麻績(おみ)塚古墳群 (いなべ市北勢町麻生田南山)

 標高90Mの員弁川左岸の河岸段丘上にあります。久保院という真言宗の無住のお寺の境内にあります。大小2基の古墳からなり、1号墳は北勢地方唯一の前方後方墳で、墳長43mを測ります。主軸を南東に向け、後方部背面に稜線に直行する一条の溝が切られています。葺石は認められません。出土遺物は全く不明ですが、墳形や古墳の在り方などから、桑名の高塚山古墳に先行する4世紀中葉の前期古墳と考えられています。
 2号墳は1号墳の東脇に位置し、径16m、高さ1.5mの円墳です。

麻績塚1号墳 麻績塚2号墳

 この古墳の名前の麻績とは古代にこの地方を支配した豪族麻績氏の墓という伝承から名付けられ、また麻生田(おうだ)という地名は神宮に麻を献上したということから付けられたようです。

 ところで平成9年に斎宮の近くの一志郡明和町の坂本古墳群の前方後方墳から金色に輝く頭椎(かぶつちの)太刀が出土しました。この古墳は前方後方墳としては珍しい7世紀の後期古墳ですが、被葬者はあの辺りを支配した麻績氏ではないかと言われました。彼の麻績氏もやはり神宮へ麻を献上したといわれています。伊勢と員弁の麻績氏そして前方後方墳は結び付くのでしょうか。


 最近の東海地方の考古学を熱くしている話題に、狗奴国濃尾平野説があります。邪馬台国に敵対していた男王の国、狗奴国は濃尾平野を中心とした地域にあったのではないかという説です(邪馬台国大和説に立てばの話しですが)。キーワードの一つが東海地方に多い前方後方墳です。この説に立てば麻績塚古墳は狗奴国とのつながりによって作られた古墳なのかも知れません。

 また麻績塚古墳の員弁川をはさんだ対岸の段丘上に、縄文から弥生時代にかけての石斧や石鏃を多数出土しすることで有名な宮山遺跡があります。平成7年の東海環状自動車道建設に伴う発掘調査で、弥生時代の前方後方形墳丘墓の痕跡が2基見つかっています。この古墳の墳形との関係を考えると興味深いものがあります。

地理案内 三岐鉄道北勢線「麻生田」下車、旧員弁街道を東(桑名方向)へ約1Km南側