機上の空論

アエロフロート   序

 

 「ソヴィエト社会主義共和国連邦」という冷戦時代の一方の雄が崩壊して大分経ちます。その国営航空会社「アエロフロート・ソヴィエト航空」も今では分割され規模も小さくなりました。機内サーヴィス等評判はあまり芳しくはありませんでしたが、さすがは「労働者階級の前衛」を自任していた国の国営会社だけあって、安い運賃でそれなりの人気はあったようです。

 アエロフロートとの始めての出会いは、高校生のころ成田でイリューシン62を見たときです。見慣れない機体とそこに描かれたロシア文字のロゴにすっかり魅せられてしまいました。ただ、社名を「宙に浮ぶ(英語で aero float )」と解釈し、何か頼りない社名だなぁ、と思った記憶があります。後日、フロートとはロシア語で「艦隊(英語では fleet)」のことだと知り、ある本では「空中艦隊」と訳されているのを見たときには、物騒な社名だなぁ、と思ったものです。

 そんな縁もあってか、ソヴィエト航空時代に16回離着陸を経験しました。いずれもゴルバチョフが政権にあった時のことです。西側とは違った楽しみに溢れたフライトの想い出を綴ってみました。

 ソヴィエト時代は空港や機上での写真撮影は禁止されていたので、残念ながら写真はありません。ハバロフスクで朝鮮民航のIl-18、シェレメチェヴォでリビア・アラブ航空のIl-76、モスクワ・ヴヌコヴォでガイアナ航空のTu-154を目撃し是非とも撮影したかったのですが、シベリアのどこかに住むのは避けたく涙を飲みました。代わりにフライトなどで得た資料をちりばめて見ました。上はチケット、下は搭乗券各種です。旧ソ連では出国印をパスポートに押さず、何故か搭乗券に押していました。

  1986年4月
SU211 モスクワ−ストックホルム
     
  1988年4月
SU695 ハバロフスク−新潟
     
  1990年3月
SU581 モスクワ−成田

コンピューター化され記載データも充実。
でも少し味気ない。

     
  1991年4月
SU581 モスクワ−成田

その日の成田行き第2便。
予約は前の575便だったが、同便が
ロンドンから5時間半遅れるとの事で
振り替えられた。その後成田で・・・

詳しくは「ハプニング」へ

 

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