20 七曲り見附跡
桑名城下南端の見附で木戸付の門と番所がありました。ここは七里の渡しから東海道を7度曲がってきたところから七曲りと言い、木戸を七曲り門とも釘抜き門とも呼びました。西国の諸大名は参勤交代で江戸へ向かうときは、ここから隊列を整えて城下へ入りました。
門の位置は今の日進小学校体育館西の駐車場あたり、番所は道をはさんだ消防団車庫あたりと推定されています。
泡州橋跡附近から伝馬町方向を望む 左の道が東海道、左の火の見櫓の位置が番所跡、 手前の横断歩道予告表示のあたりが泡州橋跡 |
小学校の南側に随所にマンホールのある細い道路が通っていますが、これは外堀の跡です。最近までここに泡州橋が架かっていました。小学校の駐車場脇にこの橋の親柱を利用したモニュメントが置かれています。
なおこのあたりは掘るとおびただしい貝殻層が出てきます。そのため貝塚と考えられ、昭和17年に県指定史跡になりました。橋のモニュメントの奥の植え込みの中にその石碑が建っています。この碑のあたりでも注意してみると貝殻の破片が見つかります。
しかし古代にはこの附近はまだ海であったと思われ、人が居住して貝塚を作ったとは考えられず、昭和59年に県指定は取消しになっています。 明治、大正年間に弥生土器と思われる土器片が出土して、その一部は日進小学校に保存されていたようですが、戦災で失われてしまいました。
東海道はここから信号交差点を西に右折し鍋屋町に入ります。