね。中学2年生でこのライブに初参加し、更にチェッカーズの虜となっていきますが、次の年の『GO』ツアーは何故か参加していません。お金が無かったものと思われます。はあ〜、今思うと惜しい!『GO』ってめちゃくちゃチェッカーズがノリにノッてる、最高の時期。アルバム『GO』からすべて楽曲はメンバーのオリジナルに変わり、メンバー同士の結束も固くて、楽しそうに音楽をやっているのがすごく伝わってくる、まさに成熟期!!何よりイキイキとしてて格好いい!!

 さて、高校に入ってからもチェッカーズ熱は冷めるわけも無く、ただひたすらチェッカーズ街道を驀進します。今の高校生と違って遊ぶにも情報を仕入れるにも媒体は少なく、フャミコンなどにも興味の無かった私は、家に帰ってしまえば音楽を聞くかビデオを見るかぐらいなものしか無かった為、必然とチェッカーズに執心の生活になってしまうのでした。…ってほど大袈裟でもなかったような気もするけれど。ただ言えるのは、少ないお小遣いはほぼチェッカーズ関係に消えていたという事、色々な行動の原点にチェッカーズが存在していたという事です。
 
 我ながら、よくやる〜と思った事は定期試験中にもかかわらずライブに行った事。今のフミヤも同じパターンでツアーを組んでますが、チェッカーズ時代から冬のツアーは12月中頃から年末までの約半月間。そして大体大阪は15〜20日頃にあたり、ちょうどいつも2学期の後期試験期間。そして毎年、「必ず前もって勉強するから!」と親に約束してライブに参加してました。その説得理由は、「行かなかったら気になって気になって勉強なんて余計手につかない!」(笑)。だって本当に事実なんだも〜ん。ライブに行くのをどれぐらい前から楽しみにしているか!たかだか試験の為にそれを吹っ飛ばされるなんて!好きなことをする為には、親への説得も上手くなるもんだと、よくこれだけの熱意を伝えられるもんだと自分で思ったものです。

 そんな私も、とうとう熱意を失う時が来ます。…いや、熱意がよそを向いたいうべきか。大学に入ってバドミントン部に入部してからは、そちらが楽しくて楽しくて仕方なくなり、日々がクラブ中心となってしまったのです(中学・高校でもバドミントン部で楽しかったんですけどね…)。そんな風に頭の中でチェッカーズが占める割合が徐々に減りつつあったのと同時に、チェッカーズの音楽性も変わって行った時期でした。8ビートから16ビートへ、タテのりからヨコのりへ…その変化は、当時の私にはついて行きにくいものだったのだと思います。ライブでは、大好きだったモンキーダンスやみんなでジャンプしたりする事がめっきり減り、何だか「辛気臭い」と思ってしまう曲が増えたように感じました。今にして思えは゛、30代を目の前にしたチェッカーズ、徐々に音楽技術も向上し、より大人っぽい曲へと音楽性が変化していくのも当然な時期であっただろうと思います。でもまだ10代だった私は、きっとまだ理解するには若かったのかもしれません。そんなちょっとしたチェッカーズへの不満と疑問の想いがすぐ目の前にあった魅力と相まって、知らず知らずにチェッカーズから遠のく結果となっていました。…ファンには変わりなかったのですが、もう夢中といえるほどではなくなっていたのです。



解散のニュース
〜解散までの3ヶ月〜

 “寝耳に水”という言葉がありますが、チェッカーズの解散はまさにそんな表現がぴったりだった、という人がいます。確かに、私もその一人ですが、実際には、「ああ、やっぱり」と頭のどこかで感じていたのも事実です。解散の一報を耳にしたのは、1992年10月上旬。お気軽学生だった私は、いつものようにお昼寝タイムに突入しようとしていました。するといきなり母がすごい勢いで部屋に入ってきて「やすこちゃん!!チェッカーズ解散やって!!」…「ええ???」飛び起きたのは言うまでもありません。ファンクラブに確認の電話をしても「その件についてはお答えできません」とのこと。何で?何で?何で?と思いながら、ミュージックステーションでのチェッカーズ自身の解散発言を迎えます。…解散、か…
 
 その年の前年、恒例の冬のツアーはご存知のように
『WHITE PARTY』と名付けられた趣向を凝らしたツアーでした。でも正直な話、印象に残っているのはその趣向だけ。その後ライブビデオが出た為に映像が頭に残ってはいるけれど、それまでのツアーと違って、「あそこが良かった、あの曲が良かった」と印象深く感じた部分は記憶には残っていません。つい最近、チェッカーズはその『WHITE PARTY』の大阪公演で、あまりにも盛り上がらなくてアンコールも急遽(だったっけ?)懐かしいナンバーに変更し、そこそこにして逃げるように帰って来た、という話を聞きました。それで解散を決意したという話も。言われてみれば、アンコールが少ない!詰まらない!と感じた事はかろうじて記憶していたけれど、盛り上がらなかったっけ…??と思うぐらい覚えていないのです。とにかく印象が薄い。ただ確実な事は、次の年の夏ツアーに私は参加しなかったという事実があること。あんなにライブが大好きで欠かさず行っていたのにすんなりと諦め、しかもファンクラブさえ退会してしまったのです。他に夢中になっていたものがあったのは本当だけれど、チェッカーズ自体に以前ほどの魅力を感じなくなっていたのも確かだったんだと思います。もしかしてそれは、メンバーそれぞれの目指す道が変わりチェッカーズ自身も方向性を見失い、内部で生じた違和感がそれとなく私達にも伝わってきていたのかもしれないと思っています。あの頃のチェッカーズに、『GO』から『Seven Heaven』で感じた「壊れることの無いバンドとしての一体感」や「強い団結力・仲間意識」、何よりも本人達がチェッカーズである事をもの凄く楽しんでいる様子が窺えず、漠然とした不満みたいなものを感じていたように思うのです。チェッカーズはもうダメかもって…

