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週報短文

バックナンバー 2003年9月分


2003年9月28日

ハリストス正教会に聞く

 先週は水曜まで箱根で関東アシュラムが開かれ恵みの時を持ったが、木曜日は神学教育連合会の懇談会が東京で開かれ、日本ハリストス正教会の高橋保行神父の講演を聞いた。これがまた面白かった。正教会(神田のニコライ堂はご存知でしょう)とは全くといって良いほど交わりのチャンスがなく、神父の話を聞くのも今回が初めてだった。
 高橋神父によれば、正教会とは主イエスとその弟子たちの生活と教えを守りつづけてきた教会で、二千年間、その本質は少しも変わっていないという。途中でローマ・カトリックが別れ、さらにプロテスタントが別れたが、自分たちからは別れようとはしなかった。つまり、キリスト教の本流こそ我らであるという自負心がある。しかし、正教会の歴史は実に惨憺たるものがあった。古代の教会は、5つの総主教区に分かれていた(ローマ、コンスタンチノーブル、アンティオケ、アレキサンドリア、エルサレム)。その中のローマ総主教区が別れてローマ・カトリックとなり、また、イスラム教が台頭して中近東、トルコ、ギリシャを支配化に置いた。そのなかで、教会が信仰を守ることは容易ではなかった。ロシアでは20世紀初期に共産主義革命により全土が共産化され、無神論教育のなかでロシア正教会が信仰の命脈を保つ闘いを余儀なくされる。
 こういう内外の闘いの中で、正教会は頭の信仰でなく、体で体得する信仰を大切にしてきた。それ以外に教会が生き延びる道はなかったであろう。具体的には祈りである。祈りを何よりも大切にして、これをしっかり守ってきた。
 神学教育も、我々が行なっているような頭の教育ではなく、先輩について掃除、洗濯、おさんどんなど、相撲部屋の弟子入りに似ている。そのような生活を通して祈りを学んで行く。また、いわゆる神学ではなく、聖師父(優れた先達)の教えをしっかり学ぶ。それによって、使徒以来の伝統を受け継いでいく。同じキリスト教でもその違いの大きさに驚いた。


2003年9月21日

藤井圭子先生を迎えて

 過日の藤井圭子先生を迎えての特別集会は大変恵まれて感謝であった。平日の午前で近隣への宣伝などもできなかったが、皆さんが口コミで誘ってくださって40名以上(その中求道者が17名)の方が御出席くださり、決心者 も2名与えられたことも大きな感謝であった。皆様の祈りの賜物である。
 藤井先生の証は「輝く日を仰ぐ時」その他の著書をお読みいただきたいが、45歳でキリストに出会うまでの心の遍歴、以後20年余り、クリスチャンドクターとして、またエバンジェリストとして主に大きく用いられた。私は20年ほど前に証を聞いたときにも大きな感動を覚えたが、今日もその証は少しも色あせず、さらに洗練されてきたことを感じた。御本人から直接お聞きするばかりでなく、彼女を導かれた小宮山牧師から台湾で、また、彼女のお話にもあった伊藤栄一牧師からは香港で、彼女のことをお聞きした覚えがある。
 一人の人が神様に捉えられ、その御手に握り締められるならば、どんなに大きなことがなされるかは聖書と歴史に明らかだが、それは今日も変わらないことを見せていただいた。
 一体、クリスチャンの多くは、自分は伝道などできないと思っている。伝道は牧師の仕事だと考えている人が多い。しかし、初めの教会には12名の使徒がいただけで、信徒の証によってキリストの福音は伝えられていったのだ。教会の働きを担うのは信徒の一人一人であり、決して牧師でも神父でもない。私たちがお訪ねした韓国のサラン教会は、何千人の信徒の方々が家庭で証をして、日々知人や近所の人を救いに導いている。主任牧師の玉漢欽(オク・ハンフム)師は日本の教会もそうあって欲しいと多くの日本の牧師たちを韓国に招き、また、毎年のように日本に来て訴えておられる。教会は牧師に任せるのではなく、信徒が中心になって牧師と一緒に伝道を進めて行かなければならないと。
 藤井圭子先生のお話を聞いて、信徒一人一人に与えられている無限の可能性を思った。


