『古事記のものがたり』・本のできるまで
その2


「自分の本は自分で売ります。
 “古事記のものがたり”出版までの奮闘記」その2


靴の中の500円玉

1998年2月。Sさんから「日本の神話、『古事記』をインターネット上で連載してほしい……。」という電話が入った。エコロジーシンフォニーという電子マガジンの中に日本の神話『古事記』を若い人に向けてわかりやすく書いてほしいという依頼だった。

Sさんは地球環境問題に関するサイトをネット上に立ち上げているベンチャー企業の社長さんで才色兼備で有名な女性。みどりさんはその中の「私のエコライフ」というコーナーに時々原稿を入れていた。

「私のエコライフ」というのは簡単に言うと、「私は環境に対してこのようなことを実践しています」という有名人を対象にしたインタビュー記事。ちなみに僕たちはその頃、落語家の桂南光さんと一緒に赤目(三重県)の川口由一先生のところで自然農を学び米作りをしていたこともあり、その記事を書いたりしていた。

Sさんからこのような電話があったとみどりさんから相談された時、ぼくは、すぐに引き受けようと言った。詳しく聞くと、一週間に一話づつ更新して、だいたい半年間ぐらい連載を予定しているとのことだった。おまけに写真またはイラストも入れての厳しい予算なので、みどりさんはすごく悩んでいた。

たしかに原稿料は非常に安かったが、幸か不幸か、ちょうど2月にみどりさんは勤めていた会社からリストラされたばかりだった。だから書く時間はたっぷりあるし半年間は失業手当がもらえるから生活のことは心配しないですむ。考えようによっては、この仕事をするために、リストラされたのかも知れない。

本来ノーテンキなみどりさんは、そう納得するとさっそく素敵なイラストを描いてくれる友人に協力を依頼して話をまとめてきた。こんな時の彼女の行動力とネットワークの広さにぼくはいつも感心する。

二人とも『古事記』の勉強はほんの少しだけれど元神主だった小林美元先生から手ほどきを受けていたし、古い神社や岩くらには何度も足を運んで日本の神さまのことも学んでいる。ぼくは昔話が大好きだったし、みどりさんは万葉集や日本の古典に長けている。二人で力を合わせれば難しい『古事記』もなんとかやさしく面白く書けるかもしれない。とにかく『古事記』を半年間、連載をする環境はこんな風に整っていた。そしてもうひとつ、ぼくを決心させたものがある。みどりさんのこんな話だ。

「それがな…。昨日の夜、帰り道でな、お寺の前に乞食が片方の靴を脱いで気持ちよさそうに眠り込んでてん。いっぺんはその前を通り過ぎたんやけど、ふと、もし明日の朝この人が目を覚まして靴の中にお金が入ってたら喜こぶかなあ? と思って、また後戻りして、脱げた片方の靴の中にそぉっと500円玉をいれて帰ってきてん。そしたら今朝、電話で『古事記』の連載の仕事が舞い込んできたんやんか、どおおもう?」

昨日の夜の『乞食』と神話の『古事記』…。ぼくは奇妙な符号を感じながらも「あの乞食の人が神さんやったかも知れへんで? 」と騒いでいるみどりさんの言葉に心の中で「まさかね」と軽く思っていた。

それよりも半年間の連載という仕事が入ってきたうれしさで舞い上がっていたのだ。舞い上がりすぎて『古事記』『日本書紀』を二人とも最後まで読んだことがないということにもまだ気がつかなかった。

この日を境に、「古事記のものがたり」の連載が始まり、直販出版(書店販売をせずに注文を受け付けての販売・作者自らが販売)へと進んでいくのだけれど、このあとも不思議な出来事がぼくたち二人の身の回りに次々に起こりはじめる。ぼくたちは「本当にこんなことってあるんだ」と思わざるえない奇妙な流れの中にいたのだ。

次回につづく


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