 色んな想いが交錯しながらも、解散するというニュースはとてもショックでした。今後、新しいチェッカーズを見られないわけですから。新しい曲が聴けないわけですから。例え今、少し気持ちが離れていてもその内また昔のように夢中に戻るかもしれないのに…リアルタイムのチェッカーズに二度と会えないのは悲し過ぎる。解散を、やっぱり…とはどこかで感じつつも、「俺達が解散するとしたら、縁起でもないけどメンバーの誰かが死んだ時だ」「息子達をチェッカーズ2世に」「本当に家族みたいだから」という最高期のメンバーの言葉を、ずっと信じていたい気持ちでいっぱいでもあったのです。時の流れが形を変えてしまったけれど、少なくともその時言った言葉は真実であったに違いないはず。チェッカーズが解散を選んだ現実は、まだとても信じられませんでした。

 また反対に、こんな大のつくファンの私でさえ離れがちになってしまう状態で続けていって、いつのまにか自然消滅みたいに存在感を無くしてしまうなら、いっそ解散してチェッカーズを伝説にした方がいいかもね、なんて冷静に分析する自分もいました。以前から、もし解散するにしても、伝説になって欲しい!とは考えていたし…ショックな中にも、肯定している自分もいる…とても複雑な想いでした。それだけチェッカーズを大事に特別に考えていたんですよね。



ラストツアーそして大晦日
〜ラストツアーから紅白最後の出演まで〜

 とうとう始まったラストツアー『FINAL』。結果から先に言わせてもらうと、私はこのラストツアーに参加する事が出来ませんでした。勿論、すがる想いで申し込んだけれど当たらなかったチケット。今のようにネットなどという便利なものもなく、チェッカーズファンの友達を持っていなかった私には、どこへどうすればチケットを探せるかを知る術がなく、仕方がないと自分に言い聞かせて一応諦めていました。

 でも、大阪公演の当日、気になって気になって、家にいる自分が不思議で居ても立ってもいられなくなり、親に泣き付いてお金を借り、大阪城ホールへ向かいました。そう、ダフ屋からチケットを買うつもりでした。…でも、甘かった。私は、2万ほどしか持ってなかったのです。「光GENJIやないんやで、姉ちゃん。5万以下で売れるか、よう考えや」などとけなされ、そういう行動自体した事の無かった私はただでさえ一人で会場周りをうろうろしている心細さと、ずっとファンだったのにその会場に入れない悲しさと悔しさとも加わって、かなり精神的にへこんでしまい、失意のまま大阪城ホールをあとにしました。帰り道も、かなり朦朧としていたような気がします。

 今思えば、5万なら、もっともっと泣き付いてでも借金してでも何とかすれば良かったと考えている自分がいます。毎日クラブ活動でバイトもしていなかった当時の私には、2万でさえも凄い大金で、親にもそれ以上の額はとても言えなかったのです。勿論、日本武道館に行くのなんて事も夢のまた夢。自分で働いて自分の好きにお金を使っている今では、東京でもどこでもきっと飛んで行ってしまいますね…だからその分、今よりももっともっと切実に行きたかったあの時、何故もっと必死になって訴えなかったのか、と思ってしまいます。10年近く経った今でもこんなに後悔しているのに。大袈裟でもなく、人生最大の悔やみ。あんなにファンだったのに、ラストツアーに参加できなかったなんて、辛すぎる。あんな悔しくて悲しくて辛かったあの当時に思った事は、ああ、一時期チェッカーズから離れてしまったバツかなあ、という事でした。

