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与えられたこの生涯  〜第1回〜                    島 隆三
(神よ)御覧下さい、与えられたこの生涯は
    僅か、手の幅ほどのもの。
    御前には、この人生も無に等しいのです。(旧約聖書 詩編39編より)

大学を卒業して40年と聞いて驚いた。いつのまにか自分もそんな歳になってしまったのだ。理学部本館から道路一本を隔てた金研の薄暗い研究室で、高周波誘導炉を用いて鉄を熔かしていたのも40年の昔であったのだと感慨深いものがある。あの頃、私はとても迷っていた。修士課程に進んだものの、この先自分の人生をどう生きれば良いのか見えてこなかった。研究についても暗中模索の状態であった。逆にいえば、それまでが余りに迷いの足りない能天気な生き方であったとも言える。
       
 実験はうまく行かないし、研究に意義を見出せず、といって自分で新しい研究のテーマを見出すほどの力もなかった。その頃、先輩のYさんが金研の一室におられたが、しばしば勉強の邪魔をして話を聞かせてもらった。今も忘れないのは、誰かの職業論を紹介してくださったことである。それは簡単に言えばこんな話であった。 

 職業には、Occupation, Profession, Devotion の3つがある。第一は誰でもやれる仕事、第二は専門職、第三は自分のすべてを捧げるに足る仕事。大学を卒業してOccupationでもないだろうが、第二で行くか、第三で行くか、そこは思案のしどころだ。生きるための専門職と割り切っていくか、それとも自分のすべてを捧げ、そこに没頭しても良い仕事を見出すか、よくよく考える価値がある、と。

 実は、私が理学部に進んで一年も経たない冬二月に、子供の頃から通っていた教会の牧師が突然他界した。これは私たちにとって大きなショックであった。その葬儀で、東京から駆けつけてきたO牧師が、「誰かこの中に他界したI牧師の後を受けて伝道者になる者はいないか」と叫んだのである。その声は今も耳朶に残っているが、私は自分などとてもそんな大それたことはできないと思っていた。しかし、それからもずっとその声は心の中にあった。金研のYさんに話を聞かせてもらっていた頃も、お前がすべてを捧げる仕事は牧師になることではないかという声は内に聞こえていたのである。しかし、私はその声を打ち消して、仙台に行った。その声に素直に従って、大学院を中退してでも神学校に進んでいたら、私の人生はもう少し違っていたかもしれない。

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