建築あそび記録 佐藤敏宏 作成

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 建築家 山中新太郎 さんの記録 2 の 1

上京して本屋で立ち読みしたてら、山中新太郎さんが書かれた論文に偶然であいました。10+1にのつてた「偽装する住宅」と言う文章でした。で、電話で連絡し快く来福していただきました。超嬉しかったですね!(^^)!。春先に完成した神武寺の家は建築文化NO653に掲載されまてますので、みんなで見ましょう。八重樫・山中さんともに長身で私のよに短足O脚とは違い。いい男です。羨ましいすねぇー。今後の両若き建築家のご活躍を祈念いたしましょう。(^_^)v


 


2000年8月5日 建築遊び 建築家 山中新太郎さんの講演記録

山中
今日佐藤さんにいきなり、一月ほど前ぐらいにですね、いきなり電話でこういう会があるので来てみないかというふうに言われたして。まぁー気楽な気持ちで美味しいモノ食べにきてよ、とか言われ、ダンダン話を聞いていくうちに話しもしなきゃいけないということで。あんまり僕はたくさんものを作ってるわけではないので、話す内容もそうそう 有るわけじゃないんですが、そのなかでやったモノや計画中のものを、工事中のモノを少しお話しようかなと思います。

              

これは彰国社の建築文化と言う雑誌に載せて頂いた住宅なんですけれども。旭川のそばの美瑛というところにあります。美瑛っていうのは富良野のすぐ北側で、とても景色が綺麗なところなんです。旭川は家具の産地で、施主は家具のデザイナーで、独身40才かな、当時。
 この施主との関係ていうのは以外と面白いドラマが有りまして、子供のころから知っていたんです。兄貴分のように知っていた。彼は剣持勇さん事務所で働いていたんですが、その後、生まれ故郷で事務所を開いたんです。自分で独り立ちするという話しになって。
 お父さんが急に亡くなられて、お母さんも病気になって、お母さんを身近で世話しないといけないということにって、そろそろ家を建てようと。そんな時偶然僕の所に彼が遊びに来たんです。

デジカメの操作を誤り突然千万家の北側外観がテレビに映し出される
これとの…笑い…これとなんかねー、妙に似てるのが、この前会ったときに話しになりまして…

佐藤 これが斜めだからね。

山中 一寸待ってください。これじゃなくて…(デジカメの操作を始める)
   話すのは短めにしないと…、

佐藤 電池が無くなっちゃう…

山中…うまくいかないことが解った。(デジカメの操作のこと)

その時に工務店と相談中だったプランを持っていたんですが…。それを僕に見せまして、「どうだろう?」て聞いてきたんです。…それはしょうもない建物だったんですけども。
「そんなのに住むんだったら、やめた方が良いんじゃないの」と、勝手なことを言ったらですね、「君はそれではできんのか」ていうことになりまして、「んぇーじゃーやりますよ」とか言って。一週間だけ時間をもらいました。一週間で考えられることっていうのは、かなり限られていて、雪を下ろすにはどうしたらいいかということも考えながら、これが全景なんですけれども、これをどういうふうにつくるか……。
 その人が家具のデザイナーだったていうこともあって、自分の回りに、生まれ育ったドメスティックな環境があるんですね、でそういう環境に対して、一寸非日常的部分があるのが欲しい。つまりあまりにもウェットな人間関係では、だんだん自分自身がそこに埋もれていくような感じがあるのではないかと。
 それに対して出した回答が、直径9メートルの円筒なんです。3寸勾配で地面にドスンと突き刺したんですね。


で、それがこの本体で。本当はここのスリットだけで…。天井は全部トップライトにしちゃおうと考えた。ここがスパーンと切断されたような建物にしたいと。地元の工務店からそれはいくら何でも旭川の気温が−20〜30度というところでは無理だろうと。だったらということで、こういう四角い窓をポッポッと開けながら、開口部を取っていった。ここの斜辺の部分が直径9メートルありますので、相当な大空間が実現出来ましたので。
 これも建築文化の中川さんに撮って頂いて写真なんですけども、スライド買ったんですけど、無くしてしまったんで、雑誌から接写て撮ったんで一寸…


会場 おやまぁー笑い

山中 本当はもっと良い写真なんですけども、こんな感じで、内部は塗装で仕上げました。
 雪をこっちに落としたい。南はこっち側だ。雪のたまりの問題もありますから、ここんところには少し、裏っかわのところには余地が欲しい。て言う感じでこの円筒になっていったんですけど、中に入った時に住んでる人がダンダンおかしくなっていっちゃったら、さすがにマズイと思いまして。中に入った時は出来るだけ大きい空間の中ににいるつていう感覚だけでを持つようにしようと考えました。
 さっきの八重樫さんの中間領域の話は、僕もとっても興味が有ったんですが、旭川の空間はそれを許さないような厳しさがあって。ホントにオールオワナッシングのよな世界なんです。
 最初に閉じた空間がある。のを思い出しまして、最初に閉じた空間がある、そこからスタートしたい。まさにシェルターでここは良いんじゃないかということを感がえて、やってみた。