 などと思いつつ迎えた大晦日、紅白歌合戦。
 テレビの前で釘付けになってました。ほんのちょっとでも見逃したくない、と出場者勢揃いのシーンなども食い入るように見てました。みんなで「TEARS」を歌う場面、ウルトラマンの歌を歌う場面(確か歌詞を間違えて…ある雑誌では「最後の共演者がウルトラマンとは…」という記事があり、ちょっと笑えましたっけ。この歌の時も声を出しにくそうで痛々しい…)。有難いことにあの日は、会場には凄い人数のチェッカーズファンが入っていて、チェッカーズが少しでも顔を出せば大歓声が起こり、「あ、チェッカーズ?」ととても判りやすかったのを覚えています。幼い頃から大晦日には必ず紅白を見ていた私でも、一組の出場歌手のファンであんなに埋められたNHKホールは初めて見ました。前代未聞だったという話もどこかで聞いたような気がします。一種異様な雰囲気でもありましたが…でも、同じファンの私には彼女達の必死の想いが手にとるようにわかり、それだけでも感動して目が潤みました。
 そして、チェッカーズの出番。
 始まるまでは、きっと実際にはこれが最後だなんて実感が無くていつものテレビ見てるのと同じ感覚でいるだろうなあ、多分泣けないだろうなあ、と考えていました。ところが、とんでもない!
「ギザギザハートの子守唄」を歌い始めた瞬間に、「やっぱり悲しい…」と堰を切ったように大粒の涙が零れてきました。あとからあとから出てきて止まらない。いきなりもの凄い重みで“これが最後”と実感して、まるで子供のような泣き方になってしまい、そんな私を見ていたたまれなかったのか家族までもらい泣きした程でした(それはそれでちょっと笑える)。それに加え、ファンも本当に大合唱で余計に胸を打たれました。泣きながらもみんな必死で歌ってた…そして『Present for you』のイントロでは、マイクにまで聴こえてくるみんなの悲痛な泣き声。(多分、NHKホールに普通に見に来てた観客には、理解の出来なかった状況だったでしょう。あんなに大勢の大号泣を同じホール内で冷静に聞いているなんてあまり経験出来ないのでは。)…『Present for you』を歌い終わったあとのフミヤの言葉…“Thank you and good-bye, my babies”…ライブ終了時にいつも言ってくれる言葉に“and good-bye”がつけ加えられていましたね。あの一言で、ああ、チェッカーズは本当に最後なんだなあ、と実感しました。
 10年間、ありがとう。お疲れ様、THE CHECKERS!



『FINAL』を観て

 チェッカーズが解散して数ヶ月。ラストツアー『FINAL』の最終日・日本武道館でのライブビデオが届き、また年末を思い出すんだろうな、切なくて悲しいんだろうな、と思いつつ観てみました。フミヤが、武道館公演前に過労で倒れ、高熱のままライブに挑み、4日間とも病院から武道館へ通っていたような状態だったことは雑誌で読んで知っていました。観ていくと、本当にフミヤの声が出ていない…眉間にしわを寄せて、必死に歌っている様子が簡単に窺えました。大事な声が出ない為に、武道館での公演は曲のキーが変えられ、それによってサックスなどは指の位置が全て変わるとか。最後になってメンバーがまたすごい力で一致団結した、というような話もどこかで目にしました。それにしても痛々しいフミヤの歌声。解散後のなにかの番組で、ラストライブでのフミヤの涙の意味を聞かれたタカモクが「最後の最後できっちり歌えずに悔しかったんでしょう」みたいなコメントをしていたのを聞いて、「え?悔しくてなの?解散に色んな想いが駆け巡ったとかではなくて?」とちょっと意外な印象をもったことを覚えていたのですが、当のライブ映像を観ていると、それも頷けるぐらいでした。特に「夜明けのブレス」では、掠れてしまってまるでフミヤじゃないような声だったのです。確かに、最後なのにこれは悔しいだろうな、と思うと涙が出てきました。…でも、アンコール時のフミヤの涙はやっぱり解散に伴う涙だったと思いますけど…
 アンコールでの『Long Road』 ・ 『Friends and Dream』 ・ 『Standing on the Rainbow』も、勿論涙なしでは観られませんでした。それどころかかなり号泣。何と言っても『Long Road』。フミヤが涙で歌えなくなってしまった時、バラードなのでじっと聴き入っていたファンも一瞬悲鳴と泣き声を上げたけど、すぐにみんなで大合唱してフミヤを後押ししていたのには、鳥肌が立って涙が止まりませんでした。みんなすごい、本当に単純に気持ちはひとつだなあ、と感じました。もともとこの曲は大好きだったけれど、『FINAL』を観て、もっともっと特別な曲になりました。唯一、フミヤが途中で声を詰まらせて歌えなくなった曲だものね。それぐらいチェッカーズにとっても大事な曲だったんだ、ということが私達にもわかったから。『Friends and Dream』でも、ちょっと声を詰まり気味にしながらも、マイクを両手で力強く握り締めながらこらえているような様子が印象的でした。そして『Standing on the Rainbow』に入るまでのMC。「いろいろ…辛い事もありましたが…いつも…7人だったんで…何にも辛い事なんてなかった…」と涙声で言うもんだから、武道館全体も大号泣。(享氏も泣いてたっぽいよね?尚ちゃんもこの暗転の時泣いたってどこかで言ってたよね。)でも曲に行けば、先刻泣いてたとは思えない程の大盛り上がり。「We are THE CHECKERS!!」つくづく私もこの場にいたかったと思います。ツーアンコール目のチェッカーズコールもしたかった…



何年経っても
〜フミヤ氏ソロ始動から数年〜
 もうちょっと待ってね



フミヤツアーでのチェナンバー復活
〜2000年冬『OVER』ツアーから2001年冬『238』ツアーまで〜
 もうちょっと待ってね…


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