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Message From Tokuda


  2007年冬(1月〜3月)読んだ本をふりかえる(後編) Date: 2007-11-16 (Fri) 
2007年冬(1月〜3月)読んだ本をふりかえる(後編)


『そして二人だけになった』
森 博嗣


俺の中でこの作者は「もうない」と決めていました。
デビュー作はすごい!すごい!と読んだのだけど、
作者がデビューから放ったその“犀川シリーズ”は、
どんどんミステリーとしてヤワになっていき、
シリーズ自体が同人ぽくなっていくのが堪えられなかったからです。

ストーリーやトリックは二の次となり、
「シリーズキャラ」をいかに立てるか、動かすか、にひたすら腐心するわけです。
この作者に限らずなんですが、
キャラクターに極端に針の触れた性格を設定し、
次々作くらいでそのギャップを提示してまたひと萌え、
ツンデレあり、女神様状態アリ、外伝でエッチありでキャラ萌え読者を総直撃…って、



だいたい「外伝」ってなんだよ?!


という按配です。


何度か書いてますが、
これは日本の最近のミステリーに顕著に出てきた特徴で、
読者層がちょ〜ど、その手合いと重なった、ということでしょう。

と言いますか、
京極堂シリーズの大成功、すべてこの後追いではないでしょうか。
というか、榎木津。
誰もが魅力を感じたあのキャラの影響は大きいです。
以降、「これ」をやる作家がものすごく増えたと。

ただ比べてみれば、
キャラ立てオリジネイターである京極堂シリーズは断然別格で、
俺も大好きです。
特に「鉄鼠」と「絡新婦」は史上に残るできばえだと思っています。
何度繰り返し読んだか。

でもしかしね、森博嗣はナルシシズムが透けてくるような文体が、
どーにも馴染めない、という訳。

そしてシリーズ化が決まってから、
べたべたと萌え増幅させた感じがどうもね。

とはいえ、今作、手にとってみました。
まずそのいわゆるシリーズ外作品だったということ。
それと、大トリックと大オチ、と2段階用意されていまして、
大トリックはなかなかのものでした。
でも、人狼城と根本の発想似てるかな…。

大オチは夢オチ。
ここが各書評の突っ込みどころになるわけですが、
俺としては、デタ!って感じです。
ナルシー森としては、付け加えざるをえないと言いますか、
手が止まらないのでしょうね。
ポエムの自動書記が。




『殺意の集う夜』
西澤 保彦


特殊状況ミステリーでおなじみの作者。
この作品もがんばってくれました。

この作者の、
「人格転移の殺人」
が俺は非常に好きで、以来、定期的に西澤作品手を伸ばすようにしています。

「人格転移〜」は、
地震で数名がシェルターっぽい所に閉じ込められた後、次々殺人がおこると。
このシェルターは宇宙人が残したものらしく、
なんと一定時間ごとに、施設内にいる人間の「中身」が入れ替わる、
という、トンデモない場所なわけです。

要するに「転校生〜俺があいつであいつが俺で〜」状態になるわけ。
だもんで、ナイフを振り回してる奴が目の前にいたとしても、
それが「ほんとは誰なのか」分からないと。

こりゃパニックですよ。
犯人探しなんて無理無理!
もはや、
殺人の動機も読めないですから。

で、俺がいたく感動したのは、
すべてが終わり、犯人と動機が判明し、
さらに後日談としてこのシェルターの「理由」が明かされる(推測される)時。
その宇宙人たちはなぜ、「人格転移」する装置をつくったのか。
その理由は、俺的に実に感銘(っていうのも変だが)を受けました。

とまぁ今年「フロムトクダ」の更新滞ってスマンとばかりに派手に脱線を繰り返しますが、

いい加減「殺意の〜」について触れないといけないっすね。

これは、
「はずみで山荘にいる人を何人も一気に殺しまくってしまった。
でも、あれれ?
よく見ると、自分が殺した覚えのない人間まで死んでるぞ!
誰だヤったのは?!」

という物語です。
面白そうでしょ?
やってくれますよねぇ。

とにかく作者は毎度こういう強引特殊状況で物語をつむいでいくので、
ヒキは強いっちゃぁ強いですが、
パズラーとしてロジックとしてどうしても苦しくなる箇所もでてきます。

