走井山公園(矢田城跡)と勧学寺

矢田城跡

走井山公園 矢田城は伊勢北畠氏に属した矢田半右衛門俊元によって築かれた平山城です。矢田氏は近くの土豪たちを配下に持ち、この場所は東は伊勢湾、西は鈴鹿山脈までを見通せるため、戦国時代には北勢地方の中心的な城でした。 

 しかし永禄11年(1568)に織田信長の軍勢により滅ぼされ、滝川一益の長島一向一揆攻略の前線基地となりました。

 今でも櫓跡や階段状の平坦地、空堀などの遺構が確認できます。のち廃城となりましたが、跡地に山陵にあった勧学寺が移され、城主が信仰していた千手観音が祀られています。

 現在は走井山公園として整備され、桜やつつじの名所として市民の憩いの場所ともなっています。

櫓跡 空堀跡
櫓跡
石組みで一段高くなった遺構、物見櫓の跡か?
空掘跡
城の北側には深い掘り割が通っている

勧学寺

走井山と号す真言宗のお寺です。
 元は走井山の麗にあったようですが元和年間(1615〜24)に2代藩主本多忠政の家臣が山上へ移したと伝えられ、7代桑名藩主松平定重が本堂を再建しました。
 市内に現存する寺院建築としてはもっとも古いと推定されています。平成14年に屋根の葺き替え工事が行われました。

 松平家の家紋である梅鉢紋が本堂の屋根瓦や石灯籠に残っています。 本尊の千手観音立像は樟の一木造りで平安時代の作です(県指定文化財)。もとは西方廃寺(海善寺)の本尊でしたが、矢田城主の矢田氏によって城北に祀られていたようです。

 また、船絵馬や俳諧札、算額などが本堂に奉納されています。
 本堂横の太子堂は明和年中(1764〜72)に桑名大工中によって建立された建物でしたが、平成2年に火災のため惜しくも焼失してしまいました。
  毎年8月9日〜10日に本尊の開帳があり、十日観音として親しまれています。

水呑竜図
 勧学寺本堂の天井に描かれている竜は夜になると本堂を抜け出し、山麗にある井戸に水を飲みに来るという伝説がありました。そこで竜が動けないように目に大きな釘を打ち込んだと言われていました。この絵は傷みがひどく竜の姿もはっきりわからない状態でしたが、 屋根の葺き替え工事の際に天井画の修復も行われた結果、釘が打たれていたのは目ではなく、額であることが分かりました。(マウスポインターを画像に置いてみて下さい)
 
この山の名前の走井とは、ほどばしるように水が涌く井戸のことで、この付近は昔は湧き水が豊富で、諸戸水道の水源にもなっています。

仏足跡
 鐘楼の左手の覆屋の中にあります。
仏足石は仏像出現以前、インドの伝説によってお釈迦様の礼拝の対象として造られたものです。この仏足石は江戸末期の作で、足裏の絵が精妙に刻まれていて珍しいとされています。(市指定文化財)
庚申碑
 走井山公園展望台南方隅の稲荷社の東の木立の中にあります。
庚申とは干支の組み合わせによる「かのえさる」のことで60年に一度廻ってきます。庚申の夜に眠ると命が縮まり、眠らずに身を慎めば災難が除かれるという道教の教えから、江戸時代には庶民の間にも庚申講が組織されました。庚申の夜は眠らずに明かし酒食の宴を催す庚申持(もち)が行われ、供養として塔や碑を建てることもありました。これらはその名残です。
愛宕山庚申碑
空堀を挟んで東北約200mの地にある愛宕山の庚申碑を宅地開発に伴い移設したもの。中には庚申碑でない石碑もありますが、いづれも江戸時代の貴重な歴史遺産です。

地図はこちらから(山辺南部 70KB)