7 浄土寺( 清水町)

 袖野山(しゅうやさん)西岸院(せいがん)と号します。西山浄土宗。永承4年(1049)海中から出現した地蔵尊を安置したのが始まりといわれています。江戸時代以前はここより東南の田町付近にありましたが、塵長の町割により現在地へ移りました。

 藩主本多忠勝が没した時に当寺に葬られ、本多忠勝本廟となりました。忠勝の墓と共に、殉死した中根忠実と梶勝忠の墓があります。

 そのほか贄氏目阿弥(にえしもくあみ)(宝治元年=1247没)の墓(弘化3年=1846改築)や、初代桑名市長をつとめた貝塚氏代々の墓、宝筐印塔(ほうきょういんとう)の塔身に彫られた珍しい仏足石があります。また当寺にまつわる幽霊飴の話が伝えられており、現在でも8月の地蔵盆には幽霊飴が売られます。

 平成3年(1991)戦後再建された本堂庫裡などが全焼しました。

浄土寺山門 本多忠勝本廟

贄氏黙阿弥

 桑名の長者贄氏が僧になって修業しようと全国を巡っていましたが、箱根山中で病気になり亡くなってしまいました。そして京に上る人に幽霊になって現れ、桑名の家族に着物の片袖を託しました。

 家の者は当時桑名神社の神宮寺と呼んでいたこのお寺で立派な葬式をあげました。その夜、家中のみんなの夢に出て「お浄土に、お浄土させてもらった」と伝えました。それ以後このお寺は浄土寺と呼ぶようになり、また寺の山号も袖野山となりました。

 この片袖は元禄年間の大火で燃えて無くなってしまったということです。




贄氏目阿弥の墓
幽霊飴

 むかし浄土寺門前の角に飴忠という店がありました。そこに毎夜一人の女が飴を買いに来るようになりました。

しかしその女が買い物をした晩には必ず勘定箱に木の葉が一枚入っているので飴屋の主人は不思議に思い、ある夜その女の後をつけたところ浄土寺の墓地に姿を消しました。

 翌日、飴屋と住職は怪しいと思って、最近葬られた妊婦の墓を掘ってみると中から元気そうな男の赤ちゃんが出てきました。

幽霊が飴を買いに来たというので飴忠は一躍有名になり、地蔵盆に限り飴に小麦粉をまぶしたものを売り出しました。村人はこれを幽霊飴と名付けて評判になりました。

 飴忠は今ではもうありませんが、毎年8月23、24日の地蔵盆には浄土寺で幽霊飴が売り出されます。

現代の幽霊飴

地理案内図(87Kb)