TopNovel仕上げに・扉>お初にお目にかかります。・6

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 おしりにどーんと衝撃が走り、次の瞬間にむにゅむにゅした感触に抱き留められていた。
  なんだろう、これは。柔らかすぎるマットレスってところかな。とにかく落下地点には怪我をしない程度の対策が取られていたらしい。
  なんだか、恩情を掛けられてホッとしたり。そりゃ、前置きもなくいきなり落とし穴に引っかけるあたりからして、悪意ドロドロだとは思うけど。
  それにしても。
  どのくらい落ちたのだろうか。あたりが真っ暗闇でなにも見えない。どうしよう、灯りらしきものもどこにも見当たらないし……
「そうだ!」
  私は、バッグの中をごそごそして、携帯を取り出した。そして待ち受け画面を立ち上げる。
  そうそう、これだよこれ。
  緊急の灯りとして結構役に立つ、現代の必需品。今朝、ちゃんと満タンに充電してきたから、しばらくは保つはずだ。……って、ここは圏外じゃん。電波も届かないんじゃ、助けも呼べない。
「結局は、ひとりきりでどうにかしろってことか」
  とはいえ、武家屋敷の地下に閉じこめられて、これからどうしろっていうんだろうか。
  いきなり緊張の糸がぷっつり切れて、しばらくは呆然としていた。なにしろ、ずっと気負ってたからな。そう遠くない時期に訪れると思っていた、店長のご両親との顔合わせ。こんなに早く機会が訪れるならそれに越したことはないと思いつつも、昨日からものすごく緊張していた。
  食事も普段の三分の一くらいになってたし(それでも普通の人の一人前よりは多い)、夜もなかなか寝付けなかったんだもの(普段は三秒で寝付けるから、これも……以下同文)。
  ――このまま、少し休んでいようかな……。
  そう思ったとたん、おなかがグーと鳴った。
  しまった、緊張が解けた瞬間に、腹の虫も目を覚ましてしまったか。こうしちゃいられない、どうにかして早いところ出口を見つけなくちゃ……!
  人の何倍も食べないと満腹にならない私は、人の何倍もおなかが空くのが早い。まだ大丈夫と思っているうちにどんどん体力が落ちてきて、気がついたときにはかなりヤバくなっていたり。過去に救急車騒ぎを両手で足りないくらい起こしている張本人としては、否が応でも慎重になってしまう。
  そのためにバッグにはいつも非常用の食料を……って、今日に限ってなにも入ってない! このおしゃれバッグ、ちっちゃくてなにも入らないんだもの。でも不覚、食料だけはなにがどうしても常備しなくちゃ駄目だったのに……!
  食べるものがなにもない。そう思った途端に、ふたたびおなかがグーと鳴った。
  ――どっ、どうしよう……。
  私のおなかが鳴り出すのは、満腹メーターが30%を切った頃から。まだまだ三割弱の余裕があると思うなかれ、ここからが崖っぷちの正念場なのだ。
「どっ、どこかに出口……」
  店長のご両親が、私の生態についてどこまで把握しているかはしらない。普段生活を共にしている仲間にだって、深いところまで考えずに「ただ食い意地が張っている人間」と認識されてしまうことが多いのだから。
「出口……もしくは、なにか美味しいもの……」
  さらに私が困ったちゃんなのは、今まで再三にわたり説明したとおり、自分の舌が認めた本当に美味しいものを口にしないとおなかが膨れないという点にある。
  なにがなんでも空腹を満たせばいいのなら、最後の手段で、今おしりの下に敷いているウレタンを食べてその場をしのいでもいい。たぶんあとから大変になるとは思うけど、空腹で死ぬよりはずっとマシだと思う。
  どっちに行ったらいいんだ、右も左も真っ暗。進行方向に目を凝らしても、後ろを振り返っても、なにも見えない。
「うーん、とにかくは奥に進むか」
  モコモコのウレタンっぽいものは、とにかく歩きにくい。立ち上がろうとすると足下がおぼつかないため、仕方なく四つんばいに這って進むことにした。私が手足をかきながら進むと、ごそごそむきゅむきゅと不思議な音があたりに響き渡る。
  そんな風にしてしばらく進んでいるうちに、私はあることに気づいた。
  天井がだんだん低くなってきている、あるいは私がだんだん上に登ってきている。最初は立ち上がっても支障がないほどだったのが、今では四つんばいで首を上げると頭が天井をかすめるほど。
「これは……もしかして」
  私の心に、一筋の光が差し込んできた。
  天井に手が届く、ということはこの先は暗闇じゃないどこかに繋がっているのかも知れない。
  そう思って、まずは頭と背中でぐーっと押してみた。でも、びくともしない。次はひっくり返って手を使ってみた、両足で蹴り上げてみた。やっぱり、無理だ。
