翌日、月曜日。
私は仮病を使って店を休み、とある場所を目指していた。
「果たし状」――あまりにもレトロで現実性もなく、正直今までの人生で一度もお目に掛かったことのない代物。はっきりいって、時代劇ファンタジーの中にしか登場しないブツだと思っていた。
しかし、それが何故か二十一世紀を生きる私の手元に。忙しい花華さんが風のように引き上げていったあと、私は恐る恐る中を開いてみた。
そこにあったのは、今日の日付と九時半という指定時刻。それから住所と手書きのQRコードもどきだった。もちろん、それっぽく書かれているものの、QRコードは読み取り不可能。どうしてこんなものをわざわざ添えてきたのかは不明だ。
それより、なにより。
殴りつけたように書かれた墨文字からは、並々ならぬ敵意を感じた。差出人は「神崎藏之介・都子」となっている。たぶん、これが店長のご両親のお名前なのだろう。
「どこからどう見ても、物騒な感じだよな……」
あの花華さんと店長のご両親だ、普通であることの方がおかしい。一癖も二癖もあって当然だ。もしかしたら、十癖くらいあるかも知れない。
そうは思っていたものの、コレはないだろう、コレは。
あまりの恐ろしさに、店長に相談することもできなかった。もともと、実家にはあまり寄りつかない人だ、きっとそれにも相応の理由があるのだろうと推察できる。
……そりゃあね。
親子の確執なんてありがちのことだけど、コミュニケーションスキルの欠落している店長とその親御さんのバトルを想像したら、ちょっとやそっとでは済まない気がする。自分が原因でそんな騒動になるのは……さすがに気が引けた。
となれば、ここは私がひとりで身体を張ってどうにかするしかないでしょう。
これからの人生、店長を支えてふたりで歩いていくと決めたんだから、双方の実家とのことも上手く舵取りをしていかなくちゃ。最初からすべてが上手くいくとは思ってはいない、それでも時間をかけてじっくりと歩み寄れば、いつかは良好な関係を築けるかも知れない。
――たぶん、これも愛のなせる技だよな。
そう思ったら、ぼぼぼっと顔が熱くなった。気合いを入れて朝ご飯を五割り増しにしたから、胃袋を始め消化器系がフル稼働しているのかも。「腹が減っては戦ができぬ」って言うしね、そうじゃなくても空腹は私にとって死活問題。肝心なところで栄養失調で倒れたらしゃれにもならない。
最寄りの駅を出て、歩くこと十数分。
商店街を過ぎると、閑静な住宅地に入っていった。どの家も庭が広めでゆったりとした雰囲気。中には庭先を畑にして家庭菜園をやっている家もある。
「ふうん、……いかにも昔ながらのって雰囲気だな」
そんなことを考えつつ、ずんずんと進んでいく。スマホの地図アプリによると、指定の住所まではとにかく真っ直ぐ真っ直ぐ、どこまでも直線に続いている。いくらなんでもいつかは曲がり角が来るだろうと思うのに、道はどこまでもどこまでも突き進んでいるのだ。
そして、どれくらい歩いただろう。とうとう、目の前に大きな建物が立ちはだかった。
「ええと……これは、お寺……?」
いや、違う。だって、鐘突堂とかないし。どちらかというと、お城に近い。瓦屋根で段々重ねの三階建て、その上に天守閣っぽいのも見える。白塗りの壁がいかにもそれっぽく思えた。
しまった、どこかで道を間違えたのだろうか。
一度はそう思ったものの、アプリはしっかりと目的地だと言っている。
「で、でも……さすがにこれは」
巨大な門構えを見上げる。すると、そこには大きく「神崎」という表札が掛かっていた。
これがあの、べたべたに洋物っぽい姉弟の実家!? いやはや、まさかそんな。
想像を遙かに超えた展開に心底戸惑っていると、天からの声が聞こえた。
『お前が、田村結衣か?』
野太い、男性のものだ。
私は飛び上がらんばかりに驚いて、声のした方を見上げた。まさしくそこには天狗が……座っているわけはなく、大型の拡張マイクが仕掛けられている。
『逃げ出さずに良く来たな、その心意気だけは認めよう』
ぎぎぎっと鈍い音を立てて、目の前の木製の門が左右に開く。すごい、これって電動だったのか。なんなの、この仕様。レトロなのか最新鋭なのか、さっぱりわからない。
『入れ』
有無を言わせぬ声に、足が勝手に前に進む。威圧的な物言いには逆らってはいけない。店長の下で働き出して早一年、いつの間にかそれが私の日常になっていた。だからこれは、条件反射。
敷地内に入ると、背後でばたんと門が閉まる。
「……え……」
あっという間に逃げ道がなくなった私の目に映ったのは、壮大な日本庭園と巨大な家、もしくは城に向かって続く石畳の道だった。
「これって……先に進めってことなんだろうなあ」
私の前に道がある、そして私の後ろにはすでに道がない。そうなったら、ほかに選択肢はないのだ。
「えっとーっ、……それではお邪魔しま〜す……」
