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          2003年12月28日  建築あそび記録 
          菅野裕子 さんによる  建築と音楽
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ここまでまとめると

建築でいうと、実際の物を単位とすると 例えば柱の径とか柱の高さを単位とすることもできるし、音楽でいうと、ブレヴィスとかセミブレヴィスいった音符そのもの、いまでいうと8分音符4分音符 そのもので比較するということも出来る状態が まず一段階目にあって、

 二段階目には中間的単位としての ある大きさを分割することによって出来た大きさ というもので 色んな物を計測することが出来、音楽でいうとメンスーラという それぞれの音符毎に付けられた大きさの単位で、計測するようにでき、

3番目になるとその芸術における単位としての、モドゥルスとタクトゥスというのがあり得ると思うのですが、その両方で、ヴィニョーラやディルータがやったようにモドゥルスやタクトゥスというもので建築や音楽のあらゆる部分を測ることが出来るようになる

、それ以前の計り方ただと階層性があったわけで、それの部分によって計測する単位が違うから階層性が生じるんですけども

モドゥルスとかタクトゥスというものを使うとあらゆる寸法というものがフラットに表せ、あらゆる部分というものがフラットな存在となって 全部、一つの単位よって表すことが出来るようになります。

そうすると芸術の中のあらゆる部分というのが、少なくても寸法決定という観点で言うと、今までは大きいのがあって小さいのがあって、その下にまた小さいのがあってというふうに、重要度の関係というか・要素間の関係があったんですけど、そういう連鎖的なものがなくなって全てが対等な一部部分に成り得るということになると思います

以上がルネッサンスの理論書の話なんですが、


最初から話していたことを、全部総括 自分でしたみたんですが、中世の研究をしている時は空間と時間を対比して、建築と音楽を考えたいと考えたんですが、建築そのものと音楽そのものがどういう風に構成されているかということを比較することになっていました。

ルネサンスとバロック、今日 一寸音楽を聞きながらやっていたものは、建築が外部、抽象的な空間とどのように関わっていたということと、音楽が外部である抽象的な時間とどのように比較する、ということでした。


今 お話したの は建築と音楽の単位に注目することによって、空間的な大きさという建築の実体の見えない所じゃなくて、実体に内部に内在する空間概念と時間的な大きさという音楽の自然律そのものの内部にある内在する時間概念を比較したと言えるのではないかと思っています。いままで建築と音楽を空間と時間を通して比較してきたんですが、すこしづつ視点が変わっていると思います

一応ここまでてひと区切りなんですけど、最後に・・・・
あと5分ぐらい・・10分・3分・・・なんか今日 シ〜ト してません・・


コツから先は、チョトまだ考えてる途中

漠然とした話なしなんですけど、一寸面白い本を読んで、ユークリッド原論の定義がどういうものかということを、書いている人がいたんですが、ユークリッド原論の一番最初の点の定義と線の定義があるんですが

点とは部分をもたないものである」と、「線とは幅のない長さである」というものがあって、この説明というものは、非常に抽象的で理念的であって、点とか線とというものが数学のなかで、どういう性質でどういう存在であるかというのをハッキリと表していると思うのですが

それに対して 円の定義というものはどういうものかというと、「円とは一つの線に囲まれた平面図形でその図形の内部の一点からそれへと引かれた全ての線分が互いに等しいものである」というものです。これに関してジュスティというイタリアの数学者の研究者が言ったことなんですが、この文章からは「円という図形の持つ一様に曲がっている丸さという片鱗がない」丸いという特徴がなくて、ある方法で作られた図形として説明されていて、「コンパスという道具によって作図されているということが想像できる」というふうに指摘しています。

球の定義というのは「球とは半円の直径が仮定されて、半円が回転して動き始めたところと同じ所に再び戻るときに囲まれる図形である」という定義なんですが、これも「球の丸さというもがなくて、あたかもロクロのようなものを用いて造形を作るような創作過程にも見える」と。


円の定義では中心からの距離が等しいというのがあったのに対して、球の定義では同じようにやるべき気もするんですが、中心からの距離が等しいという説明はしていないので、これに関してジュスティは「ロクロのような道具が想像できる」と言っていました。

つまり幾何学的な図形を言葉で説明する場合は説明する人がどういう思考でその形を考えているかということが現れてしまう。作図的な思考なのか理念的な思考なのかとか・・そういうことがあるので、それを建築理論書のオーダー論から読んでみたら、そういう視点でみたらどうなるかということを考えています


