智積廃寺 (四日市市智積町土丹)

 智積(ちしゃく)廃寺は東名阪自動車道四日市インターのすぐ南、見滝川の支流矢合川と東名阪が交差する地点の標高約30mの沖積地に位置します。

 昔この辺りは高塚さんと呼ばれた盛り土があったそうです。昭和28年ここに農道を付けたとき、古瓦や專仏が出土しました。その後昭和41年に東名阪自動車道の建設と水田圃場整備が具体化し、四日市市教育委員会が主体となり奈良文化財研究所、三重大学などによって発掘調査が行われました。

 周辺一帯の攪乱は多かったものの、中心伽藍配置がよく残り、金堂、講堂、僧坊が方位軸を南北に合わせた伽藍配置の7世紀後半から8世紀初頭に建立された白鳳寺院であることが明らかになりました。出土遺物には多数の複弁蓮華文軒丸瓦(川原寺式)や単弁蓮華文軒丸瓦(山田寺式)がのほか鬼瓦、專仏、須恵器、土師器があります。

 遺構は高速道路建設で消滅し、今は道路の脇にひっそりと石碑が建つのみですが、出土遺物は現在、四日市市立博物館に展示されています。智積廃寺の存続期間はおよそ百年位であっただろうと推定されています。誰が何のために建てたのかは、寺院名とともに分かっていませんが、川原寺式軒丸瓦が出土していることから壬申の乱に関係し、中央と強い結びつきを持った豪族の存在が予想されます。

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