自閉症だと確信した理由 2 

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ペンギン 2000/11/13(月) 00:14.37  Re:ドラくんの七不思議

>ドラは、自閉の特徴のひとつである興味の幅が狭いという特徴があります。
>全てのモノを自分なりに確認すると、それで納得してしまいます。
>だからなかなか物の名前を覚えません。

>例えば車の写真カード・車という発音・車本体・動いている車などなど
>それらのどっかの認知が間違っているもしくは知らないのではないかと
>思っていたのです。だから、地道に1こずつ教えているのです。


もしかして、いろんな状態の車の絵や写真を見せて、それでもぜーんぶひっくるめて
「車」だよってことが分からないということですか?
だとしたら、先日のシマシマ模様好きというところからして、その絵や写真の中の
「車」という物ではなくシマシマな模様だけを見ているのではないでしょうか?
そして今のところ、そうした部分や要素の認知が強すぎて
そこにある「物」が見えていないのでは?

ちなみに、私は視覚ではあまりこういうことは起きませんが、聴覚ではしょっちゅうあります。
昨日も、自警団の鐘の音が聞こえてきたらとたんに或る曲が聴きたくなりました。
というのは、鐘のカンカンという音の余韻の音の波形が
その曲のイントロのトライアングルのチンチンという音の余韻の波形と同じだったから。
普通の視点(とはいわないか、聴点)からすれば別の音ですが、私にとっては同じ音です。

ただ、私の場合は、部分認知と全体認知が別々に同時にできます。
だから、「鐘」と「トライアングル」が違うことや、その音が方や「カンカン」で方や
「チンチン」だということも分かります。で、もし「部分認知」しか出来ていないのが
ドラくんの状態だと考えてみたら、いろんな謎が解けるかな?

ペンギン 2000/11/13(月) 00:59.16  Re:ドラくんの七不思議2

>4さいの時、幼稚園に通いだし家に帰ってくると
>明らかに幼稚園で覚えてきた言葉を鏡に向かってしゃべりだしました。
>でもそれが全て主語以外の言葉なのです。
>「どいて」「かして」「どおして」「いくの」などなと・・・
>これは今現在もそうです。モノの名前が言えないのです。
>でも歩いていると突然、オートバイを指差して
>「こーとぶぁい」と言った事があります。私、教えた記憶がないんです。
>そうゆう事が何度もあります。でも言うのは1回だけなのです。


私は逆に、一才前からしゃべっていたそうなんですが・・・。
自分の記憶を辿ると、「それが全て主語以外の言葉」でした。
つまり、見たものを全て言葉に変換して実況中継していたのです。
私は18才になるまで(大学に入って、家に電話するのに必要を感じるまで)
「私」という主語が使えませんでした。
父母が私を名前で呼んでいたので、自分のことを呼ぶのにオウム返し的に使っていましたが
それが果たして自分のことなのか不安で、自分で言いながら何か不思議な感じを抱いていました。
そして、自分のことを名前で呼ぶのがオカシイ年頃になったら、自分のことを話す時は
自分で自分を指差してごまかしました。
だから、ものすごーく饒舌で文章にもなっていたけど、何の意味もないことばっかりしゃべってました。
例えば、近所の本屋さんの看板に「結婚前はアイ・結婚したら主婦の友」なんて
書いてあったのを見て、まず「つい最近、アイという雑誌が発売されて…」ってなことを
延々と弟に向ってベラベラまくしたてたものでした。
(それで、弟が3年生になった時、「とにかくうるさくて、言ってることが全部間違っている」と
言われて、それ以来口を利いてくれなくなった。)

私は、知覚と認知の歪みがほとんどないので、ドラくんと違って「しゃべれる」。
けれど、もし何か共通点を探そうとすれば、「不確定な音」と「部分的な認知」を繋ぎ合わせて
「かろうじて識別できる物と、不正確だけれど聞き分けて覚えた名前」を
結びつける作業は脳の中では着実に進めているのではないかと思います。
そして、カタコトのうろ覚えの言葉で、出来る限りの「実況中継」或いは「記憶の再生」
(鏡の前でしていた時)をしているのでは?

