映画と原作・青木淳子と「力」
映画と原作の、決定的な違いは、青木淳子にとっての「力」の位置付けだと思います。 映画の青木淳子は、「力」を、子供の頃からずっと憎んで来たと言い、原作の青木淳子は、「力」の使い道を模索して来た。この違いが、多田や木戸との関わり方の違いにつながっている、又、物語の差になっていると思いました。
原作の淳子は、「力」と自らの存在意義を密接に絡めていて、人を燃やすなんて間違っていると言う多田とは離れ、「力」を認めてくれ、自身異能者である木戸に心を許した。のみならず、最期まで、木戸を、見捨ててはいけないと思った。
映画の淳子は、むしろ普通に、人間らしく生きたいと願う部分があって、普通の男である多田を愛し、木戸には、原作のような慈しむ心は抱かなかった。
原作の淳子は、それを「力」を持って生まれた自らの使命と考えて「力」を使った。
映画の淳子は、多田や雪江への愛情から「力」を使ってしまった。
凶器として生きる中で木戸を愛し、人間になれたと感じた淳子と、人間らしく生きたくて多田を愛したが、闘い続けなければならなかった淳子。二つの生き方の淳子に訪れたのは、いずれも、死。
人殺しを許せないと殺しても、それも結局人殺し、やはり許されないのですね。哀しいけれど、良識的に作られた結末なのかもしれません。
原作の淳子の死は、これから何かが始まる予感の中で突然に訪れた分、余計に衝撃的でした。
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