建築のオーダーのそれぞれの大きさがモドゥルスとか、あるいは色んな部分によって関係づけられながら決定されていたと説明したんですが、実際の建築には、もし実際の建築があったとした、最初に柱の礎石をつくりますよね。その上に柱を立てて、その上に柱頭が載って、その上に桁が載るというふうな作り方で組み立てて行ったりだとか、物理的にもそういう風に成っているだとか・・あるんですが、

それと同時に理論書の中ではそれぞれの大きさが、まずこの大きさを基準とする、・・大体のものは柱の径が基準なんですが、それを基準として柱の大きさを決めたりとか、桁と決めたりだとか・・理論書の寸法の規定の脈略というものがあります。

つまりそれぞれの部分には、実際に何々の上に何にが有る、という関係の他に、その寸法がどうやって決められたかという、創作上の履歴だけじゃなくて、寸法を決定された関係での履歴っていうものがあると考えられています。

其処では多くの場合は何らかの数学的な計算方法があって、例えばこれを4倍にしてこれにするとか、これの長さとコレの長さを足してこの長さするとか、なにか計算することによって数を変えなけきゃいけないので、そういうことが順番を行われているのですが、その計算方法を比較するということを・・考えるとまず・・・建築では大きさを決定するときにまず、ある大きさからそれより小さい大きさを決定する。さらに小さい大きさを決定するという段々小さく成ってくる傾向があります。

、例えばLという長さがあったとして、それを5分の一減らすということと5分の4倍するという違いを考えてみると、結果として同じに成るんですけども 5分の一減らすと考えるのは、まず全体を5個に分割して、そこから一つを取り除くと頭のなかで考えると思います。それに対して5分の4倍するというのは一つの5分の一の一つの単位を4倍にするというふうになって一寸ちがうんじゃないかと考えました。

5分の一減らすというのは足し算引き算の世界で、5分の4倍といいのはかけ算とか割り算の世界だと思うのですが、なにか大きさのイメージというのが違うのではないかと考えました

減らすというのは大きさが物質的で こうして切り離せたり、なにか部品みたいなもので 4倍というのはもうすこし連続的で・・一寸まだ頭のなかでハッキリ言えないのですが、そういうなんか計算法によって大きさのイメージが違うんじゃないかと考えていて

アルベルティーとかパラディオの理論書といのは5分の1とか3分の一とか、一般的にいうとA分の一と言えると思うんですが、それを増やすとか減らすとかいう操作によって、色んな部分を決定するということが非常に多いんですが、

ヴィニョーラになるとモドゥルスという一つの単位で 全ての部分を大きさを言うという倍化するしかないと思うんですね。1モドゥルス2モドゥルス・・そういうふうに倍化する方法です。・・足したり引いたりという世界から、一っになると、倍化するよう、計算方法が変わるっていうふうに、考えられます


音楽の理論書でいうと、さっき言ったような関係で音符の長さというのは定義されているんですけど、臨時的に一寸長くするという色んな手法がその頃の既得して有ったんですが、その中の一つに、ヘミオラというんですが、ヘミオラというのは黒いという意味なんですが、白抜きの音符を黒くするという操作で、それによって元の長さの3分の2になるんですが、・・3素性だった音符が2素性になるわけです。・

そのヘミオラという操作をどういうふうに当時の理論書に書いてあるかというと、ほとんどの著者はヘミオラにすると「音の大きさが3分の一失われれる」つまりマイナス3分の一になると書いていました。

ところが16世紀半ば、後半のティグリーニ  ヴィチェンティーノという人は3分の一失うという表現を使わなくて、・・タクトゥスというものを基準として数としているんですね。

だからマイナス3分の一とう事がそこで無くなるんですが、それは建築でも同じなんじゃないかと考えて、つまり単位が一つでは無いときはプラス何分の一という操作はありうるんだけども、単位が一つになると、それがなくなって全部が倍になる・・ということで、・・

加算、足し算の計算方法からかけ算割り算に、この時期に変わったんじゃないかという事を考えていて、チョト未完成なんですが、これからもう少しコレをやりたいという風に考えています。

これで終わりです

      拍手パチパチ・・・・

ありがとうゴざいました・・
宴会の後 「ワラッテイイトモ、」・・VTR上映会と続くのでした



    参考文献など

菅野裕子
建築と音楽におけるロマネスク期からゴシック期への変化の類似性について 」 
    日本建築学会計画系論文報告集第446号、P.155〜P.163、l993年

菅野裕子・五十嵐太郎、「空間、時間、バッハ
         EXMUSICA、P.84〜97 2000年

菅野裕子
16世紀から17世紀における建築音楽変化の類似性について
      日本建築学会大会学術講演梗概集、P.1199〜P.1200、1996年



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