18 寿量寺

 日蓮宗のお寺です。元は今一色にありましたが慶長の町割の際に現在地に移りました。

 入口すぐ南側に狩野光信墓の小さな五輪塔があります。光信は狩野永徳の嫡子で豊臣秀吉、徳川家康、秀忠に仕え、安土城、肥前名護屋城、徳川秀忠邸などの障壁画制作に携わりました。
 慶長13年(1608)6月京都へ帰る途中桑名で病没(享年47歳)し、当寺に葬られました。戦前までこの墓は京都博物館、京都市史跡保存会によって矢来で囲んで保存されていたそうですが、戦後、都市計画で道路が墓地を縦断することになり今の場所に移されたようです。

なお境内には明治2年銘の仏足石があります。

狩野光信の墓 狩野光信の墓

狩野光信障壁画
狩野光信の代表作 園城寺勧学院(滋賀県)一の間障壁画(重文)
講談社日本美術全集15より

 光信の絵は父永徳の雄大で豪快な画風とは異なり、繊細でおだやかな画風です。
 常に永徳の威風と比較され、幼名を右京之進と称したのでヘタ右京という汚名まで受けました。
 しかし最近では中世やまと絵を継承した光信の軽快で温雅な画風が見直されています。