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イズミール(スミルナ)〜主日礼拝〜サルディス〜フィラデルフィア〜ラオデキア〜パムッカレ泊
【イズミール アゴラ遺跡】
発掘と復元進むアゴラにて新たに知るは隅の親石
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』(マルコ12・10)
主の日ですが、まずスミルナ(イズミール)の遺跡を見学しました。小アジアの七つの教会の一つ(黙1:11、2:8-11)です。ローマ時代を通じて、この町はその富、神殿、初建造物、医学、神学のゆえに小アジア随一の都市であったとか。現在のトルコ第二の海港となっているイズミールで、遺跡はここだけだということです。写真の黄色矢印で隅の親石を示しています。
【イズミールのカトリック教会で主日礼拝】
「御力(みちから)は主の証人となるために」教皇(パパ)訪れし教会で聴く
説教は安田眞先生。ヨハネによる福音書から、聖霊を受けて力強く歩ませていただこうと決意した説教でした。壁画も天井画も見事な礼拝堂で、I神父より会堂様式や絵画の解説をいただき、貴重な経験となりました。
【サルディス アルテミス神殿跡 柱の礎石を見て】
礎(いしずえ)は組み合わされて堅固なり勝れる土台イエス・キリスト
イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。 (コリント 一 3・11)
サルディスも黙示録の七つの教会の一つです(黙示録3・1-6)。何と太くて大きくて高い柱であったことか! 柱に驚きましたが、神殿は相当な大きさであったと想像されます。写真の中、左側の建物はビザンチン時代の教会跡です。
【サルディス 島先生に捧げる歌】
空に映ゆ 体育館は線対称 傍らで姉は現場検証
「現場検証」とはいったいどういう意味でしょうか? 昨年、西川口教会の島両牧師と数名の方々、また他の教会の方々がトルコ・ギリシャへの旅にでかけました。そして、この復元された体育館周辺の遺跡で、島隆三先生が怪我をされました。他のメンバーも「大変だ!」と、遺跡見学どころではなくなってしまいました。昨年も参加されたKさんが、今年は落ち着いて見学をされ、昨年の事故を思い起こしていたというわけです。
いい天気でした。
【フィラデルフィア】
バラ香る教会跡のはす前でイスラムの祈りの所作を教わる
あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。(ヨハネ黙示録3・8)
フィラデルフィアも黙示録の七つの教会の一つ(黙示録3・7-13)です。七つの教会のうち、その信仰をほめられている教会です。遺跡が保存されているのは、ほんの一区画で、イスラム教の街の中にぽつんとあるように見えました。バラが植えてあってきれいに咲いていました。柱はビザンチン時代のもの。
見学の後、お向かいのモスクで、ガイドのアリさんからお祈りの仕草などを教わりました。
【ラオデキア】
朱(あか)色のリボン愛らし花ザクロ 我ら迎えん七つめの地で
目を凝らす丘にひとすじ水道管御言葉覚ゆ「生ぬるいので」
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。(ヨハネ黙示録3・16)
右の写真は、競馬場跡ということです。昔から温泉を利用していたそうで、水道管の遺跡も見ました。明日行くパムッカレもそうですが、このあたりの水は石灰成分の濃度が非常に高いので、析出しやすい、だから、水道管の内側も石灰層と言えるほど析出して水道管が詰まってしまうということでした。
ラオデキアで黙示録の七つの教会めぐりを終えることになりました。その背景を知ることができ、黙示録を新しく読むことができ感謝です。
【パムッカレ・ホテル中庭の温泉で】
足浴で旅の疲れはほぐれしが蚊の襲来のしるし残れり
パムッカレのホテルの中庭にはプールと温泉プールがあり、Kさん、Oさん、I神父と私の四人で仲良く足湯していました。なのに、私だけ蚊に腕や足を十数か所刺されました。なぜ?
日本の蚊と違うのか、何日も痕がかゆくて、まいりました。
今日は長い一日でした。
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【パムッカレ 石灰棚】
主の変容思い起こさすまばゆさに裸足の裏の痛さ忘れる
服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。(マルコ9・3)
世界遺産の一つであるパムッカレ。「綿の城」という意味だそうです。温泉が流れ出し、その石灰成分が析出して世にも不思議な光景を生み出しています。パムッカレの近くにホテルが立ち並んでいたのですが、温泉の使いすぎでパムッカレの自然が損なわれてしまったので、現在は、売店とプールだけになり、ホテルはもう少し離れたところに移転したのだそうです。パムッカレの温泉も調製して流しているようで、写真のように、水に濡れている岩の上はつるっとしていて裸足でも痛くないのですが、乾いているところもあり小石などがあるところは痛かったのでした。慎重に降り、きれいなところで、写真を撮っていただきました。天気がよくて、とてもまぶしかったです。
【コロサイの丘】
野あざみをよけつつわれら丘登る牧者導く羊の如し
(羊飼いは)自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。(ヨハネ10・4)
コロサイは、発掘はされたそうですが、遺跡は復元されていません。丘があるだけです。あざみの葉がちくっとして痛いので、肩に手を置いて一列になって登り降りしました。緑が目にまぶしかったほど、青々としていました。丘の上で聖歌「歌いつつ歩まん」を賛美しました。
「コロサイの信徒への手紙」というパウロの名による書簡が聖書にありますが、コロサイ教会を創始したのは、パウロによって救われたエパフラスとされています。
【ペルゲ遺跡】
一枚に収まり難く後ずさり パウロも見しかヘレニズム・ゲート
パウロはバルナバと共に、第一回伝道旅行でこの地に上陸しました(使徒13・13)。帰途、パウロは再び立ち寄り説教しています(同14・25)。このゲートはローマ時代の前ということですから、この街に来たパウロも見たに違いないと思うのです。
この遺跡は広くじっくり見て周れば時間がかかりそうでした。わたしたちは、手前部分の遺跡を見学しました。夾竹桃がきれいに咲いていました。
【前半の旅の感想】 着くたびに劇場浴場闘技場 昔も今も人集めおり