もちろんあまりに共感しかねる「理由」も困りモノですが、
上記のようなワクワクするヒキから「着地に至るまで」、を、
身を任せて味わいたい、
そんな作品です。




『殺人ピエロの孤島同窓会』
水田 美意子


この問題作に手を出しました。

06年の「このミス大賞」奨励賞、受賞作ということで出版されたのですが、
実はその理由が、“作者が12歳だったから”、というものです。

で、それで内容がよければ天才現る、で何も問題がなかったのですが、
どっこい12歳“にしては”すごいレベルで、
それを、“出版側も認めて”だったことで、大きな問題になったのです。

実際、結局どうなの?とフラットな心構えで読んだ俺も、
いくらなんでも、というレベルでした。
正直、きつかったです。

でも、「12歳が書いたもの」としては確かにすごい!の一言。
ここまで書ける12歳はそうはいないと思う。
この時点で12歳なら、これからとても期待の出来る原石だ。

だけんど、これを身内でまわして読んでるならともかく、
公に出版されるとなると、事情は違う。

どうしても、
出版された以上プロ、
=「12歳が書いた」ということ抜きでの書評、
というのは当然で、
となると必ずボロクソの評価になる。

世論の矛先は出版社に向かい、
「出版となると、酷評にさらされる。
作者がかわいそう。12歳にはツライ経験だろう。書くのこれでやめちゃうかも。
話題性だけで急いで出版するのでなく、大事に育てるべきなのでは」

という意見がたくさん出ました。

徳フレンドで、
「奨励賞受賞」って帯だけを見て読み始め、
なんじゃなんじゃこの内容はぁ?!と思ってたら、
巻末に記載された、
「出版社からの受賞の経緯説明」で大どんでん返しをくらったヤツがいました。
そういうことかと。
なんつーか、ミステリーとしては、そこまでが実は作品で、
「経緯説明」が大オチの本かい!!
と思ったそうです。。。




『極限推理コロシアム』
矢野 龍王


デビュー作ですが、
気合の入った状況設定で、それでいて本も薄め。
コンパクトにたたみかけてくれそうで期待大です。

その設定とは、
二つの館に7人づつ閉じ込められる、
それぞれの館で殺人が起こる、
相手の館の犯人を当てれば勝ち、賞金。
7人の中に犯人が紛れ込んでいる。
二つの館はTVでつながっており、お互い情報を提供しあう。
殺人は数回行われ、次に殺されるのは自分かもしれない。

というものです。
いい感じです。

でも残念ながらこの系統の作者にありがちな、
「文章が稚拙」
「赤面するような台詞まわし」
「登場人物の言動が小説としてオカシい」
という、タイプど真ん中でした。
以前紹介した、「そのケータイ〜」と同じパターンってわけ。

映像化されたというのもまた同じで、たしかこっちは、TVドラマだったかな。
見てないのですがDVDに、もうなってるはずです。
このドラマ版の方は、小説のヘコいところをうまく膨らませてるかもしれないです。
(とくにセリフまわし)

さてこの登場人物たちが置かれた状況ですが、
やはり状況自体が明らかにショーになってるわけですから、
(競わせている以上、犯人当てっこしてる彼らを見てる人たちが必ずいる)
どこかに観客がいると。

となると、モニタリングしやすい、管理しやすいように、
状況自体に「罠」もしくは「嘘」があるわけです。
主催側としての。
このタイプの物語は必ずそう。

そこに登場人物たちが向かっていかないのにイラッとしますが、
(「いまのとこギモン感じないの不自然〜!」って)
ま、なんとかオチまで引っ張りました。




『バトル・ロワイアル』
高見 広春


この流れでやはり、
「不条理状況殺人ゲーム」
の元祖を読み返したくなりました。
8年ぶりの再読です。

発表当時、
「ネタがエキセントリックすぎる」、
「文章が幼稚」
との批評が非常に多かったのですが、
この作品のヒット以降、同テイストの作風があふれかえった昨今、
「バトル〜」は、ちっとも幼稚な文章には感じなかったです。

