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週報短文

バックナンバー 2006年 9月分


2006年 9月 24日

わたしたちの祈りは

 きんもくせいの香りに、本格的な秋の到来を感じます。来週から今年度も後半戦に入ります。
 10月15日の特別集会のため、久しぶりにカラーチラシを作りました。教会全体のプログラムです。祈りと心を合わせ、自分の果たせることを精一杯ささげて共に備えていきましょう。チラシを持って、家族友人知人に声をかけ、礼拝そして講演会にお誘いしましょう。
 それも主がわたしたちを道具としてなさしめること。行事には「する」という面もありますが、一方で、わたしたちがどう取り組んでいるのか問われると思います。どれだけ心を込め、祈りを込めて関わっていくか、そういう人がどれほどいるか。わたしたちの目には見えませんが、主は心をご覧になります。プログラムを作り上げていく過程から大切にしたい。
 そんなことを考えている今日この頃、次の文章に出会いました。わたしたちは心を注いで祈りますが、最後には「御心のままに」と祈り終えられるようにと思わされました。
 “・・・ある人が「裏主の祈り」ということをユーモアを込めて語っています。「側にいてくださる私の神よ。私の名を覚えてください。私の縄張りが大きくなりますように。私の願いが実現しますように。私に一生糧を与えてください。私に罪を犯す者をあなたが罰し、私の正しさを認めてください。私が誘惑にあって悪に溺れても私だけは見逃してください。国と力と栄とは限りなく私のものであるべきだからです。アーメン。」 私たちの心にしっくり来るのは主の祈りを裏返した祈りです。・・・主の祈りは、私たちの心の傾きに逆らうものです。主の祈りは祈りそれ自体が、私たちに向かって、ある特別な生き方を願ってくるのです。・・・主の祈りは私たちの心の中から出てくる言葉ではありません。私たちは主の祈りを祈りながら主イエスの肉声を聞くのです。・・・そして「私」から自由にしていただくことができるのです。”(FEBCニュース10月号の記事より引用)

2006年 9月 17日

敬老祝福式を迎えて

 本日は、恒例の敬老祝福礼拝、午後は愛餐会です。ご高齢の皆様方が、これからもお元気で、喜んで生きていくことができますように。
 70歳以上の方を対象としております。西川口教会現住陪餐会員から21人の方が該当します(今年新たに対象となる方はなし)。礼拝はじめ教会の諸集会(家庭集会、火曜会など)に出席されている方々もお招きします。祝福を受けられる方が多く与えられているのは、教会の喜びです。そこに神の恵みを目の当たりに見るからです。
 先週の短文に引き続き賛美の紹介となりますが、敬老祝福式の礼拝と証のために祈り、備えているとき「今日まで守られ・・・」の賛美が思い起こされてなりませんでした。讃美歌の何番だったかしら、と探しましたが、以前使っていた「讃美歌」(1954年版)には見当たりませんでした。それで、「聖歌」を調べたら見つかりました。292番でした。聖歌は20年ほど前まで(わたしが高校生・学生のころ)は使っておりましたので、記憶の片隅に残っていたのでしょう(ちなみに、この聖歌は2001年に廃刊されました。「新聖歌」、「聖歌総合版」が刊行されました)。
 1節のみ記します。
  今日まで 守られ きたりし 我が身
  つゆだに うれえじ 行く末などは
  いかなるおりにも 愛なる神は
  すべての ことをば 善きに したまわん

 どんな讃美歌にも聖歌にも歌詞の基になる聖句があり、楽譜の上か下に小さく印刷されています。讃美歌集は巻末に聖句索引もついており、礼拝で歌う讃美歌の選曲の参考にしています。この「今日まで守られ」の基の聖句は、ローマの信徒への手紙第8章28節でした。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
神は、すべてのことを善くしてくださる。この信仰にとどまりましょう。

