レシピ  
お豆紹介 ―在来種はクセのある変わり者
 在来種を人間にたとえると「個性的で、クセのある強い気難しい変わり者。でもちょっとやそっとではへこたれないサバイバルに長けるつわもの」でしょうか。つづく



遠軽町近郊で農業暦40∼50年以上のベテラン農家が、毎年毎年だいじに在来種の種をとり、豆をつくり続けています。

 

在来種
発掘プロジェクト

在来種がなくなる?
  こうしたその土地その土地で、長年はぐくまれてきた食文化とともに残念ながら、在来種は絶滅の危機に瀕しています。昭和30年代からはじまった高度経済成長という大量生産大量消費の波に飲み込まれ、均一性があり見栄えがよく、さらに収量もあるF1品種の作物にとってかわったからです。現在では、ごく一部の農家がごく少量を自家用として食べる分だけつくり、そして残ったのを地元の収穫祭、道の駅で売っている程度です。

 そんなことから、こんなプロジェクトを立ち上げ日本各地に眠る在来種の豆をはじめ、さまざまな作物を発掘し紹介するととも、在来種をつくり育ててきた人たちを取材し、大切にはぐくんできた暮らしを紹介していきます。

「わたしは、こんな在来種をつくっている」あるいは「つくっている人を知っている」という方、ぜひご連絡ください。

お名前、送り先ご住所、お電話番号、E-mailアドレス、年齢、そして在来種の品種や詳細など、を教えてください。
送信ご応募してください。
または、Fax送信用紙をプリントアウト、空欄をうめてFaxしてください。

 

豆物語
 2006年11月にできたばかりの栽培用お豆がついているブックレット「豆物語」をちょっとだけ公開!

 

なつかしの味
発掘プロジェクト

 地方には「なつかしの味」がまだまだ残っています。日本各地に眠るなつかしの味を掘り起こし、地方の食べものサミットを開催し、つくり手との交流を深めていきます。

「ここの地方ではこの野菜をこういうふうに使ってきた」「我が家で食べている郷土料理」「○○ばあさんのつくる○○はおいしい」「むかし行事に(お正月、冠婚葬祭など)こんな料理をつくっていた」など、ぜひ教えてください。

お名前、送り先ご住所、お電話番号、E-mailアドレス、年齢、そしてなつかしの味の名前やつくり方など、書き込み
送信ご応募してください。
または、Fax送信用紙をプリントアウト、空欄をうめてFaxしてください。

 

在来種に
魅せられて

―在来種はクセのある変わり者
 在来種を人間にたとえると「個性的で、クセのある強い気難しい変わり者。でもちょっとやそっとではへこたれないサバイバルに長けるつわもの」でしょうか。 かたちや味からして、F1品種のようにきれいで淡白でなく、記憶のなかにしっかり刻印されるような個性的な作物なのです。というのも、何世代にもわたって選抜淘汰を繰り返し、数十年という歳月をかけてその土地の風土に適応していくため、自らを変容して生き残ってきたたくましさに満ち溢れているからなのです。

ー売り手の思惑で消滅の危機にある幻の在来種

 代々農家は昭和30年の半ばくらいまでは、自家採取で種を取り、作物をつくってきました。それが高度経済成長のなかで、経済性や効率性が最優先され、つくりやすく、収量もあるF1品種にとってかわり、在来種は急速につくられなくなっていきました。在来種は不揃い、収量に欠ける、機械化に向かないなどの理由で、どんどん脇役に追いやられ、豆についていえば「雑豆」という最低ランクで扱われ、地域に出回っていた在来種は消滅の一途をたどっています。残念ながら今もこうした状況は変わりません。見逃してならないのは、すべてとはいえないまでも、食べる側からでなく、売り手の思惑で姿を消してしまったという背景があります。

―父 長谷川清繁 25年ぶりに貝豆と出会う

 ところが、消滅の危機にある在来種は一般市場には出てこなくなった一方で、農家の畑の片隅でひっそりと生き延びていました。というのも、在来種の味を知っている60代以上の農家は、そのおいしさに品種改良されたF1では満足できず、自家用につくっていたのです。父 長谷川清繁も在来種の味を知るひとりで、平成10年頃遠軽町美山の田口茂さんを訪ねたとき出された煮豆が、なんとむかし好きだった在来種の貝豆だったのです。田口さんからその種を1kgほどもらい、25年ぶりのなつかしい味に突き動かされるように、貝豆をほかの農家にもつくってもらおうと少しずつ自家用ほどの作付けをお願いし、合わせてようやく1トン以上の収量に達しました。

―在来種に魅せられて

 そんななか、1990年より伊勢丹相模原店遠軽物産展に出店することになったため、家業の手伝いにかり出され、在来種の豆と再会するわけです。遠軽にいたときはまったく眼中なかったその在来種の豆に今度はすっかり魅せられてしまったのです。そのとき出品した在来種の「前川金時」が、ホクホクして荷崩れしにくいと好評で、毎年確実にファンを増やしていったこともあり、販路を広めるべく2001年、横浜で会社を設立し、その後、遠軽と横浜の二重生活がはじまります。
遠軽では、もっぱら父と農家をまわっているのですが、見たこともない豆の数々に驚きとともに、宝石のような美しさに見とれてしまいました。そして味も一般の豆よりしっかりしていて確かに記憶に残る味わいなのです。もともと、祖父の代から50年以上もつきあいのある60〜80代の農家では、たいてい自家用に豆をつくっており、その多くが在来種の豆でした。農家のはなしきくと、お米がなかった頃ご飯といっしょに炊いたり、親戚がきたとき、冠婚葬祭、お祭りなど地元の行事に在来種の豆を煮ては、くばったということです。そんなふうに在来種はその土地の食に深く根ざしていたものでした。

―おいしいからつくる、食べたいからつくる

 在来種は99%自家用です。「おいしいから」「あの味が好きだから」、ただそれだけの理由で何十年も作られてきた在来種こそ、作物本来の豊かな味わいと生命力にあふれた本物の作物ではないでしょうか。個性豊な在来種がなくなるのは、寂しいことです。現在なかばかやの外に置き去りにされた在来種こそ、ほんとうの食の豊かさと信頼を勝ち取れる作物といえるはずです。命をはぐくむ在来種に未来を託して・・・・。

べにや長谷川商店 長谷川清美

 

在来種の豆   べにや長谷川商店