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―「使徒パウロ」ゆかりの地探訪の旅・歌日記(1) 2003年5月―

第1日目 5月14日(水)

日本からトルコへ移動、イスタンブール泊。

第2日目 5月15日(木)

イスタンブール〜トロアス〜アソス泊
【トロアス】
召し受けて使徒ら船出しエーゲ海一目見んと遺跡よじ登る

マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。わたしたちはトロアスから船出して・・・(使徒言行録16・10-11)

イスタンブール観光は無し。マルマラ海岸(ヨーロッパ側)を走り、チャナッカレ海峡(ダーダネルス海峡)をカーフェリーで渡り、バスはひたすら田舎道を走ってゆき、ようやく古代アレクサンドリア・トロアス(紀元前3世紀に建設)跡に辿り着きました。
 パウロの第2回伝道旅行を伝えている使徒言行録16章に耳を傾け、聖歌「とおきくにや」を賛美。安田先生が、高いところに登って「おーい、みんなー、エーゲ海が見えるよーー」と言うので、「私も見たい! うんこらしょっ」とよじ登り、茂みの向こうにかすかに見える水平線を確認したのでした。「召し」とは使徒言行録16章のヨーロッパ伝道のことを指しています。
 パウロは、第3回伝道旅行の帰りにトロアスに寄っています。パウロの説教中、エウティコという青年が窓から落ちて死んでしまいましたが、パウロが祈ると生き返った、という出来事がありました(使徒20・7以下)。パウロはトロアスにコートを忘れたそうで、テモテに持ってきてくれるよう頼んでいます(テモテ二 4・13)。親近感を感じますね。
 港町トロアスは、地震と海岸の堆積により衰退しました。


【アソスへ向かうバスの迷ったとき】

迷い道黄金(こがね)着飾るえにしだをパウロも眺め慰められしか

トロアスを後にして、宿泊先のアソスへ向かうはずでしたが、分岐を間違えて、半島の先の町に出てしまいました。走った道では「えにしだ」(詩編120・4)の花が輝くように美しく咲いていました。凹凸があったためか、ずいぶん揺れて、ジェットコースターに載っているようでした。 バスは引き返して、無事アソスのホテルに到着しました。
 使徒言行録に、パウロは同行者たちをトロアスから船出させ、自分は徒歩でアソスに向かったとあります(使徒20・13)。五旬祭(今のペンテコステに相当)には彼はエルサレムに着いていたかった(同20・16)ので、彼の徒歩旅行は今回の旅の時期(5月半ば)と重なったかも。それならば、このような美しいえにしだの花を見たかもしれないなぁと思いました。

第3日目 5月16日(金)

アソス〜ペルガモン〜ティアティラ〜イズミール

【アソスの丘よりギリシャ領・ミティレネの島を眺めて】

目に見えぬ隔ての壁あり空の下島臨む丘国旗はためく

アソスでパウロと落ち合ったので、わたしたちは彼を船に乗せてミティレネに着いた。(使徒言行録20・14)

アソスではBC六世紀に神殿建立。朝一番で、アクロポリスを見学、海の向こうの島を眺めていたところ、 トルコとギリシャは仲が良くないと聞きました。こんなに近いのに・・・。船の旅もいつかしてみたいです。横山先生は船酔いしないそうです。


【ペルガモン・アクロポリス】

純白の列柱そびゆペルガモン マラナ・タ捧ぐ主知りたもう

わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。(ヨハネの黙示録2・13)

ペルガモンはヨハネの黙示録の七つの教会の一つです。この町のアクロポリスはギリシャ神話の神々の神殿や祭壇がひしめいていた丘でした(写真はトラヤヌス神殿)。こういうところでキリスト者として生きるとは、どういうことであったのか、思いをはせました。自然の傾斜を利用した急勾配の大劇場跡で聖歌「汚れと争いは」を賛美。マラナ・タは「主よ、来てください」と言う意味です。

【ペルガモン・アスクレピオン】

「大胆に語れ」と告げる師の声は地下道満たし心奮わす

アクロポリスを下って少し離れたところに“古代の総合医療センター”アスクレピオンの遺跡があります。写真は地下道で、治療棟に続いています。地下道の天井にある穴に地上から声をかけると、地下道では静かに響く声となります。安田先生が「あなたはいい牧師になる・・」と、声をかけてくださり、素晴らしい声に包まれて、すっかりその気になりました?! 
 こういう心理療法もあったり、温泉治療もあったり、観劇も治療だったり、古代の医療でも現代に通じるものがあります。感心してしまいます。


【ティアティラ】
日常にそっと寄り添う古代遺跡 散歩する犬はトルコ語で哭く

ティアティラの遺跡は、アヒクサールという街中にあります。アパートが立ち並ぶ住宅街と商店街に公園のように柵に囲まれていました。入場料が必要ですから、柵の中はひっそり、外は人々でにぎやか、その対照がおもしろかったです。遺跡はローマ時代のもの、ビザンチン時代の教会跡がありました。解説を聞いているところで、子犬がトットコ入ってきて、体格の良いおじさんが勝手に散歩させている様子。なんか鳴き声が違うように聞こえたんですね。
 ティアティラはヨハネの黙示録の七つの教会の一つ(黙示録2・18以下)。紫布商人リディア(使徒16・14)の出身地でもあります。ヨハネの黙示録2:18-29のティアティラの教会への手紙がキリストを「目は燃え盛る炎のようで」としているのは、この町の守護神は太陽神であったことに関し、「足はしんちゅうのように輝いている神の子」は、この地の銅細工人組合に関する表現から来ているということです。なるほど。


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