2006年 9月 10日

「くすしきみ恵み」

 9月6日朝、F姉がご家族に見守られて、天に召されました。今年4月のイースターに洗礼を受けられたF姉は、愛唱賛美歌を選ぶほどの信仰生活を過ごすことはできませんでした。イースターの時も入院中で、病院から外出しての礼拝出席でしたから。葬儀では讃美歌21の451番「くすしきみ恵み」(アメージング・グレイス)と、493「いつくしみふかいい」を賛美しました。この2つの賛美は、キリスト者でない多くの人々がメロディを知っています。
 K姉が告別式の弔辞を引き受け、F姉との出会いと交わりを、心を込めて語られました。F姉が教会に導かれたいきさつについては、何度伺っても、くすしきみ恵み、主なる神の驚くばかりのお恵みに他ならないと思います。
 20004年秋に、K姉が肺炎で戸田総合病院に入院したとき、同じ病室にF姉も入院していました。F姉のちょうど向かいのベッドであったK姉には、家族以外の人たちがたびたび見舞いに来る。そして、最後に必ずお祈りをして帰っていく。その光景を見ていたF姉は、あるときK姉に「あなたはクリスチャン?」と尋ねられた。K姉がそうだと答えると、「わたしは教会に行きたかったの!」とおっしゃったとのことです。
 F姉が西川口教会に初めてお出でになった、2005年1月13日の昼間祈祷会で、そのお話を伺いました。できれば行きたくないのが病院、したくないのが入院でしょう。ところが病室においても神は働かれ、二人を出会わせ、F姉を教会に導いてくださいました。そして、F姉は信仰を与えられました。人の思いを超えた思いがけない神のお計らいに、ただ驚くばかりです。
 F姉は、葬儀は教会でするようにと、常々御家族に話し、さらに新しい命の希望を語り、病床にあってキリストの証人として用いられました。
 「今日会えたのは神様のお恵みね」。F姉からいただいた最後の言葉です。Fさん、天国で待っていてくださいね。またお話しましょう。

2006年 9月 3日

「歴史の主による和解の福音」

 8月28日〜30日「第53回こころの友伝道ソウル国際大会」にアンデレ会の兄姉と共に参加できました(「こころの友伝道」は、西川口教会ではアンデレ会が中心になって30数年この働きを継続しています。)。神に感謝します。
 3年前の第50回こころの友伝道全国大会で、ソウル日本人教会の吉田耕三牧師が、ソウルでの開催のビジョンを語られました。委員の皆様方がその申し出を大切に受けとめて、今回の大会が実現したわけです。主題は「歴史の主による和解の福音」でした。
 わたしは一足早く、父を連れて25日(金)からのオプションツアーに参加しました。青木姉もご一緒で、約30人が歴史の現場に立ちました。吉田先生から、日本の植民地支配(1910年〜45年)の中で、1919年に起こった「三・一独立運動」を巡って詳しくお話を伺いました。26日(土)は、バスで一時間半ほどドライブして「提岩教会」(日本憲兵に信者もろとも会堂を焼かれた教会)へ、午後は「独立記念館」(植民地支配の実態と独立運動その他が展示)へ出かけました。28日(月)午前中は市内のタプコル公園(三・一独立運動発祥の地。独立宣言文や10枚のレリーフがある)と、韓国で最初に設立されたセムナン教会資料室へ出かけ、午後から国際大会が始まりました。
 今度の旅で、特に認識を新たにしたことは「三・一独立運動」の指導者にはキリスト者が多かったこと、教会が迫害と試練に耐え、民と共に闘ったことです(当時キリスト者は朝鮮で1パーセントにも満たなかったが、大きな影響を及ぼした)。吉田先生は25年間ソウルで和解の務めに生きて、日本と韓国の架け橋となっておられます。「この国と民の苦難(日本の植民地支配、南北分断)とリバイバルの歴史は、出エジプト記や使徒言行録を見ているようだ」と吉田先生がおっしゃったのがとても心に残っています。

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