機上の空論

アエロフロート   機内サーヴィス

 

 ソヴィエト時代のアエロフロートでは、機内サーヴィスの評判はあまり芳しくありませんでした。(アエロフロートの章はこの書き出しばかりですね。)しかし、実際搭乗してみるとそれなりの努力はなされていたようです。私が受けたサーヴィスの中で興味深いものをご紹介しましょう。

 ソヴィエト製の旅客機にはオーディオや映画の設備がありません。Il-62はDC-8やB707と、Tu-134やTu-154はDC-9やB727と同世代の旅客機であり、これら西側の機体にもそのような設備がないことから、公平に見れば仕方がないことと言えるでしょう。Il-86は、ワイド・ボディー機ということで、一応ジャンボやDC-10、A300ど同世代と言えますが、やはりそのような設備はありません。ただ、Il−86には、機内放送設備にテープ再生機能があり、搭乗時に音楽を流していました。国内線で、"Let It Be" "Hey Jude" "Girl" "Yesterday" など、ビートルズの曲をインストルメントで流れてきたときは驚きました。またモスクワに着陸するときに、「ソ連の美しき首都モスクワは・・・」との、ロシア語の観光案内兼詩の朗読兼政治宣伝が放送されました。

 国家の威信を掛けて自国製の機材に拘った所に問題があったのでしょう。でも、ジャンボ機の出現によって航空旅行が大衆化する前の、飛行機が特権階級の乗り物であった頃にはこれらのサーヴィスはなかったのですから、こういった設備が格調高いサーヴィスに繋がるかどうかは疑問です。むしろ、一般大衆を大人しくさせる道具であると言えるのかも知れません。

 また、このような西側の機内設備について、旧ソ連では大きな誤解があったようです。アンドレイ・イレーシュ夫妻著「大韓航空機撃墜 九年目の真実」(文芸春秋)に面白い記述があります。ある空軍の退役軍人(西欧諸国で駐在武官の経験あり)がジャンボ機について次のように語っています。「ボーイング747型機は、この『せむし』のおかげで、こういってよければ、空飛ぶ高層住宅の出現を可能にしたのである。機内にはエレベーター、映写室、バーなどもあり、これによってこの旅客機を世界周知のもっとも快適な、最大の収容人数を誇る空の定期便たらしめたのである。」(管理人からの注: 「せむし」の原語は gorbach と思われる。この語は「こぶ」との意味もあり、そう訳したほうが分りやすい。余談ながら、ソ連最後の大統領ゴルバチョフの名もこの単語に由来する。)この本の著者が何も注釈を加えていないところを見ると、これが当時の一般的解釈だったのでしょう。ソヴィエト国民がアエロフロート以外の航空会社に乗ることは、まずなかったでしょうから。

   

 長時間狭い機内に閉じ込められる乗客に対しては、それなりの娯楽が提供されていました。新聞や雑誌をはじめ、各種の印刷物が配られていたのです。例えば、機内誌ですが、いろんな言葉のものがありました。上は左からロシア語(1988/1)、英語(1985)、日本語(1988冬)、そして、英語(1991/1)です。

 機内誌の内容は古いものだと観光案内のほかに、第二次大戦でのソ連空軍の活躍やロシア革命を振返る記事など、当時の共産党イデオロギーに染まったものが多いのですが、時が下るにつれ、その傾向が弱まってきます。1991年の英語版はイメージ・チェンジが図られており、ドイツで印刷され西側企業の広告も多く、内容も充実しています。

 機内誌の他に、配られた印刷物にはソヴィエト政府の見解を綴った小冊子も多くありました。しかし、そんな野暮なものばかりが配布されていた訳ではありません。マニアにとって最も興味深いものはアエロフロートやソヴィエト製航空機、ソヴィエト各地の空港についてのものでしょう。「機材」のページに使った映像もそんな印刷物です。また、下の右は「親愛なる子供たちへ」で始まる「アエロフロートの『アー』から『ヤー』」(アー、ヤーはロシア語アルファベットの最初と最後の文字)で、楽しいイラストと共に、ソヴィエトの航空知識を網羅した優れものです。(残念ながら全て ロシア語です。)

  

 その他の娯楽としては、チェスボードの貸し出しがありました。ご存知のように、ソ連ははチェスの世界チャンピオンを多く輩出しました。国民の間でもチェスの人気は高いのです。ハバロフスクからモスクワに飛んだ時、ツアーの仲間(日本人)とチェスをしました。すると周りのロシア人乗客が覗き込んできて、果ては一局対戦することになりました。とても楽しい一時を過したのは言うまでもありません。

 乗務員が無愛想だとの評判もよく耳にしました。確かに笑顔を振りまくような乗務員に出会ったことはありません。でも、日航の乗務員が「いかにも営業スマイル」との批判もよく耳にします。そんな方にこそアエロフロートはお勧めかもしれません!?閑話休題。彼女たちは意外にも(?)よく働いていました。ハバロフスク−モスクワ間では往路、復路とも一時間おきに飲み物(ソフトドリンク)のサーヴィスが行われる位です。しかも、こちらが頼めばいつでも持ってきてくれます。鉄分の多いミネラルウォーターや甘ったるいジュース類は慣れると病み付きになります。時には癖のない「バイカル湖の天然水」なる怪しげな代物が出ることもありました。右がそのラベルです。話が逸れてしまいましたが、ロシアの女性は結構感情が細やかで、情が深いんですよ。禁煙席で困っていたらギャレーで一服させてくれたこともありました。(喫煙席があった時代の話です。)

 個人の資質は別として、システム的な欠陥があることも事実です。例えば、モスクワ−ストックホルム線や新潟−ハバロフスク線の機内アナウンスがロシア語の外に、何故かフランス語でされたのにはびっくりしました。果たして何人の乗客が理解したのでしょうか。適材適所の人員配置が上手くされていなかったようです。これではとっつき難くなるのも当然でしょう。

 でも、ソヴィエト時代のサービスも悪くないと思いませんか?以上は全てエコノミークラスでの体験です。「社会主義国の国営航空ではあるまじき」ファーストクラスもありましたが、利用したことはないので、利用経験がある方の体験談を待つしかありません。ご一報をお待ちしています。

 体制を崩壊させたシステムの欠陥は大きかったのですが、まぁ、偏見を捨てて相手の懐に飛び込めば、それなりに楽しめるものです。

 

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