ペンギン 2000/11/13(月) 01:00.21  Re:ドラくんの七不思議2(文字数オーバーの為、分割)

>だからこそ、話せる力はあるのだろうと思っています。
>でも、ドラにとっては話すという事は多分「論理的」でないのでしょう。

まだ、知ってる物が目の前に見えたら、その名前を「知ってるぞ!」ってなつもりで言っているのかな?こういうのって、会話でも何でもないし、人とコミュニケーションを取る為の言葉でもありませんよね。
でも、私という「存在物」は、いつもそういういろんな物や人と同じ場所にポンと置かれて
目の前にあるものを解説するという形で係わっている。
それで私は満足だし、いつもそういう係わりかたを望んでいます。
出来ることのレベルは違っても、「在り方」とか「周りとの関係の仕方」が
共通しているような感じがします。
(それで、いつも大得意になって失敗するのね〜♪
←いわゆる、ひとつの「掲示板荒らし」だったりしてー。)

ひいろ 2000/11/13(月) 01:04.40   Re[2]:ドラくんの七不思議

>もしかして、いろんな状態の車の絵や写真を見せて、それでもぜーんぶひっくるめて
「車」だよってことが分からないということですか?


そうだと思います。全てが頭の中でひとつになっていないようです。
コレは全ての事にいえるようです。

>だとしたら、先日のシマシマ模様好きというところからして
>その絵や写真の中の「車」という物ではなくシマシマな模様だけを見ているのではないでしょうか?
>そして今のところ、そうした部分や要素の認知が強すぎて
>そこにある「物」が見えていないのでは?


あ〜、なるほど〜。それはありますね。部分的に見ている事が確かに多いです。
じーっと見てる事ホントに多いんです。

私はドラには、いわゆる視覚過敏があると思っています。
ただドラの場合は、それでパニックを起こすという事はなく
「モノのたくさんあるところに行くと、興奮して喜ぶ」んです。
スーパーとかに行くと、それは嬉しそうにモノにさわりながら走って行きます(笑)

もしドラが「部分認知」しかできていない状況であるとするなら
今現在やっているように、地道に1コずつ教えていく方法で
方向性は合っていると思いますか?
「部分」しかわからないなら、そりゃあモノを覚えるわけがありませんものね。

ペンギン 2000/11/13(月) 07:59.08    Re[3]:ドラくんの七不思議

>もしドラが「部分認知」しかできていない状況であるとするなら
>今現在やっているように、地道に1コずつ教えていく方法で
>方向性は合っていると思いますか?


以前、私が勉強を教えていたU君というのも、やっぱり5歳まで発語がなかった子で
特定の刺激に反応してパニックを起こすような過敏症はありませんでした。
しかし、この子は、縦線と横線の見分けが出来ていなかった。
線を縦に書こうと横に書こうと、どっちも一本の線として認知していました。
それで、私はまず縦と横を識別することから教えました。
もし、このような(視空間認知障害)があるのなら、注意が向いているのは
縦線なのか横線なのかをまず知る必要があると思います。
それで、シマシマを眺める「こだわり」は、大切な趣味としては大いに楽しんで構わないのですが
認知の訓練をする時にはがんばって克服してもらわないと、本人が困りますよね。

まず、注視している「線」の傾向を把握してみたらどうでしょう。ちなみに、私もつい最近、子どもの頃に魅力を感じて見つめていた模様の傾向を分析してみました。ものの見事に「対称」図形(線対称と点対称の両方だった)でした

ペンギン 2000/11/13(月) 08:21.17

あっ、そうそう。

一口に「視空間認知障害」といっても、↓の例のU君は「認知が悪い」場合。でも、私は「認知が良過ぎた」方です。
だから、私は友達とプリントの採点をし合う時に、2とか4などの鋭角部分が鈍角になっていたという理由で×をつけ、叱られました。
観察する時には、両方の見方が必要です。つまり、「障害」というと何かが「できない」ことだと思われがちですが、部分的に「できすぎる」こともまた「障害」になるということ。

ひいろ 2000/11/13(月) 09:52.11  Re[4]:ドラくんの七不思議

>もし、このような(視空間認知障害)があるのなら、注意が向いているのは
縦線なのか横線なのかをまず知る必要があると思います。
それで、シマシマを眺める「こだわり」は、大切な趣味としては大いにいに楽しんで構わないのですが
認知の訓練をする時にはがんばって克服してもらわないと、本人が困りますよね。


シマシマの場合は、横の線だと思います。
ドラパパのパシャマは縦線だけど、あんまりジッとみていないし
私のお気に入りの横じまのボーターには、よくはりついていますから。

