10 京町見附跡
現在、京町公園がある場所には江戸時代には郷方(ごうかた)役所といって桑名藩の村々を支配する役所がありました。東海道はこのあたりで枡形(コの字形)に曲折し、藩の足軽が旅人を監視する見附と呼ばれる番所と門が設けられていました。
橋(京橋)の下の空き地は桑名城の外堀の跡です。この橋は明治に入ってから架けられたもので、江戸時代には戦略上の目的からこの外堀には橋は設けませんでした。
京町の由来については不詳です。
明治維新後、郷方役所の跡には県立桑名病院が建てられ、その後桑名町役場になりました。さらにこの附近には、銀行や警察署も建てられ、明治、大正、昭和初期にかけて桑名の行政、経済の中心として栄えました。また京橋の西には大正4年に北勢鉄道(現近鉄北勢腺)の桑名町駅(のち京橋駅現在は廃止)も開設されました。
番所跡にはマンションが建っており、枡形道も無くなっています。東海道はここで南に左折して吉津屋町に入ります。