「ええと、こちらがケーキショップ『petits fours』の店長、神崎竜也さんです」
我が家でお客様を出迎えるのはリビングのソファー。余計なものはすべて片付け普段よりも整然としたその場所に、両親と向かい合って座っていた。なんだか、いつもよりも部屋が狭く見えるのは気のせいだろうか。
「お初にお目に掛かります、神崎と申します。結衣さんにはいつもお世話になっております」
うわーっ、店長がきちんと普通に挨拶してる! そんなの、よくよく考えたら当たり前のことなんだけど、すっごく感動してしまう。
「は、はあ、こちらこそ……」
「娘が大変お世話になっております」
相変わらず勝手のわかっていない両親は、いきなり現れた長身でイケメンな彼に度肝を抜かれている。
「こちら、つまらないものですが。どうぞお納めください」
「そ、それはご丁寧に……ありがとうございます」
店長が抱えていても大きく見えた花束を受け取り、母親はフラフラしている。続いて同じく馬鹿でっかい紙袋まで渡そうとするから、それは私が受け取った。
「て、……じゃなくて竜也さん。その、これは生ものですか?」
「ああ、ホールケーキを作ってきたんだが」
自作を持って来ちゃうのか、まあ店長のケーキなら間違いなく美味しいしね。でもこれ、信じられない重量なんですけど!
「お好みがわからなかったから、とりあえず五個ほど作ってみた」
「ええーっ!?」
手土産にホールケーキ五個? それはちょっとやり過ぎじゃないかと。そもそも、冷蔵庫に入りきらないって。
「ま、まあ……それでは結衣、とりあえずキッチンのテーブルに運んで。お持たせをお出ししてもいいのだけど、実は息子がそろそろ――」
「ただいまーっ! 母さん、お客様はもうご到着?」
そこに元気な声で兄が登場。
そう、今の今まで影もかたちも出てこなかったけど、私には三歳違いの兄がいる。もっとも、現在は就職して家を出ているけどね。どうも母親の知らせを受けて、わざわざ帰ってきてくれたみたいだ。
兄はドアを開け、颯爽とリビングに入ってきた。
「こんにちはー、あなたが神崎さんですか? 俺、昇(のぼる)、田村昇と申します。……って、あはは、結衣の兄ですから、苗字が同じなのは当然ですねーっ!」
兄はがははっと豪快に笑い、ささっと名刺を取り出して店長に手渡している。
「コスモポリタン株式会社で営業をしています! 医療機器とか扱ってるんですが、そっちには興味ありませんか!?」
「……お、お兄ちゃん! ちょっと、落ち着いて……!」
もうっ、どうしてこの人を呼んだんだよ、母親。まだ、店長が満足に話もできていない状態で、なんだか調子が狂ってきている。
「いやいや、人類皆兄弟! 結衣の知り合いは俺の知り合い! そんな風にしてだな、どんどん人脈を広げないと、今はやっていけないんだ。いやーっ、神崎さんのお店もそうじゃないですか? どこも経営は苦しいですよね〜!」
店長の顔からは、すっかり血の気が引いていた。ここに案内したときには、少しは営業スマイルができていたのに、今ではそれもどこかに吹き飛んでしまってる。
もちろん、両親にも口を挟めるはずがない。兄は我が家で最強な存在なのだ。彼の話を遮ることができる人間はなかなかいない。
「あーっ、そうそう! 母さん、これが電話で話してた和菓子。お得意さんのお気に入りでさ、いつも手土産はコレって決めてるんだ! 言ってたとおり、緑茶にしてくれたよね? さ、すぐに取り分けるよ」
ヨモギ色の包み紙、それを見た瞬間にすっごく悪い予感がした。
「これ、『春風堂』っていう老舗和菓子屋の商品なんですよ。近頃、すごく人気らしくて。今日は結衣にお客さんが来るって聞いたから、早起きして並んで買ってきました! 神崎さんもまずはおひとつどうぞ、上手すぎて腰が抜けますよ! 特にこれは花をモチーフにした創作菓子で――」
