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「無理と道理」の二本立て 鎌倉街道 上道
[道理] <難所は避けるのが道理> 平時の道 府中道→久米川宿→河原宿→入間川道 鎌倉での御奉公を無事終え、ほっとした思いで郎党らと故郷に帰る。 そんな想定をすれば、山を越え谷を越え荒野を駆け抜ける必要はありません。 道筋に沿って多くの神社や寺院があるのも道理です。 -------------------------------------------- 東村山駅付近の鎌倉街道 東村山市の九道の辻より駅前をかすめ新宿線に沿って北に辿る道があります。 駅前からの府中街道が 志木に向かって右へカーブを始めたところ。 左斜めに鎌倉街道が分岐していました。 分岐に入ると道路左側民家の玄関わきに 「東村山市指定 旧蹟鎌倉古道」 の木柱が立っています。 一旦、広い道に合流し、道を失います。 北に進めば再び鎌倉街道が分岐します。 写真は二つ目の分岐から少し入った交差点で振り返ったものです。 説明板 ------------------------ 説明板記述の一部 ------------------------ 「市域鎌倉街道は、古代の官道である東山道にほぼ 平行して走っていたと推定される。 鎌倉化粧坂より府中を経て小平市境の九道の辻より、 現府中街道にほぼ沿って北上し、 八坂神社(前にまいまいずの井戸があった)、 東村山駅を過ぎ白山神社付近から西武鉄道にほぼ並行し、 東村山市と所沢市久米との境である勝陣場橋あたりより、 掘兼・入間川・男衾・上野国を経て信濃国に至る。」 東村山市教育委員会 -------------------------------------------- 熊野神社 熊野神社付近から所沢市の長久寺までの道筋は不詳です。 そこで、江戸時代には成立していた 江戸道を辿り所沢市側の鎌倉街道起点となる 長久寺に向かいます。 二瀬橋 線路を挟んで反対側に「公事道」と呼ばれる道が北に伸びています。 「公事道」は埼玉県との境である二瀬橋で府中街道からの道と合流します。 二瀬橋上流側 柳瀬川と北川が合流しています。つまり二瀬です。 二瀬橋下流側 江戸道分岐 県道は真直ぐ所沢駅前に向かいます。 長久寺へは左に折れて斜めのショートカットに 入ります。 -------------------------------------------- 長久寺 境内わきに「鎌倉街道」を示す石柱があります。 東村山市の熊野神社付近から所沢市側のこの石柱までの間が 不明となっている区間です。 不明区間の探索 県境とは面白いもので、 東京都の東村山市は鎌倉街道を北上して「勝陣場橋」まで記述し、 埼玉県の所沢市は南下して「勢揃橋」までを記述しています。 二つの橋をつなげばいいのに、ここも県境です。 残念ですが、この間は大きな遊水地になっています。 -------------------------------------------- <国土地理院の地理院地図「淡色地図」にポイント等を加筆したものです。> -------------------------------------------- 所沢市作成 「水害」のハザードマップ。 二瀬橋から上流が浸水実績ありの水色に塗りつぶされています。 つまり、「二瀬橋」の両岸がボトルネックになり 浸水被害がでていることを示しています。 一方、「勢揃橋」は浸水被害の境界線上に架けられています。 「勝陣場橋」―「勢揃橋」のルートで 二瀬橋の難所を回避しているのです。 -------------------------------------------- <「新編武蔵風土記稿」の久米村の段には、以下の記述があります。 抜粋> ------------------------------------------ 「新編武蔵風土記稿」 巻之百五十七 入間郡之二
長久寺から河原宿(所沢)を経て「鎌倉街道 入間川道」に進みます。 ------------------------------------------ TOP |
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