人っ子ひとりいない広い庭は、外界とは遮断されたようにひっそり静まりかえっている。庭中に張り巡らされた遣り水がしょぼしょぼと音を立てて流れているのが、妙に大きく聞こえるほどに。
やっぱり、ひとりきりで乗り込むのは無謀だったか。
……いやいや、これしきのことで怯えていてどうするの。店長のご両親は、近い将来に私の家族になる人たちだ。たぶん、今の私は全然歓迎されていないけど、少しずつでも信用を取り付けてうち解けていかなくちゃ。
玄関口までは門から五十メートルほど。私はわざと大股で進んでいった。
大丈夫、怖くない。何度もそう自分に言い聞かせるけど、そのたびに心臓は激しく暴れる。
こんなことなら、花華さんにもうちょっと詳しく聞いておくんだった。ご両親の人となりとか、ご機嫌の取り方とか、絶対に踏んではいけない地雷とか。下調べもなにもなく乗り込むのは無謀だったのだろうか。
玄関扉も、やはり木製の両開きだった。私が前に立つと、それが左右に割れて開いていく。その奥から、着物姿の女性が現れた。
「ようこそ、いらっしゃいました。我が館へ」
おっとりとした、優雅な声。
そのたたずまいに、私はごくりと唾を飲む。そして、その女性がこちらに向き直ったとき、私はすべてを悟った。
反射的に、九十度の礼をする。
「はっ、はじめまして! 私っ、田村結衣と申します!」
ピカピカに磨き込まれた石造りの三和土(たたき)を見つめながら、私は叫んでいた。
「そ、そのっ! このたびは、お招きありがとうございます!」
「まあまあ、……元気のいいお嬢さんですこと」
私は恐る恐る向き直る。そして、目の前の女性の顔を改めて見た。
――に、似てる……!
彫りが深くて艶やかな顔立ち、はっきりとした性格が表れる目元。すごい、店長と花華さんの面影がばっちり現れている。ということは……この方は。
「わたくし、竜也の母で都子と申します。ささ、どうぞお上がりください」
やっぱり、ビンゴだった。というか、この状況で見誤る人間がいるとしたらその方がすごいか。
この方が……店長と花華さんのお母さん。
すごいなあ、パステルカラーが何色も入り交じった着物地にはキンキラキンの花びらが無数に舞っている。よくよく見ると、アップにまとめられた髪にもメイクをがっつり施した目尻にもラメがキラキラ。あまりのまぶしさに、直視するのも躊躇われてしまうほどだ。
「そっ、それではっ! 遠慮なく……」
靴は前向きのまま脱いで玄関に上がり、そのあと家人に真後ろにお尻を向けないように斜めに屈んで靴の向きを変え、靴箱側の隅に寄せる。
良かった、昨夜一夜漬けの気合いでマナー本を読んだのが、早速役立った。そうだよね、あらかじめ身についていないことを突貫工事でっていうのも気が引けるけど、とにかくは少しでも好印象を与えておかなくちゃ。
店長のご両親は、私に対してあまり良い印象を持っていないと思う。
さすがに半同棲していることまでは知らないと思うけど、そもそもおふたりは志保里ちゃんが大のお気に入りだったっていうからね。あとから割り込んできた私が邪魔者扱いされても仕方ない。
私と出会う前の店長のことについて、あれこれ悩んだって仕方ない。必要なのはいつだって、今とこれから。それに、店長だって私のことを必要としてくれてるんだから。
今日のところはご両親の心情を考慮して外してきたけど、約束の指輪だってちゃあんともらったし! それにきちんと(?)プロポーズだってされてるもんね。
靴を直して向き直るまでの間、キラキラのお母さんは私の頭のてっぺんから足の先までじーっと観察していた。全身をスキャンされているみたいな気分になって、なんとも落ち着かない。
それに店長と花華さんのお母さんだけあって、当然ながらすらりと長身で私よりもずーっと背が高いんだ。つむじのあたりにじわじわと視線を感じるのって、あまり気持ちいいことではない。
「……なんだか、当たり前のお嬢さんねえ」
「え?」
「いえいえ、なんでもありませんから。ひとりごとです」
ば、ばっちり聞こえてましたが。ものすごーく、トゲのある言葉だったよ。
でも、お母さんはなにもなかったように微笑んでいるし、そうなればこれ以上突っ込むこともできない。
「では、奥にどうぞ。主人が待っておりますわ」
おおうーっ、とうとうラスボス、もとい藏之介さんの登場だ! お母さんがここまでグレイトなんだから、お父さんはどんだけなんだろう。怖いけど、恐ろしいけど、……やっぱちょっと興味ある。
はやる気持ちを抑えつつ、いそいそと和装美人のあとに続く。すると彼女は意味深な言葉を発した。
「……無事にたどり着ければ、ですけど」
次の瞬間、がたんと足下が落ちる。
「えええっ! ……嘘っ……!」
気づいたら目の前が真っ暗。私の叫びは暗闇に吸い込まれていった。
つづく♪ (130329)