むしろ一人一人の人物がとても魅力的に描かれていると思います。
悪キャラには悪キャラとしての感情移入ができますしね。

8年前の俺の印象はとにかく“金八”でした。
もうあれがすべて。

あやつの設定がすべてこの作品のコアな部分を香らせてます。
今回も金八の出番が楽しみで読み進めました。

この作品は多種のフォロワーを産みましたが、
迫力つうか、「命」とは?って問いかける感じとか、
今読んでも気迫がありますね。

あとやっぱり青春。
青春を強く感じました。
これは俺が8年、年取ったせいもあると思う。

たしかに「殺し合い」という負の要素はあるんだけど、
現代のジュブナイル…そう思えました。

うむ、今回読み返してはっきりそう感じたな。

犠牲になったり、裏切られたりして登場人物が死んでいく様に、
ホロっと何度かきましたしね。

奇をてらうつもりはないんだけど、
五木寛之の傑作、
「青年は荒野をめざす」
と同じ、10代に贈る冒険譚と俺は位置づけたいと思います。
「青年は〜」って、もうあまり読まれてないだろうけど…。

ま、10代で「ライ麦畑〜」読むとか、
そういうのって結構アリじゃないかな。
ベタすぎるぜって言うなかれ。

で、こうやって30才越えてからの青春本再読ってのがまた、
すごくいいもんだと思います。




『死のロングウォーク』
スティーヴン・キング


と…いうわけで、長々お付き合いいただきました。
3月ごろまでに読んだ本をご紹介、なんつて最後の更新が11月ですか。
どーもすいやせん。
いつの話しだっつの。

それでですね、以上な流れで手に取るのは、
まぁなんですか、いってみれば種の起源。

「バトル〜」の元ネタ、キングのこの作品。
ホントのオリジンの凄みをもう一度味わってみました。

近未来のアメリカ。
“ロング・ウォーク”とは国(軍)が主催する、
100人の子どもたちが街をひたすら南に歩き続ける競技。
歩行スピードが4マイルを切った者には警告、
警告3回で射殺。
競技にゴールはなく、子どもたちが最後の一人になるまでいつまでも続くサバイバル形式。

どーですか。

この状況下、キングお得意の心理描写アンド、
ハートをヒットする地の文が延々絡み続けるワケです。
中篇なのですが、ものすごい切迫感があって、
サラサラとは読み進めれないですよ。

この競技、参加は男の子限定ということもあって、
実は同作者の「スタンド・バイ・ミー」に通じるものがあります。

またか?
と思われるでしょうが、
少年たちはこの無慈悲で過酷なレースの中、
(全員がライバルなのに)
励ましあったり、助け合ったり、
トラウマを話したり、友情を育んでいきます。
思春期の男子同士ということで、性的な悩みを語り合いもします。
すでに結婚しちゃってるヤツだっています。

と同時に、どうしても理解しあえない者どうしも生まれ、
ルールに抵抗するヤツありと、
まさに男の子の青春期をどっぷり映し出すわけです。
こんな状況の中でも。

スタンド・バイ・ミーはそれを故郷の田舎の森の風景の中に配置したわけですが、
今回はまぁ、殺人レースのただ中にあると。
美しい木々でなく、無責任な観客たちと対比させると。
そういった按配です。

そもそも思いついた状況のアイデアだけでも十分なのに、
むしろ参加者の青春を投影させるための小道具にしているという、
これがキングの凄さ。

「バトル〜」は、この作品のこうしたコアな部分もネタとして拾っているわけですね。

ロングウォークの勝者には、
莫大な賞金が出て全米のヒーローに…。
つまり参加者は皆、志願。
全米中の人気競技で、
参加希望者は多く、毎度抽選になっていると。

競技が始まるとすぐ何人かは、
華やかに見せかけられたこの競技のカラクリに気づくし、
ただひたすら生活のため、賞金をめざす者もいます。
また、裏の目的を持って参加してる者も。

結局ロングウォークが何なのか、ハッキリと説明はないし、
主人公自身も、よく分かっていないのに自分は参加している、
と再三モノローグがあります。

そこもキングが表現したかったところだと思います。

とにかく色々なものが様々なメタファーに思え、
幾重のメッセージを含んでるように思え、
読者に与えたスペースと残す余韻にキングの巨大さを感じる一作です。


(いじょう、おわり)

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