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週報短文

バックナンバー 2004年3月分


前任者の島 隆三牧師(日本基督教団仙台青葉荘教会)が週報に添えていたエッセイです。教会員向けなので、わかりにくい表現もあるかと思いますが、どうぞお読みください。


2004年3月28日

感謝のことば


 前号で最後のつもりでおりましたが、思いがけない盛大な壮行会を行っていただき、プレゼントまでいただきまして、もう一言、感謝の言葉を書かせていただくことにしました。
 14年間の皆さんの主にあるご愛を心から感謝します。振り返ってみて特筆すべきことは、93年に日本教会成長の研修生の一人に選ばれたことです。皆さんの支援のもとに学ばせていただき、それが韓国やアメリカでの研修につながり、またヤング礼拝や、今日のディボーションスクールにつながっていると思います。そして、この度の仙台への転任に際しても、金田佐久子、永本慶子両牧師が備えられたことも、みな、これら一連の主の備えの中にあったことを深く覚えさせられております。まさに「主の山に備えあり」です。
 もう一つは、98年度から東京聖書学校長を拝命したことで、これも全く予想外のことでしたが、考えてみれば当教会の初代、横山義孝牧師を聖書学校の舎監として送り出して以来、この教会の使命の一つはそこにあったのではないかと思います。そして、10数名の献身者を全国、否、海外にまで送り出していることも私たちの教会の特色であり、誇りです。私も、その一人として仙台に遣わされる感を強く抱いています。今後も、各地で奉仕する献身者を覚えて祈ってください。

 静江牧師からも感謝の一言。

 前任者の先生ご夫妻は、最後の礼拝後、さっとお二人だけで車で旅立たれ、かっこいいナーと思っていました。私たちもと思いましたら、佐久子先生より「お別れのときは癒しの時になりますから」と言われ、ああ、それも尤もと思い、派遣神学生共々、送別会をしていただきました。終始楽しくたくさん笑って、西川口教会らしい送別のときでした。旅立つ私たちにも、心温まる励ましのひと時になりました。また私にまでマリア会より思いがけない素敵なプレゼントを戴き感謝しています。手作りの記念文集は勿体ない思いで一杯です。ありがとうございました。


2004年3月21日

今後の予定

 愛する皆さんとのお別れに際して、お祈りをいただきたいために、今考えている今後の予定をここに記したいと思います(まだ静江にも相談していない私の勝手な予定です)。
 まず、ここ2、3年は現在委ねられているホーリネスの群の歴史編纂に他の4人の教師たちと共に没頭することになるでしょう。
 次に、数年後にはこれから赴任する仙台青葉荘教会が百周年を迎えるはずです。すでに教会では記念誌を発行する予定を立てているそうですから、委員の方々と共にその準備を進めることになるでしょう。これもなかなかの事業になるのではないかと思っています。
 そして70歳になったら、主任担任教師を退いて、本を一冊だけ書きたいと思います。それは、前号に書いたロマ書についてです。現在の構想は次のとおりです。私の説教原稿はワープロのフロッピーに入っているはずですが(手書きを止めて最初にワープロで打ったのがロマ書でした)、これをバルトや内村鑑三等と読み比べて批判、吟味し、内村ならぬ私の「ロマ書の研究」を出したいのです。これはかなりしんどい、時間のかかる仕事になりそうです。ですから、主任担任教師の立場では無理でしょう。でも、これだけは頭が働く間にやってみたいと願っています。
 そして、半ば隠退した暁には、ホ群の諸教会や近隣の無牧の教会の応援伝道(お邪魔伝道?)をしたいと思っています。これは私を導いてくれた老牧師の願いでしたが、健康が許さず、その夢を果たさないまま天国へ行ってしまいました。不肖の弟子が替って、その務めの一端を果たしたいと願っていますがどうでしょうか。
 他にも二、三ありますが、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』とヤコブ書にありますから、万事は主が許してくださるかどうかにかかっています。小僕のためお祈りくだされば幸いです。愛兄姉の上に主の恵みを心から祈りつつ。