2003年9月14日

敬老祝福礼拝を迎えて

 きょうは恒例の敬老祝福礼拝、愛餐会だ。ご高齢の皆様が、いつまでもお元気で、恵まれてお過ごしになられるよう共に祈りたい。
 私の先輩牧師が、敬老祝福礼拝で教会の高齢者のために祈りつづけてきたが、ご自分も祈られる年齢(70歳)に近づいてきた。そこで、役員会にはかって年齢を一年ずつ上げて、自分が70歳を過ぎても「敬老されないようにした」と冗談混じりに話してくれたが、これはどこの教会にも当てはまる現実だ。その点、西川口教会は、我々が70に達したら、金田牧師に祈ってもらうことにしよう。
 ある教会は、敬老祝福礼拝をしないというのでその理由を尋ねたら、「皆、70歳以上ですから」とのことだった。牧師を始め、みな70歳を超えている。私の札幌の母教会も、80歳以上が20数名だそうだ。90歳以上も何人もいる。70歳はまだまだ若く、敬老されるのでなく敬老する方だと姉から聞いた。その姉も、70代半ばを迎えた。長姉が80歳になって、すでにホームに入っている。近ければ訪ねることもできるが、飛行機ではおいそれとは行けない。先日、そのホームの施設長から電話があり、姉に何かがあったかと心配したら、何とその施設長は、私の高校時代の親友であった。もう何年も会っていないが、私のことを忘れずに電話をくれた。たまたま入居者宛の手紙を整理していたら、西川口教会からの手紙があり、そこに私の名前があるので驚いて宛名の部屋に持参して訊いたら、私の姉だということが分かったというのである。「お姉さんのお世話をしっかりさせてもらいますから」という一言がうれしかった。この姉は私より15ほど年上で、母親代わりに私を育ててくれた。その頃は、我が家が経済的に一番大変だった頃で、父も母も仕事に懸命で赤ん坊の私をかまっている暇はなかった。昔は、親は沢山の子どもたちを食べさせるだけで精一杯で、今日のように塾だ習い事だという余裕はなかった。でも、「成長させてくださるのは神である」ことを感謝したい。


2003年9月7日

「今、求められる牧師像」

 東京聖書学校の公開講座に野田秀先生をお迎えして表題の講演をお聞きした。ここには、先生の教会の月報「まきば」から、その一部を抜粋して紹介したい。
 
 「加えて、牧師は人々の期待に応えなければなりません。しかし、すべての人の望むようにということは、まず、絶対にあり得ないことです。再び、パウロの言葉を聞きましょう。
 『わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちでなく、わたしの方もあなたがたの期待通りの者ではない、ということにならないだろうか。』(コリント二 12・20)
 ここには、人間の期待に完全に応えることが出来ないことへのパウロの密かな不安が表われています。こちらがわの不十分さもさることながら、人の期待はしばしば身勝手なものだからです。その意味では、主イエスでさえ、弟子たちや人間の期待のようではありませんでした。・・・
 さて、牧師は自分が責任を果たすことが難しいと判断したら、その任を退くべきであることは言うまでもありません。責任が果たせないのにその立場にいるとすれば、かえって無責任のそしりを免れません。
 夏の高校野球の有名監督K氏は、七二歳の今年で監督を退く決心をしたそうです。その理由は、「試合を指揮することはできるが、チームを作り上げる根気が衰えてきた」(朝日新聞)ことにあるというものでした。
 私は深くうなずかされました。周囲は気がつかなくても、自分の内側のものが責任に耐えられなくなったら、いさぎよく引くべきであると教えられるからです。
 牧師は、説教は出来るが、複雑なことに対応する根気が衰えたと感じたら、主要な立場から退く必要があるでしょう。それが牧師として果たす最後の責任であろうと思います。」(「牧師室の祈り」より)


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