6 三崎見附跡 (相生町)

三崎見附跡
赤いコーンが立っているあたりに道路をまたい
で門があり、その手前の堀(現在は暗渠)に橋
が架かっていました。

 三崎は御崎・岬などとも書かれるように海に突き出た陸地です。江戸時代以前、桑名の町は三つの洲に分かれ、「三崎」はその洲の一つ「自凝州崎(おのころすざき)の総称です。

 慶長の町割でこの付近は桑名城下の西北の出入り口となり、門と番所が置かれ、足軽が警備にあたっていました。このように櫓があり番兵を置いたところを見附と呼びます。

 桑名ではこの三崎見附の他、京町、鍛冶町にも見附門が設置されていました。三崎門を出ると外郭堀に架かる三崎門橋を渡ります。門前には開帳・角力・芝居などの案内板が立ちました。

 三崎見附は、城下から東方(ひがしがた)、多度、美濃方面への主要道路で大変賑わいました。明治に入り門は廃止されましたが、八間道路の開通まで桑名駅への幹線道路として交通の往来が盛んでした。



地理案内図(87Kb)