 インテリアの家具は、家具デザイナーである施主自身とFAXでやりとりしながらやっきました。
こうしたやりとりの中でこの空間のイメージを共有出来た。彼は家具をこの空間の中に合わせるような形で、作り付けてくれたんです。



これは2階の部分です。ここはかれの寝室 。お母さんは車椅子の生活で1階オンリーなんですね。逆に2階から上は彼のプライベートな空間になつている。
 1階の良い写真がないんです。天井が高い空間です。お母さんにとって冬の間っていうのはほとんどこの家の中しか生活するスペースが無い。出来るだけ、狭っ苦しくなく、外にいるような内にいるような感じになればなと思って計画してみました。かなりその部分はうまくいった感じがします。


これは雛壇状に傾いていて階段になっいる。ここは3階の部分から下の方を見ている絵です。これはトップライトと正面にあるスリットです。両脇にのちっちゃい窓は機能上必要な位置に付けました。
 ただ以外と面白いのは、こういうちっちゃい窓から、前の通りを走る車のサーチライトが入り込んできて、Rの壁の上をフアーンと回ったりなんかすろことです。以外と気持ちがいいです。
 出来上がってみると、ホントに舞台のステージ見たいにな空間になりました。この家に行くと必ず3階の一番てっぺんの所で寝るようにしてるんですけど。


これは躯体の時の写真なんですけども。100×50というH鋼を使ってます。おもちゃみたいなH鋼を32本建てまして、それをCチャンの胴縁でぐるぐるぐるぐる回しましておいて、それでまず最初構造計算したんですね。構造事務所の方から「壊れました」というシュミレイションの結果が出まして、マズイことになった。
 それで、いろいろやっていったら、竹籠を作るみたいな発想で、ブレースを斜めに回していくと、ものすごくガチッと決まったんです。
 窓の部分は開口の補強を入れるというようなかたちでやったんですが。結果的に、総重量がすごく軽い建物になったんです。
東北地方もそうだと思うんですが、この地域も基礎の根入れが深くて、始めっから重しを無駄に下に曳いてるようなものなんです 。
 基礎の補正みたいなことを何らしないでその根入れの深さだけで、この傾きはもっちゃっている。これが構造の絵なんですけれども、こんなふうに窓がポチョポチョ開いてまして、ここの部分がブレースになる。


これはプランで、見せんるのも恥ずかしい、ようなプランですけどこのまま建ってます。ここが車庫。ボイラー室があって、物入れがあって、ここから入って、ここが1階のリビング、ダイニングでお母さんの寝室。
上に上がって行って、彼のベットルーム。僕の寝室。
狭いんですけど、傾いてるから上に行くと広いんですよ。以外と。


これは東京都内のある教会、ここは教会員がいがいと多い。だれも僕に声をかけてくれた話しでは無かったんですけれどたまたま教会員が僕の友達でした。「建て替えをするらしい」という話を聞きまして、だったら押し掛けて見ようかなというふうに思いまして。一応書類審査に残してもらいました。最後4人ぐらいまで。ただこのときは余り案を出させてくれなくて。なんか最終的には教会建築を何個やってるかとか、そういう実績主義に退けられてしまいまして、没になった。一生日の目を見ることもないものなんですけど。


なんて言うのかな、教会のもってる意味ていうのが、すごく面白くて、さっきの中間領域の話しじゃないですけども、すごく都市に対して開かれてなければならない意味と、そのコミュニティーに対して閉じていけなきゃいけない、という両方の意味をもっている。例えばこうバザーをやる時扉が開いてる教会と、もう一つは礼拝をする閉じた教会。



このときは1階の部分はほとんど開いた状態です。反対に2階から上はノアの箱船みたいにしてしまえと思いました
一寸ひねてまして、少し…、ゆるーくカーブを掛ながらここの妻側がスパンと切って、奥もスパンと切ってしまう。
話をすると長くなるんですけども、今博士論文を書いてまして、それのテーマが「断面系列に関する研究 」ていうんです。


これはなにかというと、集落調査にいつて採寸してきた住宅のいろんな図面から、立体を起こして、空間をやたら目ったら切りまくる研究です。系列ていうのは、ただ一枚切るていう話では無くて、何枚にもわたって切るという方法にたいして言ってる言葉です。CTスキャンをかけるような感じで、空間を捉えるという考えかたです。断面の輪郭がどういうふうになってるか。または輪郭だけじゃなくてどんな相が見えているか、というようなことを考えて、研究をやっています。
それをやっているうちに、ダンダン断面ていう言葉が面白いんじゃないかな。つまりいろんな断面、物事の断面とか歴史の断面とか物語の一断面とか、いうようないろんな言葉で、断面というのが使われて、隠喩的にも使われる。
さっきの北海道の家もそうなんですけど、建物の輪郭って何だろう、じつはそれは本当はあるような、ないようななもんじゃないかなと思ってます。
これなんかにしても、スパンスパンと両側を切ってしまうということで、実はこの建物自体もなにか延々と連続するスペースがあって、あるところでフッと切断され取り出された一つの部分と、考えることができるのではないかと。潜在意識と顕在意識というのがあるように、現実に現れてる空間は潜在的な空間の一つの現れ、断面なのではないかと考えたんです。


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