>まず、注視している「線」の傾向を把握してみたらどうでしょう。
ちなみに、私もつい最近、子どもの頃に魅力を感じて見つめていた模様の傾向を分析してみました。
ものの見事に「対称」図形(線対称と点対称の両方だった)でした。


ドラがよく見ているのは、目がチカチカするものです。
新聞の株式欄(ちいさな文字が好きらしい)とか、網目とか・・
最近は、いわゆる地面に凝っています。
アスファルトや、タイルを敷き詰めた道、デパートの床面などなど
基本的には土以外は全て観察しています。
(土は触って喜んでる感じなのでちょっと違う気がします)

これは確証はないのですが、幾何学模様よりも、細かい不揃いのつぶつぶがある
アスファルトの模様がとっても気になるようです。規則性がないからかしら?

>まだ、知ってる物が目の前に見えたら、その名前を「知ってるぞ!」ってな
>つもりで言っているのかな? こういうのって、会話でも何でもないし、
>人とコミュニケーションを取る為の言葉でもありませんよね。


名詞に関しては全くそのとおりだとと思います。いわゆるただそれだけです。
下の言葉は要求からくる言葉が多いので
少しはコミュニケーションっぽくはなっていますけどね。

>観察する時には、両方の見方が必要です。
>つまり、「障害」というと何かが「できない」ことだと思われがちですが、
>部分的に「できすぎる」こともまた「障害」になるということ。


以前に「目が良すぎる」という指摘をもらった事があります。
私もそうじゃなんいかなと思う事も多々ありますが、現在確証はもてないのです。
なんだかどっかの認知が変だという事だけは、確信をもってますけど。

ペンギン 2000/11/13(月) 12:03.07   視覚認知障害。

「視空間認知障害」というのは基本的な認知能力の障害の一つで
とっても低次元の下位分類にあたります。
そして、それだけをとってみれば、健常と呼ばれる範疇の人たちにも見られることがあります。
で、そうした一次的な認知の障害がいくつか組み合わさって
結果として「読み・書き・計算」の困難がある状態を
「学習障害(LD)」と言うので、これは疾病分類です。

また、「自閉症」の場合は、「認知」の歪みや遅れが伴っている場合が多いので
当然のながら学習上の困難が伴うことになるわけです。
それで、原因が何に由来するものでも、LDとしての対処法が当たっているのなら
それを利用すれば良いのだと思いますよ。

ペンギン 2000/11/13(月) 12:08.59  Re[5]:ドラくんの七不思議

ドラがよく見ているのは、目がチカチカするものです。
>新聞の株式欄(ちいさな文字が好きらしい)とか、網目とか・・
>最近は、いわゆる地面に凝っています。
>アスファルトや、タイルを敷き詰めた道、デパートの床面などなど
>基本的には土以外は全て観察しています。


で、線の見分けに関しては認知障害ですが、ドラ君の場合には
「知覚の歪み」があるのだと思いますよ。
だから、小さいものが規則的に並んでいるというのに惹かれているのでしょう。
そして、横のシマシマも単に線として見ているのではなく、コントラストを見ているのでしょうね。

ペンギン 2000/11/13(月) 15:11.46  Re[6]:ドラくんの七不思議

>>ドラがよく見ているのは、目がチカチカするものです。
>>新聞の株式欄(ちいさな文字が好きらしい)とか、網目とか・・
>>アスファルトや、タイルを敷き詰めた道、デパートの床面などなど


もう一つ思ったのですが、もしかしたら、横のシマシマじゃなくっても
「影」を見ているのではないでしょうか? 
タイルなんかだと、高低差があるのでとっても分かり易いけれど
網目やアスファルトの凸凹・デパートの床材には「影」がつきものです。
とすると、全てのもののコントラストを見ているような気きがします。

でも、そういうのは「観察」とは言いません。「同化(一体化)」と呼びます。
私でいえば、雑然とした世の中に「対称図形」や「規則正しい細かい模様」を見つけた時に
フリーズしてその中に引き込まれてしまう「あの感覚」なんですが…。

(私には、「あの感覚」がどんな感覚か分かっているけど…。
普通で言うと「バーゲンセールに行って、お目当ての商品がたった一つ残っていて
吸い寄せられるように突進している」状態がずーっと持続しているよんな、そういう感じかな?)