12 鍛冶町門跡
吉津屋町の商店街の南が鍛冶町です。ここには鍛冶屋が多く集まっていました。現在もこの流れを汲む「廣房打刃物店」が吉津屋町商店街の角で営業しています。県道を渡った先の勤労青少年ホームの南角を西へ曲がったあたりに旅人を監視する鍛冶町門がありました。鍛冶町はもとは吉津屋町の小字でしたので吉津屋見附とも小名をとって七ツ屋門とも呼ばれました。
この角から道は南へたどれますが、江戸時代は先は堀になっており、街道は枡形に曲折していました。この枡形道路は今も使われており、石取祭の祭車は必ずここを通ります。
なおこの堀の少し東よりの場所で平成12年に、堀の石垣の基礎部分が発見されています。
堀石垣基礎出土状況(平成12年1月)
鍛冶町門跡附近の航空写真(近鉄不動産販売ニュースより改変)
堀基礎出土地付近の東海道は道幅が少し広くなっています。江戸時代にはこのあたりに七ツ屋橋と呼ばれる石橋と常夜灯がありました。今は堀が埋められ橋は撤去されています。常夜灯は七里の渡しに移築されました。
東海道はこの東で県道に出る手前の十字路を南に右折し新町に入ります。