  そりゃ、天井がそんなに簡単に抜けたら変だけど、ここはからくり屋敷なんだからなんでもアリな気がする。だから手を変え場所を変え、何度か同じことを繰り返してみた。
「……だっ、駄目だ」
  世の中はそんなに甘くなかったらしい。しばらくして、私は肩でぜいぜいと息をしながら、さらにバテバテになっていた。ただですら、警戒水位まで落ち込んでいた胃袋。なにか栄養物を取り込めないかと、きゅーっと収縮する。
「痛たたたたっ……苦しいよう……」
  精も根も尽き果てた私が、おなかを抱えてうずくまったとき。頭上から、ミシッミシッとなにかを踏みしめる音が聞こえてきた。
  足音? 上に誰かいるの……!?
「……ちょっ、ちょっとおっ! 誰っ、誰なのっ!? 出してっ、ここから出して! それが無理なら、なにか食べるものを――」
  もしかしたら、この上にいるのは私の「敵」かも知れない。でも、そんなことは、この際関係ない。同情するなら、飯をくれ。ともかく、私は命を繋がなければならない。
「ごはんっ、なにか食べるものっ! そうしないと、死んじゃう! 私は死んじゃうのっ、マジで!」
「……結衣?」
  遠く、遙か遠くから声がする。天上から降り注ぐ、それはもしかして「神様」の声……?
「えっ、……私ってもしかして、もう死んじゃったの……?」
  そんな馬鹿な、簡単にくたばってなるものか。だけど、そう言いきれるだけの自信が今はない。
「……結衣? なんで、そんなところにいるんだ。早く出てこい」
  ふたたび、声を掛けられる。
「……え?」
  でもっ、この声は知ってる。忘れるはずがない。この声の主は、私の生命維持のためになくてはならない存在。私のおなかをたっぷり膨らませる、美味しいケーキを作ってくれる人だ。
「てっ、……店長???」
「なにを潜ってる、そんなことしてたって仕方ないだろ」
「好きでこんなことしてるんじゃないですよっ、気がついたら落っこちてたんです! もうっ、こっちは出られなくて困ってるんですから。どーにかしてくださいって!」
  私は最後の力を振り絞って叫ぶ。ああ駄目、マジで目眩がしてきた。
「……なんだ、それは」
「とにかく出して!」
  そのまま、ふーっと気が遠くなりそうになる。それと同じ瞬間、バリバリと天井がはがれた。目の前がぱーと明るくなる。眩しすぎて、目が痛い。
「……」
  しばらくは、ふたりで呆然と見つめ合う。ちなみに店長は、いつもの仕事着だった。さすがに帽子は被ってないけど。相変わらず、憎ったらしいくらい整った、完璧に綺麗な顔だ。
「まさか、こんなところから登場とは。さすがに面食らったな」
「そっ、それはこっちの台詞です!」
  心底呆れて人のことを馬鹿にしたような表情をしているけど、とりあえずは救出してくれる気があるらしい。店長は死のそこねの蛙のように仰向けにひっくり返ったままだった私の手を取ると、ぐいっと引っ張ってくれた。
「いったい、どうなってるんですかっ! この家って、落とし穴があるんですよ。私、それで落っこちたんですから!」
  実家がそんな危険な場所なら、前もって教えてくれてたって良かったのに。そりゃ、聞かなかった私も悪いけど。これはさすがに常識の域を超えていると思う。
「この家がどうなっているかなんて、俺は知らん」
「はあっ!?」
「少なくとも、つい最近戻ったときにはここまですごくはなかった。あれから大規模な改装をしたに違いない」
  私たちは殺風景な板の間に向き合って座り込んでいた。店長は腕を組んで、ふむふむと頷いている。
「たぶん、お前を迎え入れるためにこんな風にしたんだろう。ウチの両親は見栄っ張りだからな」
「みっ、見栄っ!? そういう問題じゃないと思いますけど――」
  そこで、私のおなかがグーっと自己主張した。あああ、そろそろ限界だ。
「店長、おなかが空きました。なにか食べるものをください」
「それは無理だ」
  彼はあっさりとそう言いきると、いつもどおり偉そうにふんぞり返っている。
「俺は今、自分がどこにいるかがわからない」
「はあっ!?」
「勝手のわからない改装したての実家で、裏口から忍び込んだら迷ってしまった。そしてぐるぐると歩き回っているうちにここまで来たんだ」
  ――それって、全然駄目じゃん。
  がっくりと肩を落としてから、私はハッとする。
「あっ、あのっ! 店長はなんでこんなところにいるんですかっ。お店はっ!? まだお昼前なのに――」
「ああ、今朝店にこれが届いた。だから、ミズエさんに店番を頼んで抜け出してきたんだ」
  仕事着のポケットから取り出された白い封筒、じゃなくてそれとほぼ同じ大きさに四角く畳まれた、たぶん半紙。そこの中央には艶々の墨文字で、大きく「脅迫状」と書かれていた。

   

つづく♪ (130703)

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