2000年5月27日 第一回植田実さんと建築あそび記録 HOME 

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    2000年5月27日 曇り 千万家 において 

佐藤 植田実さんに来ていただきましたので 95年以降2000年の日本の住宅事情のお話をお伺いします。よろしくお願いします。 話していてだく前段として 90年から95年における植田さんが書かれた 「現代日本の住宅に何が見えるか」と言う論文があります。 間に合わず、コピーを取りに行ってます。配布しますので 後で読んでいただきたいと思います。

 暑いんですが、少し我慢をして聞きいていただきたとい思います。皆さんよろしくお願いいたします。 植田さんお疲れのところ申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。

      ―・・私的領域性の傾向について・・―

植田: 植田です、今日は佐藤さんがおっしゃつたような、立派なテーマでやるっていうんじゃなくて。 なんか 「いろいろ友達が来るから、なんかアトラクションやってくれ」みたいな。 「4〜5軒でも良いしやらなくても良いし」 まあどちらでもいいようなお話だったのでー。 あんまりね、まじめにやる のもと思いまして、皆さんどういう方が…聞いてなかったもんですから。

建築の方でも又そうじゃない方でも、多少興味をもっていただければと思い、5〜6軒写真を持って来ました。 …それで今佐藤さんがおっしゃったですね、論文をコピーしてるのというのは 5年ぐらい前に、日本の最近の住宅における…なんて言うかな。

私的領域性、面度臭く言うと「私的領域性の傾向について」、そういう論文を。出来るだけ東京・大阪だけじゃなくて、全国の現代住宅の中で、拾っていき、そういう傾向を考えようと。報告をしたわけです。
 

 ・・サラリーマンが建築家に依頼するのは日本だけ!?・・

 何かと言うと 今までの住宅とは基本的に、特にこの50年間というのは、戦前は非常にオーソドックスな上流社会のための建築が住宅であって、実は1942〜3年までの住宅。建築家がやった住宅をズーと見てきますと、いわゆる庶民住宅というのは一切ありません。全部 政治あるいは財界の本当にアッパークラスの人達のための住宅を、建築家が設計してる

ですから非常にオーソドックスな、基本的にはお手伝いさんがいて応接も出来て、それから女中さん、男で言えば書生だったり、あるいは自動車のドライバーさんだとか全部含めて、そういう人達の住む場所もちゃんとしてある。それがほとんどです。

実はこれは現在日本を除く西欧における建築家が設計した住宅というのは、今でもほとんど上流社会の邸宅です

普通のサラリーマンが、建築家に設計料を払って住宅を、しかも非常にユニークな住宅を作るというのは私が知る限り日本だけです


 たまに例えば アメリカの西海岸で学生なんかが作るガレージハウス。、自力建設みたいな形で実験的に自分の小さな住宅を作ったりする事はあるんですけども、要するに 「お金が無いけど設計ひとつ頼むぞ」と言って作る。建築家に設計を頼むというのは日本だけです。

しかも それがどんな小さい家でも 巧く作ってあれば、世界にちゃんと紹介出来る非常に実験的な家です。実験的的と言うのが実は味噌なんですね。

上流社会はそんな実験的な…一切ございませんから。自分たちのライフスタイルが決まっていて、それを生かすために建築家がスタイル、というモノをもっている 教養でもつて、設計するわけですから。

「俺はジョージアンが好きだ」と決まってる御施主さんに対しては、ジョージアンが如何に建築家がこなせるかと、そのものだけでもって作るわけです。

 例えばボストンだと何様式。ボストンのある上流社会だと犬も勝手にブルドックなんか飼っちゃいけないわけですね。決まっているわけですね。そこでの一つの閉じた社会があって、そこでの作法が決まってるわけだから。人を呼ぶとか犬を飼うとか、週末にパーティーやるだとか、全部仕来りで決まっている。 その器としての住宅を作っている。
 

       ・・日本の最小限住宅・・

 日本の場合は特に1945年、第二次世界大戦後、実は戦前からそういう動きはあったんですけれども。庶民のための住宅に対して建築家がものすごく頑張ちゃうわけですね。立体最小限住宅というように、最小限の住宅をトップクラスの建築家が設計するわけです。

それを設計したのは例えば池辺陽さんとか、池辺さんは亡くなったんですが、今もお元気な方を言えば 清家清さんがその時代に新しい住宅を作った方々です。

ただそう言う方々の住宅というのは基本的にですね、お手伝いさんは無し主婦がその家庭の家事労働の担い手である男は働く外で子供は二人ぐらい。最初は勿論 自動車も持たない方針だったと思います。今で言う典型的な核家族ですね。

そのための新しいモデルを作るとことが、戦後日本の課題になって、そのために建築家はものすごく努力するわけです。 ですからそのために新しい住まいを提案しなければいけないわけですから、非常に皆手探りでやって、実はそれが延々と、いまだに続いているということだと思います。

 ただしかなり図式的にしゃべっているんで、そうでない例は勿論いろいろあるんですが 基本的にはそう言うことです。

    ・・90年代の傾向・・ 

 だだね、この90年代に入って特に傾向があるのは、今までは核家族のための住宅だから、基本的には居間があり、台所があり、食堂があり、それに個室が付くという形だったんだけど、最近はどっちかというとですね、個人のまず個室がある、あるいは個人の生活があって、むしろ居間とか共有室が一寸サブになっている場合がすごく多いんですね。そう言った現象というのは、多分皆さんがいろいろと、心当たりがあるんじゃないかと思います。

 例えば社会で、お年寄りでも一人でコンビニに行って、自分で食べられる食料を簡単に買えるとかですね 。家へ帰って調理しなくて済むとか。 自動車やガスが発達して守っているとか。あるいはテレビも もはや一人一台。一家に一台でなくて一人一台ぐらい といういろんな状況。

もう家族じゃないと家が成り立たないと言うんじゃなくて、まず個人があって、個人の家がある それがどういう形で集合するか言うようなことであります。それをそういった例を10軒ぐらい、これはと思うモノを紹介したんです。その中に実は佐藤さんの、どなたの家でしたっけね。

佐藤 Sさんの家です

植田 Sさんと言う 野球選手の息子さんがいらっしゃって。 あれは居間が完全にSさんのご主人のプライベートルームになっていて、そこに僕らが招待されるというのがとても面白い。 気持ちがいい住宅になっている。

例えばそういうこと。 そういう現象がどんどん出てきてるということなんですが。今日先にお見せする4〜5軒はですね、そのレポートをやった後に、又 新しい住宅がいくつも出てきてそれを見ると、やっぱり、まず個人のための住まいというか、そういう作り方がますますはっきり出てきているなと、いう気がするんですが。

それを今日は簡単にお見せする。多分皆さんご存じの住宅ばっかりだと思いますが、

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