……や、やっぱり。
白いカラーの花を象った練りきり。これはまさしく「春風堂」の若手職人である中西さんの作品だ。店長の顔色もわかりやすく変わる。
「コレを作った職人、すごく腕がいいんですよ! ほらほら、遠慮しないでひとくちどうぞ! ……もしかして、ケーキ屋だから和菓子は嫌いとか言いませんよね? そんな無粋な真似をしたら困りますよ〜」
続いて兄は、私にも話を向ける。
「結衣、神崎さんが遠慮しているから、まずはお前が食べろよ。お前、昔から団子とかどら焼きとか、和菓子派だったよな〜クリームよりもあんこの方がいいって言ってたじゃん。ケーキなんて、食べ飽きてるだろ? でも、これは上手いぞっ! ……ああ、こっちのオレンジの方が上手そうか。これもいいよな〜いかにも女子が喜びそうな感じ。この職人、女心をよくわかってるよなあ〜」
「……ケーキより、和菓子だと……?」
店長が私にしか聞こえない声でぼそっと呟く。
「あっ、いいえ! それって、すんごく小さい頃の話ですからっ。気にしないでくださいって!」
「なにを言う、三つ子の魂百までと言われているじゃないか。そんな話、初めて聞いたぞ。いったい、どういうつもりだ!?」
「だからっ、その、誤解ですって……!」
いや〜ん、どうしていきなり険悪なムード!?
額に青筋を立てた店長、鬼のように恐ろしい顔でやおら立ち上がる。
「すみませんっ、ちょっとキッチンを貸していただけますか? 材料も勝手に使わせてもらいます」
な、なにを言い出すの、店長。母親、半端なく驚いちゃってるよ!
「……え、それは構いませんが……いったいどういう――」
「ここにある和菓子が腰が抜けるほど美味しいのなら、私はこれから、腰が抜けて二度と立ち上がれないくらい美味しいケーキを作って見せます!」
……って、違うでしょうっ! なんで、人の家に来て、いきなりっ!
「て、店長……じゃなくて、竜也さん! あのっ、とにかく落ち着いて――」
「結衣、エプロンを貸せ。そして、お前も手伝え!」
ぎゃあああっ、全然聞いてないし! 怒りの紫色のオーラが全身を覆ってるし! ど、どうするんだよ、この人っ……!
「結衣〜ずいぶんと威勢のいいお客さんだね。和菓子の次はケーキか、品変わりになっていいじゃん」
お兄ちゃんもっ、そういう問題じゃないし!
早くもキッチンではがちゃがちゃと泡立て器をかき混ぜる音がしている。殺気立った背中を見ながら、呆然としている両親。どんどん冷めていくお茶、テーブルに並んだ和菓子。
そして――完全に忘れ去られている、手土産のホールケーキたち。
「砂糖を計れ、それが終わったら小麦粉をふるえ。それからオーブンを180度に設定だ、――いや、家庭用だから、一度200度まで上げた方がいいか」
――駄目だ、もうこれ以上は制御不可能……
「もうっ、食べるものは充分すぎるくらいあるのに、まだ作るって言うんだからなあ……」
今日一日は仕事のことを忘れてくれるのかと思ったのに、そうも行かなかったらしい。
言っとくけど、ウチの家族って、私以外はみんな普通の胃袋なんだよ? ケーキは一度に一個で充分、どんなに頑張ったって二個か三個が限界だ。そこんとこをわかってくれないと、かなり困るんだけどな。結局私がぜんぶ食べることになっちゃう。
「……でさー、そのときの取引先の部長が傑作で〜」
フル稼働のキッチンを背に、兄は両親に自分の武勇伝を延々披露中。本当にこの人、なんのために戻ってきたんだか。
「結衣っ、ぼやぼやするな! 次は型にバターを塗れ!」
「……はぁい……」
ま、いいや、自然体が一番だよね。妙にかしこまってる店長っていうのも、なんか違うし。
相変わらず凛々しい横顔を盗み見て、やっぱ私はこの人が一番好きだなとしみじみ思った。
つづく♪ (120831)