2004年3月14日

短文を閉じるにあたって

 週本短文は、1996年アドベントから始めたので、7年余りになった。皆さんが愛読してくださったので拙文を書き続けることができた。旅行にでて、1,2回書けなかったことがあったが、ほとんど毎週書き続けることができた。皆さんの励ましを心から感謝する。今回は事情があって、97年1月5日の週報短文を再録することをお許し願いたい。

 新年を迎えるにあたって第一にしたことは、ロマ書の参考書を手近の棚に並べたことだ。松木治三郎の注解には以前いろいろ教えられた。K.バルトの有名な「ロマ書」は難解で、前回は投げ出してしまった。東京聖書学校で長く講師を勤められた小田島嘉久師の講解説教は先生の信仰と人格がにじみ出ている。聖書学院長の小林和夫師の講解説教も充実している。ホーリネス教団委員長で学院教授の松木裕三師の注解は、説教メモまでついていて親切だ。古典では、ルターとカルバンの詳しい注解がある。しかし、最も懐かしいのは内村鑑三の「ロマ書の研究」だ。学生時代、鉄を高周波コイルで熔かしながらこの本に没頭して、実験を忘れそうになったこともあった。序文を読み返してみると、「余の生涯の最高潮に達した時であって、59歳より63歳に至るまでの間、この楽しき事業に従事するを得て、感謝この上なしである」とある。「この楽しき事業」とは大手町講演のことで、毎週数百の聴衆に渾身の力を振り絞って聖書を説いた。この講演の圧巻が60回に及んだロマ書であり、それが「ロマ書の研究」として出版されたのである。文体はやや古いが、今読んでも決して時代遅れではない。
 しかし、こんなすばらしい講演や説教を読んでいると、自分の説教ができなくなる。最後はやはり聖書そのものである。どこまで聖書に肉迫できるか。ギリシャ語でも読みたい。英語も読みたい。最後は時間との戦いである。
(一部縮めたが、ほぼこの通り。そして二年間礼拝でロマ書を語ったのが心に残っている)。

2004年3月7日

「後生大事に」

 香港から後生大事に持ち帰ったパソコンセットを廃棄しようとして、簡単でないことが初めてわかった。最初は戸塚(川口市)のごみ処理場に他の粗大ごみと一緒に細木兄に運んでいただいたが、断られた。止むなく市役所に電話したら、それはメーカーに送るように言われ、メーカーに電話するとリサイクルセンターに電話せよとのことだった。ようやく指定のリサイクルセンターに連絡がつき、ホームページで申込み、引き取ってもらうことになった。お金も手間も大変だ。それでよくわかったことは、今はリサイクル法ができて、パソコンとか家電製品は「棄てる」という考えを改めねばならないということだった。棄てるのではなく、リサイクルして資源を再活用するのである。香港で棄ててきたら問題はなかったのに、そのときはどうしても棄てがたく、まだ役立つのではないかと考えて持ち帰ったが、実際は梱包を解くこともしなかった。「製造番号は何番ですか」と問われて、14年振りに梱包を解く始末だった。パソコンは文字通り日進月歩で、20年前の物など全く役に立たない。それにしても、重い腰を上げて引越しの準備を始め、目下書棚の本をダンボール箱に詰めているが、この中の何冊をもう一度開いて読むだろうかと考えると、パソコンの二の舞を演ずることになるのではなかろうかと思う。しかし、若い頃に、食べるものを切り詰めても買った本には愛着があって、なかなか棄てることができない。
「後生大事に」と始めに記したが、国語辞典を見ると、「後生を大切に思い信仰を深める」という原意から、「その人にとってかけがえのない物として、何かを大切に保持すること」とあった。私たちにとって大切なものはいろいろある。しかし、本当になくてならぬ物かと吟味してみると、そうでもない。引越しの時などには大いに考えさせられる。私たちはいろいろ天国に持っていける訳ではない。本も知識も天国では役に立たない。「なくてならぬものはただ一つ」との主の言葉を思い起こす。

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