額田廃寺 (桑名市額田笹貝)

額田廃寺記念碑 員弁川左岸の標高15m程の台地上にあります。元は浄蓮寺と称し、織田信長の北勢侵攻の時、その兵火にかかってからは再興されず、耕作地になってしまったようです。江戸時代に專仏、礎石などが発見され、昭和16年県史跡に指定されました。
 
 昭和38年(1963)この地に自動車教習所(後に住宅地に変更)が建設される計画が持ち上がり、県教委はこれを許可したため、翌年、建設に先立ち桑名市教委と文化財調査会によって発掘調査が行われました。調査は建設面積の約15%だけでしたが、塔、金堂、講堂、僧坊、中門跡などが発掘され、法隆寺式の伽藍配置を持つ大化改新以前に建てられた古代寺院であることが判明しました。
 
 しかし遺構は調査終了後宅地造成のために跡形もなく壊されてしまいました。 現在少し離れた児童公園の片隅に申し訳のように記念碑が建つのみです(左写真)。
 
 大化改新以前に建てられた地方寺院は、三重県北部、尾張地方においても十指を越えない程度であり、この時代にこのような立派な寺院が建てられたことは、北勢地方に大きな力を持ち、さらに中央とも繋がりを持った地方豪族がいたことが考えられます。また員弁川(町屋川)を挟んで南に縄生廃寺、北に額田廃寺が建立されていた姿を想像すると、古代にはこの地域が政治や宗教、文化の中心であったことが想像されます。

発掘調査風景(昭和39年)
(桑名市の指定文化財 桑名市教育委員会 昭和45年より)
伽藍配置復元図(額田廃寺発掘調査概要 桑名市
博物館紀要No1を元に作成)

 南面する中門を入って西に塔、東に金堂、
北に講堂を置いた法隆寺式伽藍配置です。
(図は精度が出ていませんが中軸線は方位軸よりやや東
に振っているようです)
出土した瓦 三重県の古瓦 三重県の古瓦刊行会より
 山田寺式重圏文縁単弁蓮華文軒丸瓦(上2種)、
川原寺式複弁蓮華文軒丸瓦(下、花弁と中房部分は
明日香の川原寺のものと同じ型から作られていること
が確認されています)
壬申の乱と川原寺式軒丸瓦はここから
金銅仏(左)と專仏(右) 桑名市博物館図録より
 江戸時代に出土しました。